3-2
王室関係。
この言葉にサフィルはぴくりと眉を上げ、レインはシチューを啜ったまま目線を上げた。
「おや、驚かないね」
「出禁はとうの昔に解けてるしな」
「違うよ」
白い魔法使いはサフィルの言葉を遮ると、意味ありげな笑みで顎をしゃくる。
「そこの綺麗な坊やのほう」
「俺ですか」
ご指名を受けてレインも匙を置いた。王室から出入り禁止を食らうほどのサフィルの過去とは一体。そちらのほうが気になったが、相手は身を乗り出して手を差し伸べてくる。
「名乗るのが遅くなったね。私はアール、国家上級魔法士の三つ星を拝命している」
「……レインです」
太く響く声に、全身から発する静かな圧力。彼の肩書はレインの予想を超えていた。国家上級魔法士といえば王室お抱えと言ってよく、本来こんなところにいるはずもないのだが、星の数は位の高さに比例する。こうして気ままに行動している時点でお察し、ということだろう。
握った手は、魔法使いというには熱く、分厚かった。
「やっぱり驚かないね」
「そんなことは。だって、見るからに魔法使いってかんじですよ」
自分の声の細さがいやに頼りなく感じる。レインは如才なく微笑み返しながら、改めて相手を観察した。
カラカラのサフィルとは違ってしなやかな体躯は豹のよう。さきほどまでの姿は文字通り猫を被っていたのだろう、にこやかだが瞳の奥にのぞく光の冷厳さは、レインにとってもっとも馴染み深いものだ。
対象を値踏みする強者の視線。
特に今まで訊かれなかったのでサフィルにも明かしていないが、レインの実家は国内でも指折りの商家だ。もちろん宮殿への出入りもある。直接の関わりはなさそうだが、この男が王都からやってきたならばレインの家のことを知っていてもおかしくない。
もちろん、〈無用の三男〉のことも。そう思うと、少し肝が冷える。
素性を隠すつもりはない。ただ、サフィルにはおかしな伝わり方をしてほしくなかった。どこまで把握されているのか、アールの溌剌として見える笑顔からは裏が読み取りにくくて、レインは笑顔が引きつりそうになるのをすんでのところで堪えた。どうにも苦手な相手だ。自分に似ている気がするからなおさら。
レインの翳りを、サフィルは見逃さなかった。
「おい」
なんだかよくわからないが、レインにアールは良くないらしい。生気を吸い取られたような顔を見ていられず、憤然とレインの頭を鷲掴みにして引き戻す。
「ただの居候とはいえ、僕の家に置いているうちは手出しさせないからな」
口をついて出た牽制の言葉に、睨み据えられたアールは目を丸くした。
「きみ、そういうこと言うんだね」
かたやレインはサフィルの掌の下で感極まっている。
「先生……!」
「おい、無駄にときめくな」
「ときめいてはないけどちょっと感動してます」
「よし」
このやりとりに、アールは珍しいものを見たというように片眉を上げた。
「なんだ、ずいぶん仲良しじゃないか」
「仲良し……?」
言われた二人は揃って首を傾げて顔を見合わせる。その様子が鏡写しのようで、アールはとうとう笑いを堪えられなくなった。腹の探り合いを吹き飛ばす明るい笑い声が響く。
「いいね、いいよ君たち。対人関係に免疫のない童貞学者が美青年の人たらしに誑かされてるんじゃないかと心配してたんだけど、どうやら杞憂のようだね」
「なんか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするぞ」
「先生、童貞なんですか」
「違う、そういうとこだけ目ざとく拾うんじゃない!」
サフィルは耳を真っ赤にしながらシチューの具のみ平らげると、残したスープを皿ごと床に置いてタタンを呼び寄せた。猫はすらりとした尾を持ち上げてしれっと歩み寄り、舌でぴたぴたと掬いはじめる。タタンのこの動じなさがサフィルの心の安定に一役買っているらしいと、レインもそろそろ察しつつあった。
「相変わらずだねえ」
「なんだよ」
感心と呆れがないまぜになった口調のアールにサフィルが噛み付く。
「きみ、自分が何言ったかわかってないんだろう」
「やかましい、自分の言動くらいちゃんと理解している」
「これだからなあ。まあいい、本題に入ろう」
伝達手段としての言語、言葉がもつ懐の深さと感情の機微についてサフィルに説いても無駄だと、長年の付き合いで知っている。アールはすっかりぬるくなってしまったシチューに同じくぱさついたパンを浸しながら、先程からおとなしくしているレインの様子を盗み見る。
(誑かされているのは、こっちの彼のほうかもしれないね)
華やかな見た目に反し、なかなかどうして危ういところのある若者だ。彼の素性にも、またその危うさのわけにも心当たりはあったが、旧知の友は余計な手出しを好まないだろう。サフィルが他人と積極的に関っている貴重な事例を前にして、しばらく様子を見ることにしたアールであった。
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