3. ウキウキ、お泊まり(野宿)会
さて、野宿である。
そこは二人とも手慣れたもので、手際よく役割を分担しては薪を確保し、モーターサイクルを隠蔽した。手頃な小枝を見繕い、身を寄せあえば並んで寝られるくらいの簡易のテントも作った。夜露が凌げるだけで、体力の消耗は随分と変わる。
白樺の林と比べて、樹齢の嵩んだ逞しい幹の広葉樹が目立つ森だった。ワイアの言う通り樹高も大分高い。お蔭で遠くからでもこの森は良く見えたのだが、その代わり辿り着くまで随分時間が掛かった。ワイアが寄り道していた事もあって、ようやく寝床と火種が確保できたのは、もう半ば陽が落ち黄昏が訪れようという頃合いだった。
「ねえ」
「うん?」
「どうしてこんな事してるの?」
「見てりゃ分かるさ。寒けりゃもっと身を寄せな、でも大きな声を上げるのは無しだ」
「それって、」
ささやくようなポルカルッタの問いを、ワイアは身振りで制した。
すぐそこにいる、そう伝えようとしているのだ。
ポルカルッタには何も聞こえない。ワイアに言われるがまま草原を避けこの森に入ってからこっち、分からない事ばかりで内心じれったく感じてはいたものの素直に押し黙り、じっと身を固めた。
それは程なく現れた。ゆっくりと、足音を殺して。
焚火は数歩ばかりの距離を置いて周りを枝葉で出来た簡単な遮蔽柵で覆っていたが、見下ろすような格好なものだから、下から橙の光に照らされた狂相が、闇に浮かび上がった。鱗が、ぬめる様に光を反射させる。
矮蛮だ。昼間にふいとワイアの前から去った、あの大きな一頭に違いなかった。
改めて見ると、とんでもない大きさだった。長い尻尾でバランスを取るような前傾気味の姿勢だが、それでもワイアより頭二つ分ぐらいは高いのではないだろうか。
ポルカルッタは、縮みあがる思いだった。矮蛮の姿形が恐ろしいのではない。これ程大きな体躯を持ちながら完全に気配を殺して獲物に近づく狡猾さ、一度は諦めたように去っておきながら昼夜を問わず付け狙う執拗さ、捕食者としての完全さとでもいうべきものが、何よりも恐ろしかった。
ただ、矮蛮にとっての不幸は、ワイアの狩人としての優秀さがそれを上回ったという一点に尽きる。
草葉で出来たテントを鋭い鈎爪でひと薙ぎしようと近寄る矮蛮の頭上から、ワイアは、するりと降りた。殆ど裸で、全身に乾いた泥を纏っている。
矮蛮がそれと気づくよりも早く、ワイアは矮蛮の長い頸に全身でしがみ付いた。いくら巨体とはいえ、両腕を回せば余りある程度しかない。利き腕でもう片方の手首を掴み、両の足首は絡めて固定した。
う、と喉の奥から振り絞る様に一言呻いて、それを合図に全身全霊の力を込め、矮蛮の頸を、一息に絞めあげた。いや、絞めているのではない。分厚い鱗と肉の奥にある、頸骨を狙っているのだ。腕や肩、背中周りの筋肉が大きく怒張し、泥の層を割り闇夜に素肌を覗かせる。
勝負は一瞬で着いた。驚いてのけ反る体勢になった矮蛮だが、そこから禄に抵抗も出来ないまま、頸の辺りからボギンとくぐもった音が夜の森に不気味に響いた。
崩れ落ちる巨体を前にして、しかしワイアに油断は無い。矮蛮が狙いを定めていた先、枝葉のテントの中から刀を引っ掴んで鞘を投げ捨て、痙攣を始めた胴体に馬乗りになって切っ先を心臓目掛けてずぶりと差し込む。
矮蛮の口から何度かゴポリというような音が聞こえポルカルッタは肩をその度に肩を竦めたが、ワイアは怯まない。恐らく肺に残った空気が潰れた気管を潜る音だったのだろう。
ワイアは何度も抉る様に刀を捻ってから抜き、傷口からの流血に勢いが失われたことを確認して、ようやく残心を解いた。短時間だが全身の筋肉を酷使したせいか、肩で息をしている。
「少年、もう下りてきていいぞ」
「はい。ちょっと待ってて」
枝から幹の方へ身体を寄せ、引っ掛かりを足先で探りながらおっかなびっくり下るポルカルッタ。闇夜に木登りをした事など、勿論これが初めてだった。見かねたワイアが助け舟を出す。
「じっとしてな、降ろしてやる」
「うん……」
ひょいひょいと何でもない事のように幹を昇ってきたワイアが、脇に手を差し入れて持ちあげる。ポルカルッタとしては無用に子供扱いされたようで内心面白くは無いのだが、黙って従うしかない。
ワイアがこの森を選んだのは、矮蛮による襲撃を予想しての事だった。
「矮蛮はしつけえからな。これっくらいの距離なら、今日明日には絶対やり返してくる」
テントを設えながら、ワイアは言っていた。そう読んでいたからこそ、ここで仕掛けたのだった。
ワイアは事前に沼の位置を確かめ、川の近くを野営地に指定していた。干し肉そのままの夕食を摂るが早いか革鎧ごと服を脱ぎ捨て、沼で掬った泥を全身に纏った上で、焚火の直上に当たる枝の上でじっと息を殺していた。勿論、ポルカルッタにも同じことを要求した。すぐ傍に流れる川は枝の上の気配を少しでも紛らわせるため。泥は、臭いを消すためのものだ。囮となるものは、二人の着ていた衣服や革鎧、それにワイアの刀や槍といった武装で、それらはテントの中に置いてある。矮蛮はとりわけ、鉄の臭いに敏感なのだという。
結果として、全てはワイアの狩猟民族としての経験値に裏打ちされた読み通りだった。
感心半ばの吐息を吐きながら、ポルカルッタは地を足で踏んだ。
踏んだがそこで、息を呑んだ。
ポルカルッタは両脇の下に差し込まれたワイアの手に支えられ、下に降りた。しかしそこから離してくれようとはしない。
「え……?」
ワイアは未だ息を荒げたまま、ポルカルッタを見下ろしている。
とっぷりと日が暮れてから空はようやく晴れ、木々の間から覗く月と星々。焚火の照り返しに、ポルカルッタにはワイアの両の眼が光を放っているようにも見えた。
明らかに、昂っている。
ごくり、とポルカルッタは唾を飲む。
ど、どうしよう……!?
昼間の危機とは明らかに別種のそれだが、ポルカルッタもまた緊張と戸惑いを隠せない。
しばらく両者そのまま硬直し、考えあぐねたポルカルッタがようやく口を開いた。
「僕は……」
その声に、ワイアが弾かれたように反応した。ハッとした顔で立ち上がり、慌てて踵を返す。返してそのまま、焚火の向こう側、夜の森に向かって歩き出した。
「……どこ行くの?」
「身体冷や……泥落としてくる。覗くなよ」
振り返らず言い残して、ワイアは闇の向こうに消えた。
僕はいいよって、言おうとしたのにな……
固まって所々ボロボロと剥がれ落ちてくる泥は不快だったが、思いのほか寒さは感じない。まだ神経が興奮しているのは自分でも分かるものの、それ以上にポルカルッタは疲れ切っていた。1日に2度も竜種に襲われるとは、全く何という日だろう。それに2度とも、同じ人に助けられた。
身体の泥はそのままに、少し形の崩れたテントをおざなりに直して潜り込み、なるべく奥の方に身体を寄せ、毛布代わりに剥した分厚い樹皮を被って横たわった。
ワイアがすぐに帰ってきたかどうかは定かではない。吸い込まれるように、眠りに落ちた。
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