3-4

 大陸に最大の版図を誇るウルラ、王都ウルラト。別名を月の都という。

〈白の山脈〉の絶壁を背後に控えた灰白の宮殿は、山ひとつをまるまる削り出したものだと言われる。巨大かつ精緻な彫刻の頂点は天を衝く六角の塔、付き従うように官府の楼閣が連なり、その裳裾は市街地へと続く。初めて目にした者には、まるで山が崩れて流れ出しているように映ることだろう。どの建物も道でさえも、山肌と同じ角のとれた白が青い影を落としている。

 これほどの都市ともなれば交通量も桁違いで、戦いは列車を降りるその瞬間から始まっていた。広大な敷地に並ぶ幾筋もの線路、にもかかわらず踏切らしきものは数えるほどで、人々は辛うじて駅舎と呼べる大屋根の下を命からがら駆け抜けていく。貨物と人がぶつかって渋滞を起こし、ほうぼうで列車の警笛が鳴り響く。飛び交う怒号は客のものか駅員のものか、遠慮などしようものなら一生抜け出せない混沌の坩堝である。

 アールの白い姿は大型の水鳥のごとくどこにいても目立つが、彼は後続を気遣うことがない。久々の王都にまごついているサフィルに、先を行くレインのフードがさっと振り返って手を伸べた。あまりにさまになっているのが腹立たしくてはたき落とすと、むっとしたのか荷物の大半を奪い取られてしまう。呆気にとられたサフィルをよそに、レインは自身の荷物と合わせて軽々と背負い直し、若者らしく思い切りの良い足取りでアールの背を追いかけていった。

 次に来る流れを読んで、流れるように身を躱しながら顔は遠く前を向いたまま。レインは人混みのやり過ごし方に慣れている。その背をぼんやりと追いながら、どこか垢抜けた感じは街育ちに由来するのかもしれないとサフィルは思った。特に詮索する気はないが、そう考えるといろいろと合点がいく。頑なに髪と顔を隠そうとするのも理由があるのだろうが、このほうが騒動が少なくていい。目立つのはアールだけで十分だ。

 なんとか線路の大河を渡りきり、とうとう月の都に足を踏み入れると、その先に見慣れた制服が立っていた。飾り気のない金青のお仕着せは、ウルラトの影に容易に溶けこむ。神出鬼没で知られる王都警備隊のものだ。

「やあ」

「お待ちしておりました、が、突然寄越した猫に喋らせるのはやめてください」

「驚かせたかな」

「もう慣れましたけども」

 色の濃いまっすぐな眉が印象的な彼は、アールとはずいぶん気安い間柄のようだ。同じ制服の男がさらに二人、サフィルたちの荷物をまとめて引き受けると速やかに街の雑踏へ姿を消した。先に滞在先へ運んでおいてくれるらしい。

「早速ですがご案内します」

 青年はマリスと名乗り、挨拶もそこそこに先に立って一同を促した。

「まったく忙しないね」

「お疲れのところ恐れ入ります」

 アールは文句たらたらだが、マリスは慇懃に返答して動じることもない。サフィルはこの男の実務的なところに好感をもった。よけいな間ももてなしも不要。ここへは仕事をしにきたのだし、長居をする気もない。ウルラトに魅力があるとすれば大きな書店街くらいで、せっかく来たのだから存分に漁って帰るつもりでいるが、そのためにはとっとと仕事を終えて相応の報酬をいただく必要がある。話が早いぶんには大歓迎だ。

 マリスは訓練された美しい足運びでサフィルたちを導いた。まもなく手入れの行き届いたおもて通りから逸れて薄暗い路地へ入り、道を下へ下へとゆるやかにくだっていく。街の中央、宮殿の方角に向かうなら上り坂のはずだ。日暮れにはまだ早いというのに、あたりはどんどん暗くなり、道幅も角を曲がるたびに細くなっていく。

 明かりはマリスが手にした水晶柱がかろうじて足元を照らすのみ。なんとかものの輪郭がとらえられるほどで、あまりの暗さにレインもフードを脱いだ。すうと吸い込んだ空気は嗅いだことのないものだ。しんと冷えた石の気配ばかりで、街の裏側に淀む水たまりや食べかす、食事や風呂の湯気といった、ひとの暮らしが放つ臭気がまるで感じられない。やがて、薬草を混ぜ合わせて焚いたような複雑な香気とかすかな火のにおいが漂ってきたが、それすら幻のような気がしてくる。

「レイン、お前いまどこに向かってるかわかるか」

「俺もさっぱり」

 道を形作る壁はいよいよ高くなって、低く抑えたサフィルの声も心なしか響いて聞こえた。

「ウルラト育ちでもだめか」

「はい……あっ」

 考えごとに気を取られて油断していた。はっと振り向いたら目をそらされて、レインはサフィルに嵌められたことを知った。目の前で揺れる肩に、すうと背筋が冷える。

「なんで」

「いやべつに。ただちょっと気になってな。何をしでかしたか知らないが、まるで見知らぬ土地でこそこそすることもないだろう」

 サフィルの口調には屈託がない。わずかな光にレインの睫毛の金が瞬いた。

「……そうか」

「お前おかしなところで抜けてるな」

 いくらかショックを受けた様子にサフィルがくつくつと笑っていると、アールが「なんだか楽しそうだね」と振り返った。

「やかましい。こっちの話だ、構うな」

「レインのことだろう。なんとなく身元の見当はついているんだが、当ててもいいかい?」

「いらん。お前は余計なことを喋るな」

「つれない!」

 サフィルがばっさり切り捨てたことで、レインは知らず詰めていた息をそっと吐き出した。外套の内側で握った紙片には、覚えたての古代語で〈霧〉のひと文字。気休めていどのまじないだが、持ち主を人目につきにくくさせる力がある。

 この街に戻ってきたことを、誰にも知られたくなかった。本当は、こうしてついてくるのにもずいぶんと勇気が要ったのだ。

 ただ、サフィルの態度に接していると、己がずっと囚われていたものが取るに足らないことのようにも思えた。いや、実際そうなのかもしれない。世界にはまだ外側があって、レインはいまようやくひとつ抜け出たところ。きっとまだ外側があるのだと思えるのは、サフィルとの出会いによるところが大きい。

「着きました」

 影のゆらめきがやみ、マリスが足を止めたのがわかった。危うく玉突き事故を免れたレインが目を上げると、行き止まりに施された細かな彫刻の複雑な陰翳が浮かび上がった。マリスのわずかな身動ぎに応じて揺れ動くさまは、まるで無数の蔦が蠢くかのようだ。

「怖いかい」

 アールが茶目っ気たっぷりに振り返って、レインは反射的に首を振った。一方、サフィルは正直に答える。

「僕は嫌だね。こういうところに刻まれた文句はどれもこれも説教臭くて嫌いなんだ」

「おや、ここがどういう場所か知っているふうだな」

「わかるさ」

 サフィルの声音は嫌々ながら確信に満ちていた。

「王墓だろう。扉の文字を見ればわかる」

「ご名答」

 アールが軽い口調で応じたところで、マリスが奥の壁をぐうっと押した。

「仰るとおり、ここには歴代の王が眠っています。どうぞお静かに。そして、ここでのことは一切他言されませんよう」

 開いた隙間に薄く風が通う。複雑な香気がいっそう強くなって、異界への扉が開かれる。

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