Episode9


 驚きに打たれる。

 声を出すのに、状況を理解するのに一瞬かかった。


「リン、さん? どうしてここに……?」


「この道はいつもの帰り道なんです」


 リンさんがそう言って、


「隣、いいですか?」


 と訊ねてくる。


「あっ、どうぞ」


「ありがとうございます」


 俺が少し横にズレて、リンさんが持っていた鞄を置きながら隣に座った。


 まるで、夢か幻を見ているような感覚だった。

 ダンジョンセンターの外で会うのは初めてだ。


 緊張しているのが悟られないようにと冷静を装ってみせるが、果たしてリンさんの前で効果があるのかは分からない。


「凄い偶然ですね。まさかこんなところで会うなんて」


「本当ですね。ミクルさんもいつもセンターからこの道を通って帰るんですか?」


 リンさんが俺の方へと視線を向ける。


「いえ、いつもはもう一つ向こうの道から帰るんですけど、今日はちょっと考え事をしたくて、少し遠回りをしてました」


 何となく言い辛くて、最後の方は声が小さくなってしまった。


「そうでしたか……。色々と考えたい時ってありますよね」


 俺の様子を見てリンさんは何かを察していたようだったけど、あえてそれを口に出さずにいてくれたようだ。

 代わりに、


「やっぱりまだ冷えますね」


 囁くようにそう言って、リンさんが腕を摩る。


「……そうですね、もう少し厚着をしてくれば良かったです」


 センターで見た時と同じように、リンさんは黒のニットに、ベージュのスカートの格好をしていた。

 黒のニットの生地が薄く、少し寒いのかも知れない。


 ここで格好付けるなら、上着貸しましょうか? とでも言うべきなのだろう。でも恥ずかしくてそんな言葉はでてこない。


 代わりに楽しい話をして盛り上げようと、何か適当な話題を考えてみる。

 しかしそれも緊張のせいかピンとくるものが一向に浮かんでこなかった。


 どうやら訓練の衝撃で俺のコミュ力は粉々に破壊されたらしい。

 ……いや違う、これは元々だ。

 どうしようかと俺が苦悩していると、リンさんが話し出してくれた。



 しかしその声は――どこか憂いを帯びていた。



「センターに来た冒険者の方を見送る時に、いつも思うことがあります」


「思うこと、ですか?」


「はい」


 とリンさんが頷いて、一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。



「またこの人に会えるのだろうか、って」



 その言葉に、俺はハッと息を呑む。


「いつも来てくれる人が来なくなって、悲しい報せを聞いたりすると胸が痛くなります。……昨日まであんなに笑っていたのに、もう二度と会うことができないなんて」


 静かに語るリンさんのグレーの瞳が、微かに揺れているように見えた。


「ダンジョンなんて、生まれなければ良かったのにな……」


 と呟くように言ってから、


「あ……凄い不謹慎ですよね! やっぱり今のは忘れてください」


 すぐに慌てたように訂正する。

 そしてそのまま視線を忙しく動かしてから、落ち着くまでに数秒ほど。


 俺はその間にもリンさんの言葉の真意について考えていた。



 ――思っても見なかった。だけど言われてみれば、確かにそうかも知れない。



 ダンジョンに行く誰もが生きて帰ってくるわけではない。


 決して多くはないが、モンスターにやられて亡くなったり行方がわからなくなる者もいる。


 センターを出る冒険者を見送る時のリンさんはいつも笑顔だった。


 しかしその胸中には、果たしてどれほどの……。


 ……俺は、何て言っていいのか分からなかった。


 気の利いたことも言えないし、優しく語ることもできない。

 今の俺が口にできたのはただ――


「大丈夫です、俺は馬鹿なんですぐに忘れますよ」


 そう言って俺が笑うと、リンさんもつられて笑ってくれた。


「ミクルさんはいつも優しいですよね」


「え、優しいですか?」


「はい、いつも相手のことを思って接してくれます」


 リンさんの言葉に、俺はそっくりそのまま返したくなる。


「そうですかね? 俺はリンさんの方が何倍も優しいと思いますけど」


「私なんて全然、優しくないですよ」


「いや、なんというか……。リンさんはもう、存在自体が優しいです」


 俺の意味不明な理論に、リンさんがどういうことですか、と突っ込みを入れる。

 俺自身謎理論なので、まあそういうことです、と言う他になかった。


 そんなやり取りをしながら、やはりリンさんには話しておかなければ、という思いがよぎる。


 俺が今日決めたことを話さなければ。


 もしかしたらこれで会うのは最後になるのかも知れない。

 そう思うと少し悲しくなるが、それはそれで仕方のないことのようにも思う。


 運命は決して自分の思う通りにならないことを俺はよく知っている。


 俺は覚悟を決めて、話が落ち着いた頃に切り出すことにした。



「実は……今日の訓練で一勝もできなければ、俺は冒険者を辞めようと思ってました」



 話し出してから、様々な思いが溢れそうになるのを必死に抑える。


 リンさんは何も言わずに、俺の言葉に耳を傾けてくれているようだった。


「一生懸命努力してきたつもりでした。でもやっぱり……才能がないとダメなんだとはっきり分かりました。自分の命を賭けて挑んだ勝負すらもまるで相手にならなくて……」


 そう、相手にならなかった。


 もしかしたら、という希望さえも感じさせないほどの歴然とした差。


 俺が彼らと同じ舞台に立つことは決してできないのだと悟った。


 だから、もう──


「それで色々と考えたんですけど……俺は今日で、冒険者としての人生を終わりにしようと思います」


 言い切った。


 同時に、全身の緊張が解けていくのを感じた。

 思い切り力が入っていて、きっと声も少し、震えていたかも知れない。


「……何となく、そう思ってました」


 静かに聞いていたリンさんが、そっと言う。


「ずっと悩んでいるミクルさんを見ていたので。でもミクルさんが決めたことなら、それが正解なんだと思います」


 優しい声だった。

 悔しさに涙が溢れそうになるが、唇を噛んで押し止める。


「……すみません、あんなにお世話になったのに俺は何も返せなくて」


「いえいえ。ミクルさんがいてくれて、私も楽しく過ごせましたから」


 リンさんがそう言って微笑む。

 そして、


「例え冒険者を辞めたとしても、どんなミクルさんであっても、私は素敵だと思いますよ」


 続けて言われたその言葉に、俺は照れて思わず目を背けてしまった。

 なんて返していいのかも分からず、何故かお礼を言ってしまう。


 それからしばらくの沈黙の後、自然と二人の思い出話に花が咲き始める。


 最初の出逢いから最近の出来事まで。

 そして会話が一区切り着いた頃に、リンさんがこんなことを言った。



「ところでミクルさん。私との約束、忘れてましたよね?」

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