第4話 騎士との出会い、裏切りの婚約者

 

 《毎日毎日、寝る間もなく家事と領地見回りに追われた私は――

 やがて身体を壊し、熱病にうなされるようになりました。

 それでもケンガル様はただの風邪だと言い、お医者様すら呼んでいただけず。

 寝床から自力で起き上がることさえままならなかった私を無理矢理叩き起こし、いつもの見回りを命じました》


 映像には、酷く咳き込むシャノンの髪の毛を無理矢理掴んで立たせるケンガルの姿があった。

 さらには、『いつまでも仮病を使うんじゃない! それでも僕の妻か!!』とわめきたてる声さえ。

 あまりの事態に、令嬢たちの間からは次々と悲鳴があがった。


 マリーゴールドはぺたんと尻餅をつき股をじっとり濡らしたまま、引きつった笑みさえ浮かべている。


「あ、あはは……そうだったのね……

 シャノンは仮病でも何でもなかったのね……」

「いや、仮病だよ。

 あんなものは医者の力など借りずとも、心が強ければすぐに治るものだ。

 本当の病気だったとしても、それはシャノンの心が弱かったせいさ」


 当然のように言ってのけるケンガルを、今やこの場の誰もが軽蔑、もしくは恐怖の目で見つめている。

 端整な顔立ちに静かな怒りを現しながら、アークボルトが呟いた。


「映像が全て嘘、まがい物だと主張しようと思えば出来たものを……

 自らの言葉でいちいち事実と証明し、墓穴を掘っていくとは。

 厚顔無恥を絵にしたような男よ」



 シャノンの声は続く。


 《熱にうなされながら見回りに出た私は、街外れのとある農場の軒先で倒れてしまいました。

 その時助けてくださったのが、偶然その場を通りかかったアークボルト様だったのです。

 彼は私を見るなり、すぐに近くの農家に運び込んで手当てをしてくださいました。

 当時の私は埃だらけでボロを纏い、しかも入浴さえろくに許されていなかった為に酷く臭っていたことでしょう。

 そんな私でさえ、アークボルト様は一切躊躇わず助けてくださったのです》


 不意に映像は途切れ、会場は再び闇に包まれる。

 少々羞恥の混じった、シャノンの小さな呟きが響いた。耳を澄まさなければ聞こえないほどの声。



 《アークボルト様に薬を頂いた上、彼の一声で良い宿を借りお湯まで使わせていただき、新しい服まで用意して下さいまして――

 私は久しぶりに、人の真心に触れた思いでした。

 しかも彼は、私の声を『小さい』ではなく、『綺麗』だと言ってくださったのです。

 両親にさえも、『ボソボソと何を言っているか聞き取れない』と言われるばかりだった、私の声。それを綺麗だと言ってくださった方は、初めてでした。

 ですから私はお礼に、久しぶりに錬金術を使い、薬を作ってアークボルト様にお渡ししました。

 釜などの道具もなかったので、ごく簡単な塗り薬しか作れなかったのが悔やまれます。

 それでもアークボルト様は心から喜んでくださいました。古傷によく効いたとのことで》



 そんな彼女の声に、ケンガルはここぞとばかりに髪を振り乱して反論する。


「不貞だ!

 シャノン、君は何を言っているのか分かっているのか!?

 君は婚約者たる僕以外の男に心を寄せているんだぞ!」


 しかし再び、アークボルトの鋭い視線と言葉がこの傲慢な男を制した。


「心外だな……

 彼女はあくまで、事実を言っているまでだ。

 私は確かに彼女の声を綺麗だと感じ、そう伝えたまでのこと。

 そして彼女は感謝の印として、懸命に私に薬を作ってくれた。

 その素直な想いさえも不貞だというならば――

 ケンガル殿。これは一体、何だ?」



 アークボルトの冷徹な声と同時に、再び天井に映像が流れ出す。

 場面はまた、ブルツウォルムの屋敷に戻った。少し晴れやかな顔で屋敷の門をくぐるシャノン。だが――



 貴族たちが今度こそ、激しい動揺と憤怒の叫びを上げた。


「な、何故、私のルーシィがここに!?」

「我が妻まで……ケンガル殿、一体これは!?」

「ち、違う! あれは私じゃないです!!」


 シャノンの声。


 《ケンガル様をお呼びしても出ていらっしゃらないので、失礼とは思いながらも居間にお邪魔致しました。ちなみに私は掃除の時以外、許可なく居間に立ち入ることは禁じられております。

 この日も勉強会だというお話は聞いておりましたが――

 中から奇妙な呻き声のようなものが聞こえてまいりましたので、致し方なく立ち入った次第です。

 すると出てこられたのは、複数の女性のかたでした。バーナード家の奥様や、クレンヴィル家のお嬢様のお姿もありました。

 ご覧の通りケンガル様も含め、どのお方も衣服や髪が少々乱れておりました。

 我が夫となるはずのお方は、それでも私を怒鳴り、機密事項も多い政の勉強会に許可なく入るなと叱ってきましたが……

 一体、何をお勉強なさっていたのでしょうか》



 あまりの事態に、逆に水をうったようにしんと静まり返る場内。

 マリーゴールドは遂に場も憚らず、さめざめと泣きだした。

 彼女のすすり泣きとケンガルの喚き声だけが、虚しくこだまする。


「こ、これは……

 彼女たちは君なんかと違い、清廉潔白、才色兼備な女性だ。頭の回転も早いし、話をしていてとても勉強になる!

 そういった女性たちと交流を持つのも、いずれ国を背負う者としては当然のことだろう!

 そもそも昔から、この国の貴族は何人も愛妾を抱えることで権勢を振るってきたんだ。それぐらい君だって……」


 《お相手が他人様の奥方や婚約者だとしても、でしょうか?》


 シャノンの鋭い一言に、ケンガルは今度こそ二の句が継げなくなる。

 アークボルトも心底呆れ果てたようにため息をついた。


「古い慣習を変えると言いながら、都合のいいところだけ自分の良いように解釈するか。

 どこまでも破廉恥な男だ」


 最早この場にケンガルの味方は、誰もいない。

 容姿端麗で多才、国の改革を目指す若き志士の偶像は、一夜にして完全に崩壊した。

 まさかの不貞を暴かれ、その場にひれ伏して泣きじゃくる女性たち。

 妻や婚約者を奪われた男たちは完全に憎悪の眼差しでケンガルを睨みつけ、怯え切った彼女たちを引きずるようにしてその場から立ち去っていく。

 他の貴族も令嬢たちもほぼ全員、ケンガルに対する軽蔑と生理的嫌悪を隠そうともしなかった。


 しかしそれでもなおケンガルは声を荒げ、天井に向かって指を突きつけた。


「だ、だが! シャノン、君が不貞をはたらいた件と僕のこととは、何の関係もないだろう!?

 この得体の知れぬ騎士風情だけではない。君はある時を境に何日も屋敷に戻らず、当然仕事も放棄し!

 何をしていたかと思ったら、国境付近の田舎町で男どもと夜な夜な乱痴気騒ぎを起こしていたというじゃないか!!

 こればかりは言い逃れ出来まい。部下にも調べさせたんだ!!」



 そんなケンガルのあがきに――

 アークボルトがまた一歩、大きく進み出る。



「ケンガル殿。

 私がシャノン嬢を助けたこと――全くの偶然とお思いか?」

「は?

 何を言う。貴様はただの通りすがりの騎士もどきではないのか」

「違う。

 私がこの地に赴いたのは――

 国境付近に魔物が迫っているという知らせを受けてのことだ」


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