Episode24


 ――ど、どうしてこうなった……。



 まさか、こんなことが起こるだなんて。


 これは悪魔の試練……いや、神の贈り物と言うべきだろうか。


 浅草駅からの帰りで電車に乗った二人。


 俺とリンさんが並んで座席に座っているのだが、よほどリンさんは疲れていたのだろう。


 座ってすぐにうとうとし始めてしまった。


 最初の内は何とか睡魔に抵抗していたみたいなのだけど、やはり抗うことはできず、ついには眠ってしまったようで。


 そして眠れば当然、人間の体は力が抜けてくるわけで……次第にリンさんの体が俺にもたれかかり、その頭は俺の肩へと乗せられる。


 もちろんのこと、俺もリンさんを起こすなんてこと出来るはずもなく。


 えーっと……要するに、現在の俺とリンさんは絶賛密着中なのである。



 って、冷静に説明している場合じゃなかった!


 ドキドキで心臓が破裂しそうだ。


 本当にどうしてこうなった!?


 嬉しさもあるが、それ以上に緊張と焦りの方が遥かに強い。


 パッと斜め前の座席を見れば、おばちゃんがこっちを見てなんか微笑んでいるし。


 ……うん、絶対なんか勘違いしてる。


 いや、待て、落ち着け俺。


 ドキドキが大きくなるほど、息が乱れて肩の揺れでリンさんを起こしてしまう。



 ――落ち着こう。何か無心になれるものを考えるんだ……。そう、石だ、石になればいい。呼吸を止めて石になろう。



 俺は目を閉じて海底の石をイメージする。


 波の立たない深い暗底で、何万年も動かずにじっとしている石だ。


 俺は石……、俺は石……、俺は石……。


 俺は何も考えない、呼吸をしない、動かない……。



 ――――――――――


 ――――――――


 ――――――


 ――――



 ぐっ! ダ、ダメだ、息がもたない……!



「ぷはぁ! はあ……はあ……!」


 限界を迎えた俺は止めていた息を吐き出して、新鮮な空気を肺に入れる。


 ヤバい、と思ったが案の定、今の反動でリンさんを起こしてしまったようだ。


「あ……すみません、私」


 リンさんが体を離して、慌てて居住まいを正す。


「いえ、だ、大丈夫です!」


 酸欠で頭がくらくらしながらも、何とか声を絞りだした。



「ミクルさん……?」



 そんな俺の姿を見てだろう。リンさんが不安げな声を上げた。


 それから、何かに気付いたようにハッとした表情へと変わる。


「もしかして、またあの発作が……?」


 そう言って、心配そうに俺の顔を覗き込むリンさんに、また俺の心臓が大きく跳ねた。


 ――り、リンさん、顔が近い……!


 あの時の発作よりも今の方が激しいドキドキに襲われている気がする。


「だ、大丈夫です! すみません、ちょっと色々あって……」


 そう言いわけするが、リンさんの目は訝しげに俺を見つめて離さない。


 俺もリンさんのグレーの瞳から目が離せずに、今度は違う意味で息が止まる。


 く、くるしい……。


「色々、ですか……」


 俺が黙っていると、リンさんも渋々納得してくれたようで、ようやく顔を離してくれた。


「あ、次で私の降りる駅ですね」


 リンさんが視線を車窓の外へと向ける。


 丁度、車両のアナウンスが流れ始めるところだった。



 《まもなく堀切、堀切です〜》



 内心ホッとしつつ、俺も視線を外へと向けた。


 ――危ない、ドキドキし過ぎて死ぬところだった……。


 今だに鳴り止まない鼓動に、何とか落ち着くようにと言い聞かせる。


 ちらりと斜め前を見れば、おばちゃんがサムズアップしてウィンクしたような気もするが、きっと気のせいだろう。


 電車が駅に着いてリンさんが立ち上がったので、俺も一緒に立ち上がってドアの前まで移動する。


「今日はありがとうございました。それじゃあ、また」


「こちらこそありがとうございました。はい、また」


 電車を降りたリンさんはそのまま帰る……かと思いきや、何故か振り返ってこちらを見つめていた。


 ――あれ、帰らないのかな……?


 止まっている理由を考えてから、それが見送るためなのだと気付いた途端、一気に嬉しさと恥ずかしさが込み上げる。


 去り際に駅のホームでリンさんが手を降っていたので俺も振り返した。


 やがて電車は駅を離れ、次の駅のアナウンスが流れ始める。


「はあ、夢のような時間だったな……」


 色んな意味で意識が飛びそうな時間だった。


 幸せな気持ちを抱えたまま俺も終着駅の北千住で降りて、自分の家へと帰っていった。

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