Case.3 青影の都
3-1
「あれ」
エンマの家で食事をご馳走になった二人がほかほかのまま帰ってくると、蔦の絡んだ門柱の上、目にも鮮やかな瑠璃色の小鳥がとまっていた。
「何か用か」
「ツピ!」
サフィルと小鳥のやり取りに、レインは目を丸くする。さらに小鳥は胸毛をうんと膨らませるなり、野太い男の声で喋りだした。
『サフィル、きみに耳寄り情報を持ってきたよ』
「偉そうに。どうせろくな話じゃないんだろう」
ちょんちょんと飛び跳ねる小鳥にサフィルの腕が空を切る。
「ええい忌々しい」
「ツピピ!」
小鳥はまるで捨て台詞のように強く囀り、サフィルの顔面で羽ばたいてそのままどこかへ飛び去ってしまう。レインはあまりのことに呆然としつつ、家主の前髪に絡んだ羽毛をそっと取り除いてやった。
「なんだったんですかいまの」
「……今日は誰が来ても中に入れるんじゃないぞ」
「えっ」
「あれは先触れだ。もっと厄介なのがあとで来る」
「はあ」
どっと疲れた様子のサフィルに、レインの困惑は深まるばかりである。
宵闇の気配に万物の境がとろける日暮れ時。
レインは調理台に向かい、夕食の支度に取り掛かっていた。
エンマの不在を補ってのことである。サフィルも通り一遍の家事はこなすし、普段なら他人に任せきりということもないのだが、本来あまり人と関わらないたちだから今日は活動限界を超えたらしい。居間のソファですっかり伸びてしまって今に至る。
ざっくり刻んだ玉ねぎにんじんセロリとじゃがいもを大鍋で炒めて、たっぷりの水を加えたら下処理を済ませた鶏の半身を丸ごと放り込む。沸くまでのあいだ、サフィルの本棚から異国語の書物を拝借してぱらぱらとめくる。時折サフィルの書き付けが挟まっていて、きっと有意義なことが書いてあるのだろうが例によって読めないので泣く泣くやり過ごす。辞書を頭から飲み込んでもいいが、祖先を同じくする言語には共通点も多い。どうも文章のなかで類推しながらのほうがその言葉の本性に迫れるようで、こういうことはここへ来てサフィルの真似事を始めてから知った。
自分で経験してつかんだもの。自ら学ぶことの楽しさを、遅れてきた青春を、レインは静かに満喫している。
鍋が沸いたら一度火からおろし、アクを取り除きつつ火の勢いをおとす。保冷庫に入れておいたせいでかちかちのバターをなんとか切り分け、溶けた野菜とあわせてとろみ付けしてから、弱めた火の上に再びかける。
買ってきたパンを斜めにスライスして軽く炙り、燻製肉も必要なぶんだけ温めてスライスする。脚にするりとまとわりつくものがあって、見下ろすとタタンの尻尾が名残を惜しんでいるところだった。物欲しげに見上げる金の瞳に抗えず、燻製肉の切れ端をつまんで与える。
そこへ、見覚えのない白い影が現れた。
黒く染まった鼻とアイスブルーの瞳をもつ、雪のような白猫、なめらかなタタンの毛並みと比べてふんわりと空気を孕む長毛が淡く光るようだ。タタン専用の扉から一緒に入ってきてしまったのだろうか。レインの手にぐいぐいと頭を擦り付けるので、ひと撫でしてからこちらも肉の切れ端を与えてやる。
本格的な冬はまだこれからだが、夜はそれなりに冷える。一晩くらい別に構わないかとひとまず保留にして、家主の判断を仰ぐことにした。
「夕食、できましたよ」
サフィルの肩を軽く揺すってから、積まれたままの書類を端によけて食卓を調えていると、四脚ある椅子のうちひとつにひょいと白猫が飛び乗った。余所者の分際で、なかなかに図々しい猫である。タタンはといえばどこ吹く風で、暖炉の火明かりに照らされてまどろむばかり。
そこへやっとサフィルが目を覚ました。
「……小僧、誰も入れるなって言ったよな」
「誰も入れてないですよ俺」
「そうか。そうだよな、お前は悪くない」
寝ぼけているのだろうか、サフィルはぼさぼさの頭をかきむしりながら深い溜め息をつく。
と、レインのそばに大きな影がさした。体温の気配に振り返り、思わず目を疑う。
「相変わらずここの護りはザルだねえ!」
白猫がいたはずの場所に、大柄でいやに陽気な男が腰掛けていた。猫の毛並み同様、雪のように白い頭巾付きの長衣をゆったりとまとい、アイスブルーの瞳に銀泥の短髪。忽然と現れた彼は、両肘をついてにこにこしている。
「あんたが規格外なんだよ」
「暗いなあ。せっかく楽しい話を持ってきたのに」
「俺とあんたとでは楽しいの基準が違う気がするんだがな」
謎の男はサフィルの剣幕をものともしない。状況がまるで読めないレインは、考えるのをやめて食事の用意をもう一組分追加する。
「わあ、気が利くねえ」
「少しは遠慮したらどうだ」
「立場は私のほうが上だよ。それに、この私がただで帰ると思うかい?」
脅迫じみた笑顔に、とうとうサフィルのほうが匙を投げた。
「勝手にしろ。だから魔法使いは嫌いなんだ」
言い捨てると、自分の椅子とその隣の椅子を引いてレインにも着席を促す。
「つまらん話だったら叩き出すからな」
「善処しよう。本当に悪い話じゃないと思うよ。なんたって王室関係の依頼だからね」
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