Case.4 失われた国

4-1

 亀裂のような狭い通路を抜けた先、墓所は思いのほかひらけて明るく、暗がりを進んできた目にはいくらか眩しく感じるほどだった。壁面に点々と灯された篝火が同じ方向へなびいて、こんな地の底にも空気の流れがあることがわかる。

 天井は一点で交差する三本のアーチが支え、これが連続して螺旋状の回廊をなしていた。見渡すと実は全体が大きな縦穴になっており、回廊はその側面を彫り込んで作られている。中央には二人ぶん腕を広げたほどの吹き抜け、空洞は遥か下方に落ち込んで侵しがたい闇が凝っている。

 後ろで扉を閉じて戻ってきたマリスが、再び先に立ってゆっくりと回廊をのぼりはじめた。

「長居はおすすめできませんので、地上に出るまでは足を止めずにお願いします」

 この途方もない空間が、ただ死者のためだけにあるというのがサフィルはどうも気に食わなかった。アーチの脚はそのまま回廊と吹き抜けを隔てる柱となり、国の成り立ちを歌う詩やら鎮魂のための呪言やらが実用から離れて久しい祖ラスタ語で延々と書き連ねられている。もちろんいずれも趣向を凝らした飾り文字に仕立てられ、この霊廟の装飾にひと役買っているわけだが、すべてを情報として受け取る者がいるとは思いもよらなかったのだろう。ひとりひとりの王に対するものならまだしも、国や権力といった実体のないものに向けて形式的に綴られた賛辞が行き場をなくして渦巻いている。生身の人間に対する呪いのほうがよほどましだ。言葉と言葉の力に対する敬意がある。

 案内役のマリスはもちろん、アールもこの場所の異様さは気にならないようす。ところが何気なくレインに目を転じたところ、待ってましたとばかりに爛々と輝く瞳とまともにかち合ってしまった。

「思ったより読めますね」

「勤勉でけっこう」

 どうやら読める文字が増えて興奮しているらしい。読むならもう少し面白いものにすればいいのにと思わないではないが、見目の良い若者が楽しそうに学んでいるのを見て悪い気はしない。これまであまり考えたことがなかったが、他人と価値を分かち合えるというのは存外いいもののようだ。

 外気に呼応しているのか、時折風がぼうと鳴る。螺旋をのぼり続け、何度目かの風鳴が聴こえたときにマリスがぴくりと反応した。

「きましたね」

「これかい?」

「これです」

 レインも足は止めずに耳を澄ました。かすかに笛のような音がしたと思うと、だんだんと太くなって人の声に、幾重にもかさなった女の声に変わる。音階とも違う抑揚、辛抱して聞いていると似た音の繰り返しもあって、どこかの言葉なのは間違いない。時折高い音がまじる切迫した調子は何かを訴えているようにも聞こえる。

「これがずっとですか」

「見回りの間は」

「たしかにきついですね」

「なるほど、心を病むわけだ」

 気味悪そうに言うアールがマリスに並びかけ、歩調を合わせると自然と全員の足取りが早まった。

「きみは平気なの」

「気にならないと言えば嘘になりますが、それほどでも。おかげで、このひと月で二階級昇進しました」

「特進じゃないか。ある意味もう人ではないね」

 アールの軽口に、マリスは真面目に答える。

「自分には疚しいところもないですし、声だけで直接害をなすものでもないようなので」

「うん、君この仕事向いてるよ」

 マリスもアールも足が長い。レインは遅れまいとして歩調を早めた。その間も女の声は止まず、いよいよ耳の奥でとぐろを巻き始める。感情的な響きよりも、努めて音節だけを聴き取れないかと躍起になって、ひとつ減った足音に気づくのが遅れた。

 ふっと気になって、うしろを振り返る。

「どうしたんですか?」

 少し離れたところで、腕組みしたサフィルが難しい顔をして首を傾げていた。全員が足を止めると、心底困惑した様子で呟いた。

「お前たちに言葉とわかるものが、僕にわからないことはないよな」

「腹の立つ言い方だけど、まあ、そうだろうね」

 腰に手を当てたアールも渋々ながら同意する。すると、サフィルが思いがけない告白をした。

「じゃあ、僕にだけ、顔のない女の声が聴こえない、ということだな」

「うそだろう」

 一斉に視線を浴びたサフィルは、途方に暮れるか、いっそ開き直ったような気の抜けた顔で口の端を曲げた。



「さてどうしようか」

「やっぱりただの亡霊騒ぎなんじゃないのか」

「言ったろう、退魔士では歯が立たなかったんだよ」

「だいたいあそこはうるさすぎる、書かれた文言みんな僕が相殺してやろうか」

「そんなことしたらいよいよ出禁じゃすまないだろう」

「なあレイン、やってみるか」

「え、俺ですか。できるかなあ」

「できるかなあじゃないよ」

 好き放題言い合う三人を前に、壮年の警備隊長が腕組みして天を仰ぐ。厚い胸板に太い腕、暴漢相手なら負ける気はしないが、実体のないものをどう相手取ったら良いものか。次々に心を病む部下たちをはじめは不甲斐ないと叱咤したものだが、鍛え上げられた心身を以てしても太刀打ちできない現象はたしかに実在するらしい。陛下に対する魔法使いの進言もあり、多少の因縁には目を瞑って自称専門家の前科者を呼び寄せたものの、その当人が肝心の怪現象が認識できないという。

 眉間の皺はいよいよ深くなり、喉から知らず知らずのうちに唸り声が漏れた。

 警備隊詰所の最上階にある隊長室は見事に煮詰まっていた。想定外の事態になぜか猫を三匹抱えて落ち着こうとするアール、諦める口実を探すサフィル、なぜか膝の上で書き物に夢中のレイン、いまのところ誰一人有効な手立てをもっていない。

 直立不動のマリスだけが、冷静に状況を見ていた。

「よろしいでしょうか」

「なんだ」

 隊長の苛立った声に怯むことなく、ただ簡潔に思ったことを口にする。

「時間が解決する、ということもあるのでは」

 その声は不思議とよく通って、全員がふっと顔を上げた。

「明日も明後日も、気が済むまでおともしますよ」

 そう言って、マリスは鉄仮面の如き表情をわずかにゆるめる。

「幸い、私はこの仕事に向いているようですので」

 彼のこの覚悟を目の当たりにして、サフィルはもう逃げられないことを知った。

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