Episode14
「で、でけえ……」
なんじゃこりゃ……どっかの世界遺産かなんかか……?
河川敷から歩いて三十分程度、目の前にあったのは広い庭と、大きな洋風の建物だった。
建物はレンガ調の焦げ茶色の外壁で、その外壁を彩るように大きな縦長の窓がずらりと並んでいる。二階の正面部分には広いベランダがあり、屋根からは塔のようなものがいくつも突き出していた。
何となく昔見た横浜の洋館に似ている気もするが、明らかに規模が違う。まるで城か要塞だ。
「お、おい、ヤマト、お前自分の家間違えてないか……?」
カラカラに乾いた喉から声を絞りだす。
「何言ってんだぞ。自分の家に決まってるぞ」
しかしヤマトはあっさり否定すると、入口の門にある認証装置のようなものに顔をかざした。
「あ、おい、もう入るのか! まだ俺の心の準備が……!」
「いいから行くぞー」
顔をかざしてすぐにピッと音が鳴り、ゆっくりと門が開かれる。
そのまま中に入っていくヤマトを見て、仕方がなく俺も門をくぐり抜けた。
「し、失礼しま〜す……」
背中を丸め、なるべく体積を縮めて中に入り込む。
気分はまるでコソ泥のようだった。
別に悪いことをしているわけでもないのに、そんな気分になってしまう。
大貴族の家に忍び込む子悪党の気持ちって、きっとこんな感じなのだろう。
「凄い庭だな……」
木々や花壇が備え付けられた美しい庭を歩いていく。
風景画のような景色が、目の前には広がっていた。
草花の一つ一つに手が入り、全ての色が鮮やかに輝いて見える。どこを見ても汚れがなく、優雅さと気品とに満ちていた。
「ここが本当にヤマトの家なのか……」
実際に見ても、なお信じられない。
あの、荒川の河川敷で剣をぶんぶん振り回していた無茶苦茶な子供が住んでいる場所だなんて……。
こう言ったら悪いが……俺のイメージだと、もっとこう、こういう大豪邸にはお淑やかで知的な子供が住んでいるはずだ。どう考えても、ヤマトのようなわんぱく坊主が住むような場所ではない。
一体どういう間違いでこんなことに……。
と、我ながらかなり失礼なことを考えていると、いつの間にか玄関へと辿り着く。
「んじゃ、入るぞ」
ヤマトがそう言って扉を引くと、鍵はかかっておらず、木製の扉が静かに開かれた。
中に入ると、待っていたのはイメージ通りのエントランスだ。
「すげえ……」
正面の両サイドにある二階に続く階段。そして天井の豪奢なシャンデリア。床には赤色のカーペットが敷かれ、様々な高そうな調度品が置かれていた。
映画のセットのように完璧な貴族の家って感じだ。
「とりあえず、こっちだぞ」
ヤマトに導かれるままに着いていくと、通路を抜けた先に大きな部屋に辿り着いた。
応接間だろうか。此処には調度品はなく、あったのはいくつかの椅子と一つのテーブル、それと壁際の暖炉と書棚だけだった。
「椅子に座って待ってるんだぞ!」
促されるままに椅子に座る。ヤマトは一旦自室に戻るということで、部屋を出て行ってしまった。
一人残される俺。
室内には、何の物音もない。
「いや、マジかこれ……」
改めて自分の置かれた状況に、心の呟きが漏れた。
誰かに助けを求めたいが、そんな相手はいもしない。
「何だよこの家……ああ、今すぐ帰りたい……」
思わず、来たことを後悔してしまう。
まさかこんな大豪邸だったなんて、知っていたら絶対来なかった。
確かに、あの指輪を持っている時点で普通の家の子供のはずはないけれど。にしても限度ってものがあるだろう。
十八年間、生粋の一般市民をやっていたこっちの身にもなって欲しい。
「はあ……どうしよう……」
とはいえ、来てしまったからにはどうしようもない。とりあえず、親御さんに挨拶だけはしなければ。
今さら菓子折りの一つでも持って来れば良かったかな、と考える。
……いや、千円ぐらいの菓子折りを持ってきたところで鼻で笑われるだけか。それならいっそ、持ってこなくて正解だったかも知れない。
何とも落ち着かないままそわそわしていると、コンコン、と扉を叩く高い音がした。
どうぞ、と声をかける前に扉が開かれる。
開いた扉の隙間からそっと入ってきたのは、小さな女の子だった。
前髪が綺麗に切り揃えられた栗色のショートの髪に、藍色をベースとした花柄のワンピースを着ていた。
――誰だろう……? この家の人かな?
年齢的にはヤマトよりも少し下のように見えた。ということはヤマトの妹……? なのか?
女の子は部屋に入ると、俺に向かって一礼する。
それを見て俺も立ち上がって会釈をする。そのまま少しだけ女の子は俺を見つめると、くるりと背中を向けて部屋から出ていってしまった。
「はや……」
挨拶だったのだろうか。誰かが来たら一礼をしに来るというのが上流家庭の作法なのかも知れない。よく分からないが。
……いや、そんなことよりも。
「顔に、痣があったよな……」
女の子の顔の左側に茶色の痣のようなものがあった気がする。はっきりとは見えなかったが、結構な大きさのように見えた。
生まれつきの痣だろうか。確か、メラニンがどうのこうのでそういう症状が出るという話は聞いたことがある。
どことなく表情も暗いように見えた。
……まあ、気のせいかも知れないが。
俺が改めて椅子に座ると、すぐにまたドアを叩く音が鳴る。
やはり声をかける前に扉が開かれ、次に入ってきたのは燕尾服を着た高年の男性だった。
白髪の頭を綺麗に整え、背筋がビシッと伸びた細身の男性だ。
たぶん、執事という人かな……?
初めて見たが、漫画やアニメで見た格好そのままだ。
空想上の存在だと思っていたが、本当に存在するのを見て、ちょっとビックリしてしまう。
男性が入ってくるのと同時、俺も立ち上がって迎え入れようとするが、
「ああ、いえ、どうぞそのままで」
手で抑えるようにして、止められてしまった。
「門の方までお出迎えに上がれず大変申し訳御座いません」
俺の側まで来ると、いきなり頭を下げられた。
「あ、いえ、すみませんこちらこそ。勝手に押しかけてしまって……」
慌てて、俺も謝罪の意を告げる。
「とんでも御座いません。私、この家の執事長をやらせて頂いております
そう言って、再び執事長の夏方さんは頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。柊と申します」
俺も椅子に座りながら、また同じように頭を下げる。
「どうぞ肩の力を抜いてお寛ぎ下さい。もうまもなく家の者がお茶など持って参りますゆえ」
「あ、すみません、どうぞお構いなく……」
「いえいえ、御遠慮なさらずに。柊様のお話は常々お坊ちゃまから聞いております。剣の稽古をして頂いているそうで。何かとご迷惑をお掛けしているかとは存じますが、どうぞご容赦くださいませ」
「はい……あ、いえっ、稽古は自分も楽しくやらせてもらってますので……ははは」
思わず頷いてしまって、咄嗟に言い直す。
何とか笑顔を作ってみせるが、引き攣っているのが自分でも分かった。
これまでのヤマトのことを思いだすと、とても素直には笑えない……。
「私共も然るべき教育をしているのですが、ああいった放漫なご性格ゆえ、なかなか苦労しておりましてね……」
夏方さんがそう言ってこめかみを抑える。
さらに唇を引き結び、眉間にも深い皺がよっていた。
本当に苦労しているのだろうな……と、その苦労の一端を垣間見ている俺は全力で共感してしまう。
「はは……そうですよね」
苦笑しながらそう言うと、
「おお、分かっていただけますかな」
夏方さんは嬉しそうに目元を緩ませた。
それからふっと夏方さんの肩の力が抜ける。
そして目を瞑ると、昔を辿るように……
「お坊ちゃまも、奥様がいらっしゃられた時にはもう少し大人しくしていらしたのですが……」
呟くような声だったが、俺はつい聞き咎めてしまう。
「え、いらっしゃられた時って……」
「おや、ご存知でなかったですかな」
「はい、何も……」
夏方さんが意外そうな顔をした。
すでにヤマトが話していると思ったのだろう。
予想外の俺の返答に夏方さんは目を丸くさせるが、すぐにその表情が真剣なものになる。
「柊様はお坊ちゃまが師匠と呼ぶほどのお方ですから……伝えておくべきなのかも知れませんね」
そして少し悩むような素振りをした後、夏方さんは大きく息をすると、ゆっくりと語り始めた。
「……今から三年前です。お坊ちゃまのお母様、
そこで一度言葉を区切って、夏方さんは目を瞑る。
亡くなられた……? と俺は驚いたが、最後まで話を聞くために耳を傾けていた。
夏方さんが続ける。
「突然の訃報に私共一同、それは大変な悲しみに暮れました。特にお坊ちゃまはとても奥様を愛されていました。それゆえでしょうか……奥様が亡くなられた後、ご様子が変わられてしまったのです。しばらく自室で塞ぎ込んでいたと思ったら、突然に冒険者になると仰り始めて、あのような……いささか乱暴過ぎる性格になってしまわれました」
語り終えた後に、夏方さんはもう一度深く息を吐く。
沈痛な面持ちで、力なく肩を落としていた。
「そうだったんですね……」
夏方さんの話を聞いて、俺も視線を落とす。
全然、知らなかった。
今の今まで、当たり前のように両親と暮らしているのだとばかり思っていた。
母親を亡くしていただなんて、そんな気配は全く……。
いつも元気にはしゃいでる無邪気な子供って感じだったもんな。
……けれど、俺たちには分からないところで、ヤマトはヤマトなりに色々と思っているのかも知れない。
俺がそうして考えていると、夏方さんがごほん、と咳払いをする。
「申し訳ありません。無粋な話をしてしまいました。どうかこの話はご内密に」
「……あ、はい、もちろんです」
俺が同意すると、夏方さんがにこりと微笑む。それから、その目がキリッとした真剣なものへと変わった。
ドキリ、と俺が身を硬くさせると、夏方さんが声を低くして言う。
「……それで、柊様。本日のご用件ですが、当家の主から収納の指輪の魔道具をお受け取りに来られたということで間違いありませんでしょうか?」
聞いた瞬間、俺はまさかと絶句する。
一瞬フリーズした後、慌てて声を出した。
「いえ、そんな! ただ挨拶に伺っただけです!」
心臓が止まるかと思った。
──ヤマトの奴……! 余計なことを……!
俺が必死に弁解すると、夏方さんが、そうでしたか、と言って再び微笑む。
そしてすぐにその微笑みを消すと、今度は表情を硬くさせて言った。
「しかし申し訳ありません。わざわざ足を運んで頂いたのですが、只今主は留守にしておりまして、こちらでの挨拶がいたしかねます」
主は留守……と聞いて、俺はすぐに理解する。
「あ、そうですよね……。すみません、自分も勝手に来てしまったので。では、また日を改めて来ようと思います」
それは、俺も何となく予想していたことだった。
こちらも事前に知らせることなく来てしまったので、親が不在ということは全然ありえることだ。
ちゃんと連絡してから来れば良かったのだが、ヤマトに誘われたというのもあって何となくで来てしまった。
また次回、きちんと日にちを確認してから来よう。
と、思っていたら──。
「ああ、いえ、こちらでは挨拶をしかねますので、柊様を主のいる会社の方へとお送りいたします」
「へ……?」
会社……?
訳が分からず、間抜けな声が出てしまった。
「主は現在新宿の会社におりますので、私が車でそちらの方へと届けさせて頂きます」
「えっ? 夏方さんが……?」
俺を会社に送る……?
いきなりの展開に困惑していると――
唐突に、扉が吹き飛ばんばかりの勢いで、バコーンッ! っと開かれた。
「うぉおっ!? ビックリした!」
俺が仰け反りながら驚いていると、入口から飛び込んできたのはヤマトだ。
「シショー! 父ちゃんいないらしいから会社に行くぞ!」
俺と夏方さんの前まで来て、それまでの空気を突き破るように大声で言い放った。
――お、お前なあ……。
少しは落ち着け、といつもなら注意するのだが、今回は俺の代わりに夏方さんが諌めてくれる。
「お坊ちゃま。いつも申しておりますが、扉を開ける時はどうぞお静かにお願いします」
「そうだった! ごめんだぞ!」
夏方さんが厳しい目付きで言うが、ヤマトは全く悪びれた様子もない。
「とにかく早く行くぞ!」
それから、床をばんばん飛び跳ねながら俺たちを促してきた。
「お坊ちゃま、床は跳ねるものではありませんよ。では柊様、よろしいですかな?」
夏方さんがヤマトを注意して、俺の方へと視線を向ける。
どうしようかな、と考えるまでもなかった。
こういう時の俺の選択肢は、基本的に一つしかないことは分かっている。
俺はヤマトと夏方さんを交互に見て、素直にはいと頷いた。
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