第5話 最後の作戦 ①

 プールでの作戦失敗から一週間後。

 早苗は悩んでいた。

「遊びにいらっしゃらない?」

 その言葉の真意を取りかねていたからだ。

 彼女、いや、彼は私のことをどう思って家に招くといったのか。

 わからなかった。

 そもそも、莉瑠香が自宅に学園の誰かを呼んだという話は聞いたことがなかった。

「いや、それよりもこの前の失敗の要因分析よ」

 早苗は頬をぴしゃりと叩き気持ちを切り替える。

 ルーティン。

 早苗の頬叩きは思考切り替えのためのルーティンである。

 高まる集中。

 高まる意欲。

 まずマジックハンドは確実に水着を捉えていたにも関わらずなぜ外れなかったのか。

 マジックハンドは最大一トンまでの力に耐えられるように設計されている。

 さすが日本製である。

 しかし莉瑠香はその力をものともせず、水着そのままに泳いだ。

 ここで早苗は莉瑠香に頬を触れられていた時のことを思い出す。

 水着は確実に水着だった。

 ボディペイントの線も考えたが、それならばそもそもあの胸を維持できない。

 ならばなんなのか?

 丁寧にその時のことを脳内で映像化し、優しく撫でるようにして観察した結果行きついた答えはまたしてもシンプルだった。

「フィギュアスケート的な?」

 そう、莉瑠香の水着は一見普通の水着なのだが、よくよく見ると肌の露出する部分には肌と同じ色の素材が縫い付けてあったのだ。

 もちろん、上お嬢様らしくその素材はすこぶるに質がいい。

 その素材の質は肌と何ら変わりなく、遠目に見ている限りは気づけないだろう。

 今回、莉瑠香が触れるほど近くに来たからこそ気づけたのである。

「さすが上お嬢様ね。自身の身バレ対策に寸分の隙もないわ。いやでも気づいたからと言ってもう意味はないわね」

 残念ながら第二作戦決行の失敗と壁の損傷により、今年のプールの授業は強制的に終了してしまったのだ。

 この情報が生かせるのは来年を待たねばならない。

 そこまで来るともう彼女の卒業は目の前。

 もはや一年待つことに意味はなかった。

「でもだからこそ家に行けるのはチャンスよね」

 早苗は前を向く。

 早苗はポジティブでいることに努めている。

 そのポジティブさはベッドメイキング担当の使用人にも伝わっていた。

 早苗のポジティブさによって毎日張りのあるベッドメイキングをしよう、そう思えた。

 早苗は早速次の作戦実行へと取り掛かった。

 莉瑠香邸への訪問は今週の土曜日。

 残りあと五日。



「ようこそ、おいでくださいましたわ」

 土曜日の昼過ぎ。

 早苗は莉瑠香邸へと着いた。

 玄関のドアが開かれると同時にあの階段のとき、そしてプールのときに感じた匂いが体中を包み込んでいった。

「こちらこそお招きいただきありがとうございます」

 早苗は兄以外の匂いに包まれたことに心が重くなりつつも、これは兄を思うために必要なことだと言い聞かせて中へと足を踏み入れた。

「奇妙な縁ですけれども、縁は縁。今日は一日楽しみましょう」

 言って、莉瑠香は早苗の手を引いた。

 その手はよく手入れをされており、そこから男を感じ取ることは全くできなかった。

 だからこそ早苗は決意を固める。

 皆を欺き、そして私の思いを踏みにじるこの男を許してはいけないと。

 二回助けられたからと言ってそれは彼に起因することであり、気に留めてはいけないと。

 固く決意をした。

 


「それでね、私の執事ったら……」

 早苗が足を踏み入れ一時間。

 アフタヌーンティーを取りながら二人は会話を楽しむ。

 莉瑠香はよほど楽しいのだろう。

 普段とは異なり、ややラフな笑い方、そして話し方をしている。

 いやむしろこちらが本質なのだろう。

 上お嬢様としての格を保つためにどれほどの苦労をしているのか。

 同じお嬢様として早苗は十二分に感じ取ることができた。

 きっとこうやって他人と気軽に話す機会が欲しかったのかもしれない。

 そう、感じた。

「って、騙されては駄目ですわ。あの方はあくまでも男。いくら上お嬢様として努力なさっていてもそれとこれとは話が別。」

 トイレを拝借した早苗は頬を叩く。

 第三作戦実行に変わりはない。

 早苗は今日何度目かわからない覚悟を決める。



「お待たせしてしまいましたわ」

 早苗はトイレから戻ると再び椅子へと座った。

 今回の作戦は第三者を巻き込むことなく実行する。

 二回の作戦に関して、自身の危険はともかく、他者へとその危険が及ぶことはやはり避けたかった。

 お嬢様として。

 いや、一人の人間として。

 第三の作戦。

 それは、早苗自身が目撃者となることであった。

 自宅に早苗を招いたということは何らかの特別なとまでは言わなくても、それなりに親しみの感情を抱いているのは間違いないと早苗は踏んでいる。

 だからこそ、今日ここで彼女の秘密を暴き、『初めて』知ったという体を取れれば莉瑠香自身を責めたて、学園をやめさせることができるかもしれない。

 そう考えてきた。

 そのために、彼女は行動を起こす。

「あの、失礼でなければ莉瑠香さんのお部屋を見せていただけませんこと?」

「私のお部屋ですか?」

「はい。最近私、模様替えをしているんですけれど、なかなか納得のいくものになりませんの。それで莉瑠香さんのお部屋を参考にさせてもらえればと……」

「そういうことでしたらもちろんですわ」

 莉瑠香はすっと立ち上がり、早苗に手を差し出す。

「さあ、こちらへ」

「……はい」

 早苗は胸が少しだけ高鳴ったのに気づいた。

 その高鳴りの正体が何のか、気づかないふりをして彼女は『彼女』の手をとった。

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