第4話 上お嬢様 京本莉瑠香 ④

 数時間後。

 莉瑠香のクラスのプールの時間帯。

 相も変わらず水の減りが早い。

 クラスの九割の生徒がばれないように水を啜っている時間帯。

 莉瑠香はいつものようにクロールでそのしなやかな四肢を伸ばす。

 目は莉瑠香に、口はプールに。

 クラスにおける秘密の合言葉。

 彼女の泳ぐコースはいつも決まっていた。

 第八コース。

 プールサイド傍のレーンを彼女はいつも泳いでいた。

「お気楽なものよね。これから秘密が暴かれるとも知らずに」

 そんなターゲットの様子を早苗は自身の国語の授業を受けつつ、この日のために開発した特殊なコンタクトを着用して確認していた。

 早苗も莉瑠香同様、真面目である。

 授業をさぼるなど考えもつかない。

 そんな真面目な姿勢が周囲に評価されていることを早苗はまだ知らない。

 いや、知る必要はないのだろう。

 己と向き合うことが人生。

 周りの評価ばかりを気にしていては自分の人生を歩んでいけない。

 そう、国語担当の初老の先生は早苗の真剣な目つきを見て思う。

 将来が楽しみだ。

 そしてその時はやってきた。

 莉瑠香がプール端まで泳ぎ、ターンをした瞬間、早苗の仕掛けたトラップが発動する。

「行け、水着巻取り―の君一号」

 そう、早苗は中二病を脱したいと思いつつも素の自分のセンスがダサいことにも気づいている。

 今回のネーミングも中二病を抑え込みつつどんなに脳を捻り上げても巻取りーの君以外出てこなかった。

 そんな自分を素直に愛してほしい。

 そう、隣の席の神田さんは思っている。知らんけど。

 ターンした莉瑠香に迫ったのはプールの側壁から生えるようにして現れた二本の日本製のマジックハンド。

 そのマジックハンドは素早く伸び、そして彼女の水着の肩かけ部分へと迫った。

 水着を上半身から引きはがすために。

 スカートは二枚履きに負けた。

 しかし、これならば二枚着ていようがいまいが関係ない。

 さらには、水泳の時間帯なら取り巻きもやや距離をとりひっそりと水を啜っている。

 そしてなによりも取り巻きが遠い分、目撃者もより多くなる可能性が高い。

 完璧な作戦。

 早苗はそう信じて疑わなかった。

 その時までは。

「え?」

 早苗はすぐさま異変に気付く。

 マジックハンドは確実にターゲットを、そしてターゲットの水着を捉えている。

 なのに一向に水着が脱げる気配がない。

 それどころか、莉瑠香はさらにその勢いを増すようにして手足の動きを速めていく。

 さらに強まるマジックハンドの力。

 しかし、その日本製の屈強なハンドに掴まれながらも莉瑠香の水着は微動だにしない。

 莉瑠香の泳ぐ体の軸もぶれない。

 やはり彼女は世界を狙える。

 その泳ぎを見て体調不良の体育の先生の代わりに入った理科の先生は確信する。

「どうして?」

 そんな早苗の疑問に解が出るよりも早くマジックハンドは伸びないはずの部分まで伸び始めた。

 水が減っていることもあり、マジックハンドはその姿を徐々に露出させる。

 上がる火花。

 立ち上る煙。

 周囲が異変に気づき始めているにも関わらず、莉瑠香は上お嬢様であるがゆえの集中力でその泳ぎを緩めることはない。

 さすが、上お嬢様である。

 そしてとうとうマジックハンドは側壁から勢いよく剥がされ、宙を舞った。

 マジックハンドが設置されていた側壁の一部も勢いよく宙を舞う。

 まるで熟練の社交ダンスペアのように、はたまたアイスダンスのペアのように息の合ったそれらは小気味のいい回転をしながら、なんと早苗のいる教室へと飛んで行く。

 プールの場所はちょうど早苗のいる教室の真横にあった。

 いくらお嬢様学校とはいえ、大都会東京の都心付近で漫画みたいな敷地を確保することは難しかったのである。

 人口密集地・東京。

 お嬢様達は今日も人ごみの中で自身を強く持ち生きる。

 それはさておき、そう、特殊なコンタクトなど使わずとも視力両目ともに2.0の早苗なら十二分に横目でも莉瑠香の状況を確認できた距離である。

 早苗は作戦に溺れるきらいがあった。

「ちょ、ちょ、ちょ」

 慌ててコンタクトを外し、外を見る早苗。

 その目には仲良くいらっしゃいしているハンドと壁の一部。

 このままでは教室に、しかも早苗のいる場所にピンポイントで落ちてくる。

 早苗は恐怖のあまり動くことができない。

「危ない!」

 次の瞬間、飛んできていたハンドと壁はその方向を変え、校内のゴミ捨て場へと飛んで行った。

 何が起きたのか理解できず混乱していた早苗は、周囲の黄色い歓声によってその存在に気づいた。

「莉瑠香……」

 またしても早苗のピンチを救ったのは莉瑠香であった。

 莉瑠香は飛んで行ったハンドと壁が校舎に向かっていることを察知するとすぐさまプールから上がり、飛んで行った方向に向かって走り出したのだ。

 そして追いつくや否や得意とする飛び膝蹴り・二連撃をハンドと壁に見舞ったのである。

 さすが上お嬢様。

 膝の強さも足のバネも一流である。

 その日以来、膝を鍛えるジム、通称膝ジムが盛況となり全国に乱立するのはまだ少し先のお話。

「大丈夫?」

 莉瑠香は窓越しに早苗を心配そうに見つめる。

「あら? あなたはあの時の。また災難が身に降りかかってしまわれたのね。ん? そういえば以前木陰から私を見ていらしたのもあなたよね?」

 クスリと笑いながら、そっと莉瑠香は早苗の頬を優しく撫でる。

「っ……」

 早苗はその指を振り払うことなく甘んじて受け入れた。

 そう、早苗は道徳の授業が小学校の頃より好きであった。

 そうであるがゆえに人の好意からくる行為を無下にはできないのだ。

「そうだ。これも何かの縁ですわ。あなたお名前は?」

「八頭司早苗です」

「八頭司さん、私の家に遊びにいらっしゃらない?」

「え?」

 早苗は、断れない。

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