第2話 上お嬢様 京本莉瑠香 ②

 莉瑠香が学園内にいる間は常に誰かしらが周囲にいる。

 最も近くには生徒、遠巻きには警備する側近。

 早苗が莉瑠香の秘密の決定的証拠を学園内で確保するにはこの二つの壁をなんとかしなければならなかった。

 特に取り巻きの生徒群はもはや一つの共同体のように機能しており、莉瑠香の動きに合わせて水平方向にその形を変える。

 そして、時には垂直方向にも形を変えていた。

 必要性と必然性はわからない。

 たまに見かけるとどこが一人一人の足でどこか手なのかわからないようなフォーメーションを組んでいたりする。

 もはや人間という生物の域を逸脱した形状に思わず通り過ぎる人々も凝視してしまっていた。

 そして今まさにその形状である。

 怖い。

「あの状態で周囲の状況がわかる彼女もすごいわね」

 早苗は側近よりも離れた場所からターゲットを確認する。

 早苗は如何にして証拠を確保するか、その策を複数考えてきていた。

 まず一つ目は、『あえて形のある証拠を残さない』という作戦である。

 例えば莉瑠香が男であるという証拠写真を撮れたとしても、加工技術が進歩した現在、その写真を素直に莉瑠香のものとして信じてくれる人は多くはないだろう。

 特に彼女は上お嬢様。

 その立ち振る舞いからは一切男を感じ取ることはできない。

 そのため、証拠写真をバラまいてもバラまいた側が不利になる可能性が高い。

 それこそ匿名でばらまいたとしても、お嬢様力総動員で犯人をあぶり出すだろう。  

 学園ドラマのように皆が簡単に信じてくれる時代ではないのである。

「だからこその衆人監視の中での暴露よね」

 早苗は常に莉瑠香の周りに人がいることを逆手に取り、それらの取り巻きの前で彼女の秘密を暴けばいいと考えたのだ。

 噂には尾ひれがつく。

 それが莉瑠香という日本を代表するお嬢様ならなおのこと。

 取り巻きも様々な感情を抱いて傍にいるはず。

 純粋な憧れ。

 不純な憧れ。

 妬み。

 嫉み。

 損得勘定。

 それらの感情が、理性が、本能が、莉瑠香は男であるという決定的証拠を前にどのような振れ幅を見せるのか、早苗にも予想はつかない。

 それでも大きなうねりとなってこの学園を、そして日本を巻き込むことは様に想像できた。

 そのための彼女の起こした行動は非常にシンプルであった。

 お嬢様であるがゆえにお嬢様は想定外のトラブルに弱い。

 生え抜きお嬢様の莉瑠香は別にして取り巻きはまさに、である。

 つまり莉瑠香は常にトラブルに弱い取り巻き層をトラブルに強い側近との間に挟んでいる。

 だからこそ、彼女はその取り巻きと莉瑠香しか視認できないトラブルを起こすことにしたのだ。

 ナイース。

「漆黒のスピードスター、発射っっっっ!」

 早苗は垂直方向に展開する取り巻きの隙間を狙って、特注のモデルガンから偽物のゴキブリを内包した弾を発射した。

 そう、彼女は中三にして発症した中二病を未だに引きずっていた。

 しかもダサい。

 弾は対象に着弾すると同時に、偽物のゴキブリがべっとりと貼りつくようになっている。

 莉瑠香のスカートにゴキブリが貼りついた時、お嬢様連中はどのような反応をするのか。

 逃げるもの、気を失うもの、様々だろう。

 ただ、莉瑠香への忠誠心の強い取り巻きはそのゴキブリを何とかしようとするだろう。

 しかしそこはお嬢様。

 ゴキブリへの対処など知りもしないはず。

「思い切ってスカート脱がしちゃってね」

 もし脱がせられなかったとしても、確実に取り巻きの何人かは莉瑠香の下半身を触る。

 その時に気づくだろう。

 女子にはあり得ないその膨らみとその膨らみのもつ感じたことのない生暖かさに。

 予定通り、垂直方向取り巻きの隙間を抜けた弾は莉瑠香へと着弾した。

 同時に爆ぜる。

 隙間はおよそ十センチもなかったであろう。

 彼女はこの日のために専属のコーチをつけて鍛錬を積んできた。

 それはもう血を吐くような努力であった。

 正直、その姿勢に教える側も引いていた。

 早苗は真面目である。人に嘘をつくのが苦手である。

 だけれども、秘密は保持したい。

 そんな性格だったのでコーチには『愛する人を、そして私自身を守るためです』と伝えていた。

 コーチはただ作り笑いを彼女に向けるしかなかった。

 大人とは気遣いをする生き物である。

 そんな彼女の努力は身を結んだ。

 予想通り取り巻きたちは大慌てである。

「やったぁ、っとっとととととと」

 着弾の喜びと遅れてきた発射の反動で早苗は後ろに大きく態勢を崩してしまった。

 後ろを振り返る早苗の視界に映りこむのは学園一急な階段として悪名高い階段。

 デスステップであった。

 普段はその傾斜と足場のなさに誰も使わないし、そもそもこの階段が学園内にあることも謎なのだが、だからこそ早苗はその存在を見落としてしまっていた。

 五年ほど前に当時の校長がイキってたまには使わなきゃねと言って利用した挙句に足を踏み外し、尾てい骨をしこたま骨折したのはあまりにも有名である。

 そんな勇敢な彼女の銅像が校庭に建てられたのはまた別のお話。

「やば……」

 その存在に気づいた時には時すでに遅し。

 彼女の体は吸い込まれるように鬼傾斜へと傾いていく。

 脳内に駆け巡るは走馬灯。

 走馬灯は十二分割されており、その全てに彼女の兄の顔が映っていた。

 そう、家電量販店のテレビ売り場方式の走馬灯である。

 しかし、家電量販店に行ったことのない彼女は純粋に整然と並ぶ兄の顔に埋め尽くされる脳内で幸せを感じつつ、脳天をかち割る形で訪れるであろう死を受け入れるしかなかった。

 さようならお兄様。

 先立つ不孝をお許しください。

 早苗は固く目をつぶった。

 しかしその瞬間は永遠に訪れなかった。

 そして背中に感じる何かの存在。

 恐る恐る目を開けるとそこには

「大丈夫?」

 先ほど弾を受けたはずの莉瑠香の顔であった。

「ぎゃひっ?」

 あまりの衝撃に早苗はこれまで出したことのない声を喉から発した。

「大変。恐怖のあまり動揺していらっしゃるのね。保健室に行きましょう」

 莉瑠香は早苗の背中を支えつつ、手すりを掴んでいた。

 男であったとしてもキツイはず。

 莉瑠香の腕が震えているのが早苗はわかった。

 そしてそのままぐっと引き寄せされる早苗。

「どなたか、お手をお貸しいただけませんこと?」

 上お嬢様の呼びかけにすぐさま応じる生徒たち。

 あっという間に早苗は大勢の生徒に囲まれ、保健室までの生徒流にのまれてしまった。

 この生徒流にのまれて目的地までたどり着けなかったものはいない。

 早苗は速い流れの中なんとか後ろを振り返る。

 視界に捉えた莉瑠香は笑いながら上品さという概念を腕に込めたような笑みを称えていた。

 早苗は少しばかりの感謝と悔しさを胸に秘め、さらなる飛躍を心に誓うのであった。

 今度こそはあなたの正体を白日のもとに晒して見せますわ。

 そう固く決意をするのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る