第2話 みちなのいちじくは未熟のまま木に残る

3日前、急にお母さんは、また長野の天文台で働くお父さんのところに行くことを決めた。

その日のうちにお母さんは、引越しかと思うくらいの荷物をまとめた。


そして、昨日の夕方、手際よく松本のお父さんの家に配送した。


わたしは、配送を終えてホッとしているお母さんに、何気なく聞いた。


「わたしの友達にも、どこか海抜の高いところに行った方がいいよって言っておこうかな」


「絶対ダメよ、みちな。

まだ世の中で公表されていない情報なの。

不確かなところもあるし。

混乱させてしまうからダメなの。

だから、誰にも何も言わないで」


「だってSNSでも隕石が近づいているんじゃないかって、もう拡散されてるよ。

超古代文明とか11次元の宇宙を解説しているオカルト系ユーチューバーがさわいでいるの」


「お父さんは、国立の天文台で役職をもつ天文学者なのよ。

SNSのうわさ話とは、話が別なの。

お父さんの立場が悪くなるようなことしないでちょうだい」


「じゃあ、わたしの友達が助からなかったらどうするの?」


「ねぇ、みちな、お父さんとお母さんを困らせるようなこと言わないの。

まずは、家族を優先しましょう」


「そんなのズルじゃない?フェアじゃないわ」


「ズルじゃないわ。

お父さんに感謝すればいいの。

いいわね。

さぁ、この話は、これでおしまいよ」


わたしは、全然納得できなかった。でも、逆らうこともせず、ムスっとするだけだった。

大人たちは、みんな都合よく身勝手だと、いつも思う。

それが大人になると言うことなんだろうかと、わたしは、考えることを止めた。


わたしは、仕方なく、せっかくなら楽しめるように想像してみることにした。


そうだ、松本は、楽しい。

つい、2週間前に松本に遊びに行って帰ってきたばかりだったけど、また行けるのはやっぱりうれしい。

松本城の盆おどりで五平もちを食べたり、大きな室内プールのウォータースライダーで遊んだり、里山キャンプのバーベキューで食べた黒毛和牛もスモアも美味しかった。

南アルプスの天然水で作ったかき氷も美味しかったなぁ。これでもかと、たっぷりいちごのシロップがかかっていた。あれはまた是非食べよう!


今朝になると、もうすでに、テレビは全てのチャンネルで隕石のニュースばかりしていた。


わたしは、飛行機がちゃんと飛ぶかどうかだけ気になって、ニュースをチラチラ見る。

そうしながら、もともと乗る予定の飛行機に乗れるように、急いで準備をする。


着ていく服は、なかなか決まらない。

結局わたしは、お母さんにもらった服に合わせてコーディネートすることにした。

ちょっと大人っぽいモスグリーンの長袖のセットアップに、麦わら帽子、クツはすこしカジュアルにソールが分厚めの黒いスポーツサンダルを選ぶ。

リュックには、またプールに行くかもしれないことを考えて水着も入れた。


お母さんを見ると、やはり念入りに服をコーディネートしていた。


「ねぇ、みちな、とっても可愛いわよ。私の若い頃にそっくりね」


わたしは、お母さんにそう言われるのが好きだった。

お母さんが若い時、少しだけ雑誌の読者モデルをしていたからだ。

お母さんは、お父さんと付き合い始めて、モデルをやめてしまったと言っていた。

その時、照れながら、「背が低いからモデルではどうにもならなかったのよ」と言いながら、お父さんとの出会いを話してくれた。


「お母さんもおしゃれ!その服もいつか欲しいな」


「まぁ。あなたは、お父さんに似て背が高くて羨ましいわ。もう12歳半だものね。発育もいいし。まだ小6とは思えないわ。私の服を着ても、様子がいいわね。ふふふ。なんでもみちなに取られちゃうわね」


「松本、楽しみだね!飛行機ちゃんと乗れるかな」


「本当ね。さぁ、行きましょう。お父さんが待ってるわ」


わたしは、大きめのキャリーバッグをもって家をでる。

初めて実をつけた庭のいちじくは、結局食べれなかった。

甘くなるのを楽しみにしていたいちじくは、未熟で緑のままだ。

明日は、近くのスーパーマーケットのアイスが半額の日だったのに。それは仕方がなかった。


わたしは、お母さんの手にキラリと光る指輪がうらやましかったし、手がすべすべするハンドクリームのラベンダーの香りが好きだ。

どちらもお父さんがお母さんにプレゼントしたものだ。


わたしは、少し強引にキャリーバックが段差を乗り越えて、ガリガリっと音を立てる。

お母さんのキャリーバックには、フラジャイルシールがベタベタと付いている。

きっと、わたしが生まれる前に、お父さんや友達と色々な国に行ったのだろう。

駅のエスカレーターを上りながら、お母さんの顔を見上げると、白く青ざめている。


モノレールに乗る前に天王洲アイル駅の構内で、お母さんがスマホでお父さんとしている話に、わたしは、聞き耳をたてる。


お母さんが少し泣いて、最後はすこし落ち着いているのをみて、わたしは、いい関係だなと思う。


「今日まで誰にも言わずに準備できた?」


「ええ。わかってるわ。大丈夫、誰にも言ってないよ」


「今日の朝一番で、全世界同時に情報が流れておどろいたよ。発表は、明日だと聞いていたのに」


「たしかに、思ったより早かったわね。でも、本当はだめなのに、先に教えてくれて、ありがとう。準備はできてる」


「荷物の配送、ありがとう。一人で大変だったよね。大丈夫?不安じゃない?」


「ねぇ、怖くて怖くてたまらないわ。ふるえが止まらないの。一人じゃ、頼りなさすぎるよ。一緒だったらよかったのに!あぁもう、ごめんなさい、弱音ばかりで」


「そうだよね。そばにいれなくて、ごめんね。早くこっちにおいで」


「ありがとう。今モノレールがきたわ。きっと間に合うと思う」


「わかった。空港で待ってる」


将来、わたしは、お父さんのように頼れる人を見つけることができるだろうか。

できれば、お父さんのような人で、いつも近くにいてくれる人がいいなと、お母さんを見ていて思う。


わたしが乗ったモノレールは、時々ガクンとゆれながらも、順調に羽田空港に向かっていた。


わたしは、モノレールの青い座席で、手を合わせ指を組んで、目をつぶって額を親指に押しつける。


手足の爪は、お母さんが今日は特別といって塗るのを許してくれた、薄いピンクでラメのマニキュアが光っている。

お父さんに見せるのが、楽しみでたまらない。


満員の車内は、乗客の身体から発せられる緊迫感からか、ツーンとした汗くさいような酸っぱい匂いがした。


わたしは、なんかイヤな臭いだと感じて、思わず顔をしかめる。


午前7:05、わたしとお母さんが乗ったモノレールは、羽田空港第2ターミナル駅に到着した。


モノレールが駅で停車して、ドアが開くと、乗客の半分くらいは、1秒をあらそうように、我先にとすぐに走り始めた。

パニックは、もう始まっているのだろうか。

見たことがない光景だった。


いきなり誰かが背中にぶつかって、わたしは転んだ。

お母さんは、気づかずに前に進んで歩いて行ってしまった。

ホームの床のタイルでこすれて、手の平にうっすらと血がにじんでいた。

きれいに仕上げた手足のマニキュアが、ところどころ削れてはがれてしまった。


「どうしたの?大丈夫?みちな、早く立って!」


「い"やぁーー!!あ"ー!もういや!!」


許せない気持ちがあふれ出して、わたしは、力一杯大きな声で叫んだ。

お父さんも、お母さんも自分のことばかり。

何にも楽しくないし、いやなことばかり。

私も自分のことばかり考えている。


ぶつかった人は誰だったのか、子どもの女の子にぶつかったことはわかったはずなのに、振り返る人は誰もいなかった。


わたしは、怒りと悲しみで泣くのをこらえながら立ち上がって歩き出す。

ふと、ホームで小さな赤ん坊が、母親に泣きながら抱っこされているのが目に入る。

わたしは、はっと我にかえる。

そうだ、今はだれもがガマンしているのだ。

お母さんも、お父さんも、見知らぬ赤ん坊でさえも。


空港内のコンビニは荒らされて、品物が散乱していた。

パン屋のガラスは、バリバリに割られていた。

店内は、ぐちゃぐちゃで、パンと割れたガラスが混ざり合って、散らかっていた。


「あぁ、もったいない」


わたしは、思わずつぶやいた。


ジャリジャリとガラスの破片とパンをふみつけながら、人々は走っていった。

また1人、そこで転び、血をぼたぼたと出すようなケガをしながら、すぐに起き上がった。まるで走るゾンビのようだった。


今日は、前回機内で食べたカリカリシュガーの甘いメロンパンも、バターがたっぷりでサクサクのクロワッサンも、買うことはできなかった。


幸い、リュックには、お母さんが作ってくれたお弁当が入っている。中身は、からあげとチーズとミニトマト。甘い卵焼きとコショウを効かせたケチャップご飯だった。

全部、わたしの大好物だ。


わたしは、空港の荒廃にびっくりした。

何か異常な事態になっていることに、じわじわと実感がわいてくる。


お母さんは、自分に言い聞かせるように、すこし不安げに言った。


「私たちは航空券も持ってるし、WEBでチェックインも済んでいるから大丈夫よ。

お父さんが3日前に座席を取ってくれてるから。

お父さんに会ったら、みちなもちゃんとお礼言うのよ」


「うん」


わたしは、もう、そう言うしかない。

自分もどんどん自分のことばかり考えるしかなくなっていくのが、ただただ怖い。


お父さんの所にさえいけば大丈夫。

わたしは、もう強くそう信じるしかない。

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