第5話 魔軍の足音

 

「私はタルミナ国王直属の騎士団、その団長だ。

 王の命を受け、密かにこの地域の魔物の動きを調査していた」


 淡々と語るアークボルト。

 貴族たちは魔物という単語だけで震え上がっていたが、やがて彼の正体に気づく者も出始めた。


「そういえば……あの大剣の騎士、噂は聞いたことがある。

 数年前に魔獣の軍勢をたった一人で退けた銀髪の戦士がいるとか……」

「魔物にその存在を知られぬよう名は秘されているが、これまで幾多の魔物や獣人、悪霊の類を退け、国王に全幅の信頼を置かれているという英雄……」

「もしや、彼がそうなのか」


 そんなどよめきには殆ど耳を貸さず、アークボルトは語り続けた。


「シャノン嬢とは調査時に出会った。それは確かに偶然ではあったが――

 自分にとって、そしてこの国にとっても実に幸運だったという他はない。

 彼女は私に救われたと感謝しているが、同時に彼女も私たちを救ってくれたのだ」


 苛立ちを露わにするケンガル。髪を振り乱し、血走った目を剥いたその形相に、容姿端麗ともてはやされた面影はない。


「ど、どういうことだシャノン!?

 きちんと姿を見せて説明をするんだ、この売女め!!」


 貴族としての最低限の言葉遣いすら捨て去ったケンガルの頭上に、静かにシャノンの声が流れる。映像と共に。


 《私はここに至ってもまだ、ケンガル様を信じていました。

 暴虐の数々も、女性たちへの行為も、国の改革の為に必要だとの言葉を。

 それでもある日、どうしても我慢が出来なくなってしまったのです。

 それは――マリー。私が外に出ている間に、貴方がお屋敷に来たことを知ってしまったから。

 ケンガル様のお部屋に貴方がいたことを、知ってしまったから……》



 はっと息をのむマリーゴールド。

 依然として膨れっ面を隠さないケンガル。

 天井の映像は――

 開き直るケンガルと、その腕に寄り添いシャノンの姿を嗤うマリーゴールド。

 そして、絶望のあまり着のみ着のまま屋敷を飛び出していくシャノンを、はっきりと映し出していた。



 《親友にさえも裏切られたと知り、私の中で何かが切れてしまいました。

 そして気づいた時には、あの街はずれの農場付近をさまよっていたのです。

 そこはアークボルト様と初めて出会った――あの農場でした。


 しかし以前とは違い、農場周辺は奇妙にものものしい雰囲気に包まれておりました。

 国王陛下直属の騎士隊、その紋章をつけた騎士様の方々が駐留され、野営地がそこかしこに設けられていました。最早農場ではなく防衛拠点と形容したほうが正しいほどに。

 また、お怪我をされている方も大勢いらっしゃるようでした。騎士様がたのみならず、近隣の住民、女性や老人、子供まで。

 それもそのはず。あの思い出の農場は、先ほどアークボルト様が仰った、魔物の脅威が迫る国境付近の街だったのです》


 それを聞いて、ケンガルが罵声と共に嘲笑う。


「ハハハ、なるほどなぁシャノン!

 自分は男欲しさに、ここぞとばかりに騎士たちを慰労しに向かったというのだな!?

 婚約者に見捨てられた、無能で醜悪な女の行き場としては相応しかろう!」


 今や貴族たちの蔑視すらケンガルはものともせず、シャノンに悪態をつく。

 宝石より美しいとたたえられたはずの青い眼はもう、醜く血走り真っ赤だった。

「やめて……もうやめて……もう……!」と涙ながらにマリーゴールドがその脚にすがりついたが、ケンガルは犬でも追い払うように彼女を蹴り飛ばした。

 ドゴッと鈍い音が響く。悲鳴と共にマリーゴールドはその場に倒れ込んだ。

 念入りに紅を施された頬が見る間に黒く腫れあがり、鼻からも口からも血が垂れてくる。


 最早我慢ならんとばかりに、アークボルトがケンガルを制した。地響きの如き怒声で。


「ケンガル殿! 口を慎め。

 これ以上の暴言はシャノン嬢のみならず、我が騎士団への侮辱とみなす!」


 剣を抜き放つのだけは辛うじて留めたものの、アークボルトの全身からは素人でもそれと分かるほどの怒気が立ちのぼっている。しゅうしゅうと音まで聞こえそうだ。

 それでもケンガルは鼻で騎士を、シャノンを、そして周囲の貴族たちまでもを嗤っていた。


「はぁ? 僕は何か間違ったことを言っているかい?

 捨てられた無能な女が、王の犬でしかない無能な騎士団を慰めに行った。ただそれだけのことだろう?」


 さすがのアークボルトも、背負った大剣の柄に思わず手をかける。

 だが、シャノンの声がそれを止めた。



 《アークボルト様、どうかここは抑えてください。

 貴方の美しい剣を――こんなところでけがすわけには参りませんから》



 彼女の静かな声と同時に、再び映像は流れ出す。

 それは、森の奥で妖しく煌めく、無数の魔物の眼。

 闇の中であってもその眼球ははっきりと蠢き、容赦なく農場を、街を、そして人々を狙っていた。

 そして満月の夜、彼らは森そのものを消し飛ばすかの如き大軍勢と化し、一斉に街へと突進していく。

 真正面から迎え撃つ騎士団だったが、多勢に無勢。圧倒的不利は明白だった。

 貴族たちが恐怖と驚きの声を上げる。



「ま、まさか、これほどの大軍勢だったとは……!?」

「噂じゃ、小競り合いがしょっちゅうあるとしか聞いていなかったのに」

「こんな軍勢に攻め込まれたら、領地どころか国そのものが危うかったのでは?」

「この非常時にケンガル殿は何もせず、女を囲っていたと!?」



 《国境付近にたむろした魔物たちはこのように、夜ごとに攻撃を繰り返していました。

 そのさまは、黒き大洪水が人の営みを押し流すが如し。

 そんな劣勢の中でもアークボルト様の部隊は、少数精鋭で八面六臂はちめんろっぴの働きをなさり。

 彼らのおかげで近隣の街、つまりブルツウォルム家の領地は辛うじて守られていましたが――

 それでも、武装も糧食も満足に整わず、苦戦を強いられておりました》


 アークボルトが補足する。


「そんな時だった――シャノン嬢と再会できたのは。

 全く驚いたぞ……野営に侵入してきた不審な女を拘束したと聞いて駆け付けたら、まさかシャノン嬢だったとは。

 大変不本意だがこれに関しては、ケンガル殿とマリーゴールド嬢に感謝せねばならんな。

 シャノン嬢があの屋敷でそなた達に絶望していなければ、我らが彼女に救われることもなかったのだから。

 その意味では、ケンガル殿は国を救った志士と言えるかも知れん」

「な……なんだと……?

 シャノンがどうやって、お前らを救ったというんだ!? 女に不足していたなら、そのへんの領民からいくらでも……」


 再びケンガルを睨みつけるアークボルト。

 ギヌロと音が出かねないその眼光に、今度こそケンガルの口はつぐまれてしまった。


 《単純なことです。

 錬金術を使って、武装や爆弾を作らせていただいたまでのこと。

 いずれも、少し錬金術を勉強すればすぐに出来る簡単なものです。

 幸い、錬金用の釜やフラスコなど、ひと通り必要なものは揃えていただいたので、何とかそれなりのものを作り出すことが出来ました》


 騎士団を追いつめたゾンビ軍団。その頭上に不意に降りそそいだのは、爆弾の雨だった。

 それも炎、雷、氷、各種属性がてんこ盛りの爆弾の数々。

 炎の嵐が舞い、雷撃が大地を震わせ、冷気の竜巻が全てを吹き飛ばす。目標を見失って逃げ惑った挙句焼かれ、凍らされ、散っていく魔物たち。

 そこへ疾風の如く攻め込んでくるアークボルトの部隊。その剣からは聖なる光が放射され、ひと薙ぎするだけで魔物の数十体を軽々と吹き飛ばした。


「私の大剣も、シャノン嬢が強化してくれた。

 眼前に迫った大軍が一瞬で天まで吹っ飛んだ時は、自分でもさすがに驚愕したぞ。

 彼女自身は初歩的な錬金術だと言っているが――恐らくそれは、錬金術を愛するシャノン嬢のたゆまぬ努力と忍耐の賜物だろう。明らかに、常人のなせる技ではない」


 当時を淡々と振り返るアークボルト。

 あまりの凄まじさに、ケンガルさえも口をあんぐりと開けて映像を眺めていた。


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