第3話 ゆきるはバナナを食べ忘れて空港に向かう
暴漢が家に押し入ってきた。
バンっと大きな音を立てて乱暴に玄関のドアが開いた時、
本当にそう思った。
おれは、驚いて、身構える。
リビングから玄関をみると、そこには息を切らした父がいた。
サーフィンから早く帰ってきた父は、砂をパラパラ散らかしながら、リビングまでドカズカと入ってきた。
掃除好きなお母さんに小言を言われる光景が、目に浮かぶようだ。
そして、お父さんは、息も整えずに大きな声を張り上げた。
「お、おい!おい!!大変だ!!」
「え?なに?うるさいわね!」
「こっちだって、こんなことがなければ、もっと海にいたかったよ!
風はオフショアで、波は腹くらいの高さで、逗子ではめったにないくらい楽しい波だったのに」
「はぁ?!わたしは、あなたと違って、朝の準備で忙しいのよ!
ちょっと!何やってんのよ!
もっとちゃんと砂を落としてきてよ!
子供じゃないんだから!
わたしの仕事を増やさないでって、あなたに何回言ったら分かるのよ!!」
お母さんは、幼稚園に行く5歳の弟、りゅうじの支度で、お弁当を作りながら、朝食を作っているところだった。
お父さんは、ひょうひょうとお母さんの激怒をすり抜けた。
そして、すぐにテレビをつけてニュースのチャンネルにした。
お父さんは、ウェットスーツの上半分を脱いで、腰から垂らしていた。
上半身裸で、リビングの黒いフローリングにザラザラとした砂の白い足あとをつけた。
お父さんからは、強い海の香りがした。
その髪は、海の潮で焼けて、毛先が金色だった。
190cmの日本人ばなれした長身で、海にきたえられた逆三角形の肉体は、こげ茶色でカッコよかった。
てっきりケンカになると思いきや、すぐに真剣に話し始めた。
父方母方のじいちゃん、ばあちゃんに電話したり、手当たり次第スマホでだれかと連絡を取り合っているようだ。
その取り乱し方は、去年父方のじいちゃんが急に亡くなった時以上だった。
おれは、リビングのすみっこで、静かに筋トレを始める。
毎日欠かさず、腹筋と背筋50回を5セットしている。
お母さんは、テレビのチャンネルをパチパチと変えては、ニュース速報ばかり気にしていた。
「ゆきる!もう、本当にあんたは筋トレばかりして!何か準備したり、片付けたりしなさいよ!」
おれは、「準備と言ったって、何を?」と思っても、少し理不尽なお母さんに、わざわざ言い返したりはしない。
ただでさえ怒っているお母さんの火に油を注ぐようなことは、しないほうがいい。
片付けは、まあ、確かにした方がいいかもしれないけど。
「宿題やったの?ボヤっとして。小5になってから、何回担任の先生から電話があったと思ってるのよ!」
こ、これは、お父さんよろしく右から左に流しておこう。
おれは、バランスボールに座る。
インナーマッスルを鍛えながら、家の中の様子をうかがう。
こういう時は、あえてぼーっとしているように見せているほうがいい。
余計なことをしたと思われて、お母さんにぶたれたこともある。
争いに巻き込まれて、とばっちりを受けるのは、まっぴらごめんだ。
それに、自分の決めたことが通らないことがわかっていれば、何もする気が起きない。
かといって、大人に振り回されるのもイヤだ。
早く自分で全部決められるようになりたいと、いつも思う。
お母さんのお弁当作りは、卵焼きを焦がして、中断している。
焦げ臭いのはそのせいだ。
ニュースによると、主要な交通機関は、すでにパニック状態だった。高速道路は混雑し、飛行機は運休が続々と発表されていた。
「政府は、3日後に史上最大規模の隕石が地球に落下すると、発表しています。
直径150キロメートルの小惑星は、秒速20キロメートルで接近中ということです」
やっと騒動の理由がやっとわかっても、戸惑いしかない。
すでに、氷のかたまりや未知の鉱石を含んだ中小の隕石が大量にバラバラと落ちてきているらしい。
隕石をひろったらお金になるだろうか。
それどころか、大きな津波のおそれがあって、うちのような海辺の町は、かなり危ないみたいだ。
今はまだ、確かなことは何もわからない。
それにしても、なぜもっと早く隕石のことに、天文学者は気づかなかったのだろうか。
それに恐竜時代のようなことが本当に起こるなんて。
人間も、恐竜と同じように死んでいなくなってしまうのかな。
おれは、本だなから「ヴィジュアル恐竜大研究」を取り出して開いてみる。
本には、恐竜を絶滅させた隕石は直径10から15キロメートルと書いてある。
3日後の隕石は、その10倍、150キロメートル?!だって!
ドキリとして、思わず本をパタンと閉じて置く。
でも、怖いとか、不安とかよりも、なんだか本当のことではないようで、ふわふわした感じだ。何かのマチガイではないかと。
おれは、動画でみたことがある、隕石が落ちてきて、火山が噴火して、恐竜がバタバタと倒れていくシーンを思い出す。
本当に?そんなことが??
お父さんとお母さんは、学校に行くか、行かないか、まだ、そんなことを話していた。
おれは、グラグラッとしている右下奥の最後の乳歯を指で触って確かめる。
こうしているのをお母さんに見つかったら、指で触るとバイキンが入るからやめなさい、とか言われる。
でも、かゆいような違和感と痛みと、少しの快感がやめられない。
グキっとひと思いに抜けないのが、歯がゆい。
これからどうなるんだろう。
まず、今日は学校にいかなくてよくなりそうだ。
自由研究もまだしなくていいだろう。
クラスのみんなの家では、どんな感じなんだろうか。
友達を1人1人思い浮かべては、分からないことが多すぎて、なんだかどうでも良くなる。
お母さんは、朝ごはんの準備をする余裕もないみたいだ。
テーブルの上には魚肉ソーセージ4本束とバナナ5本、コーンフレーク、豆乳のパックがドンドンドンドンッと置かれた。
おれは、自分で食器を棚から出してコーンフレークに無調整豆乳をかけて食べる。
これは甘くて好きだからいいんだけどね。
おれは、食器を洗って棚にしまってから、
タンパク質をとるために魚肉ソーセージを3本食べる。
ニュースでは、海外のことも報じられていた。
アメリカのニュース番組の同時通訳だ。
「アメリカのサンフランシスコの海岸に、隕石が落下しました。そのクレーターの中央には、人類にとって未知の物質が確認されました。
直径10メートルほどのいびつな黒い金属のようなかたまりは、非常にかたく重いため、けずることも運びだすこともできず、仮設の建物で外側を囲むことが計画されています。
SNSで世界的な科学者は、この物質は新時代のモノリスになりうる。今までの科学を根底からひっくり返し、エネルギー問題、環境問題、宇宙開発の課題、食りょう問題を全て解決する可能性がある、とコメントしています。
この件についてアメリカ政府は、専門研究機関の検証が必要で、現時点では、その可能性は極めて低いと否定的な声明を出しています」
遠い国のニュースなど、おれにとっては、どうでもいい。それよりも家の中の争いのほうがはるかに重要だ。
半裸のままのお父さんは、自分が経営する人材派遣会社の役員たちとビデオ会議で必要なことを連絡しはじめた。
一番古株の取締役がオロオロしながら話を切り出した。
家に何度も食事をしにきたことがある、人の良さそうな優しい中年男性だった。
「社長、どのように対応しましょう。ば、バタバタで、とても3日では対処できません」
「役員は、家族との避難を優先して、全てをリモートで対応してください。私も関東を離れます。
スタッフ全員に一斉メールで不測の事態に対して人命を優先して行動するように伝達してください。明日以降、役員を含めて一切の業務を一旦禁止します」
「何やってんのよ!大切な会議なら、リモートでもせめて、服くらい着なさいよ!」
お父さんは、お母さんに渡された白いワイシャツにそでを通す。
パニック気味のメイクが濃い女性が発言した。
「社長、支払い関係をどうすればいいでしょうか。な、なんとか今のところ銀行は、正常に対応していますが。キャッシュは充分にありますが。一旦支払いを全て止めましょうか」
「逆です。むしろ、今日中に支払いサイトを前倒しして、給与振込と手元にある請求書支払いをできるだけ完了してください」
今度は、丸々としたヒゲの大男が汗を大量にかきながら言った。
「下期の初日ですから、今日から開始のスタッフは50名ほどいます。採用の面接も。。な、何人だったかな。今からだと、一旦やるしかないかなと思います。社長、どうしましょうか」
「今日を含めて採用、新規稼働、発注や新規契約は全て停止です。
今日から勤務スタートの人もたくさんいたと思うけど、一方的でよいので連絡してください。
取引先にも、スタッフにもそのように伝えてください」
七三分けのかっこいいスーツの男の人があわてて割って入ってきた。
「急に、そんなことをしたら信用に関わります、まず先方と打ち合わせしてから」
「いちいち打ち合わせをしている時間はありません。取引先代表者には、代表の私から連絡します」
お父さんが1番仲がいい取締役が口を開いた。この人のおかげで、おれは、この夏休みに初めてサーフィンのテイクオフができるようになった。
「非常事態です。全員、まず最優先に対処すべきことを選定しましょう。クリティカルな事項を今日中に完了することをゴールにします。優先順位に迷ったら私に連絡してください。残ったキャッシュの使い道は、社長と改めて考えます」
「ありがとう。全員、最善を尽くしましょう。一旦、これでミーティングを終了します。
まず、全員無事で。
この10年、素晴らしい仕事を一緒にできたことに、代表者として皆さんに感謝を伝えたいです。本当にありがとう。また引き続き、みなで仕事ができることを願っています。よろしくお願いします」
会議を終えたお父さんは、どっと疲れて、言葉を失って遠くを見ていた。
まだ小さいりゅうじは、ギャンギャン泣きながら、お母さんの左足にしがみついていた。
お母さんがイライラしているときは、いつもそうだった。
それでお父さんすこし言葉が柔らかくなり、お母さんは気が散って怒りが収まっていく、こともあった。
だから、小さな弟はそれでいい、ような気がした。
それがわかっているのか、泣きながらりゅうじは、しきりにこっちに目を合わせてくる。
おれは、腕立て伏せをしながら、うんうんとうなずいて、お前はそれで行けと、合図を送る。
腕立てをしながら、汗があごからポタポタとフローリングに落ちているのを、1つ、2つと数える。
突然、お父さんは、羽田空港から長野で農業をしているばあちゃんの家に向かおうと決めた。
飛行機は、飛ぶかどうかわからない。
それに、乗れるかもわからないけど、急いですぐ近くの逗子葉山駅に向かうことになった。
お母さんは、顔が3つ、手が6本に見えるくらいの速さで、出発の準備をしていた。
おれは、りゅうじの小さな頭をなでて、魚肉ソーセージを1本食べさせる。
弟は、いい仕事をしたようだ。
おれは、りゅうじの準備を手伝いながら、自分の準備もする。
お父さんは、長野にいくことを考えてか、キャンプに行くような服を着ていた。
おれは、山登りできそうなアウトドア用の服とクツ、そして、黄色と緑のツートンカラーの防水バックパックを選ぶ。去年、お父さんと2人で夏の御嶽山に登った時の装備だ。
「ゆきる!りゅうじ!そろそろいくぞ!」
「はい」「はぁい」
お父さんの呼びかけに応える時は,いつも自然と背筋が伸びる。
いつもりゅうじは、それに続いて返事をする。
リビングのフローリングは、海の砂でザラザラしたまま。
おれの部屋は、教科書や恐竜図鑑がゴロゴロと散らかったまま。
ランドセルは、まだやっていない夏休みの宿題が入ったまま。
脱いだパジャマも、クシャクシャで床に転がったまま。
テーブルの上には、食べ忘れられたバナナが置かれたまま。
おれは、急かされながら、ひきづられるように家族についていく。
こうして、おれは、家族と一緒に逗子葉山駅午前6:02発羽田空港第1・第2ターミナル行きに飛び乗った。
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