どこへも行かないぼくたちは、時間の外を走り続ける
ぼくが一二歳のときお母さんが死んだ。遠くで療養しているお母さんに会いに行けるのは夏休みだけだったけど、あの日は息が白かった。耳がきんとなる新幹線のホーム。延々と続く車体がようやく止まり、扉がプシュウと開く。席に座ったぼくに、おばあちゃんがカラフルなラムネ菓子をくれる。未遂もあったし、いつかこうなるんじゃないかと思ってた。そんな言葉が、後ろの伯父さん夫婦の会話からこぼれて、ぼくの足元に転がった。
そのとき初めて、ぼくは「速度」を感じた。おばあちゃんたちの場所から遠く吹き飛ばされる感覚。列車の窓の向こうは日が暮れて、家の灯りがすごい速さで流れていく。そこに
「来るぞ。向こうは特急だからな?」
前を走る楽が、楽しそうに声をかけてくる。どう、どどう、どう。ぼくたちは列車を吹き抜ける風。乗客の目には映らない。座席も手すりもすり抜ける。楽のスニーカーが床をきゅっと鳴らす。後ろから、さっき楽とぼくが蹴り飛ばしてやった奴らが追いかけてくる。そいつらも幽霊だ。いつもの幽霊たちの鬼ごっこ。車輛を5つ6つ駆け抜けたとき、すれ違いの特急が来る。ぼくたちは跳ぶ。床を蹴り、車体をすり抜け、四メートルを跳躍する。もう一方の車輛に転がり込む。もといた在来線の速度プラス特急の速度の衝撃。後ろの奴らは着地に失敗して、車外へ吹っ飛んでいく。
「ヒュウゥゥゥ――ッ」
甲高い楽の絶叫。狭い通路に転がりながら、ぼくたちは笑い合う。スピードを、連結器のきしみを、骨で感じる。さんざん走ったぼくたちの速度は、特急にも負けない。
「速度だ。それしかいらない」
ここに来てすぐ、楽からルールを教わった。ぼくたちがいるのは線路の上だけ。だけど列車に飛び乗ってどこまでも行ける。息切れせず走り、重力を振り切って跳べる。それは「速度」があるからだ。ニンゲンたちにはそれがない。だからぼくたちが目に入らない。もし速度を失えばどうなる?「消える」とだけ楽は答えた。目的地をもたないぼくたちは、どこへも行かない。だから立ち止まれば、消える。楽はその瞬間を「行き止まり」と呼ぶ。
「もう走らなくていいや、そう思う瞬間がやってくると、そこが行き止まりなんだ。いいだろ? のろいままで生きてくよかさ」
楽はときどきポケットのM1911型エアガンで乗客を撃つ。幽霊の撃つ幽霊のBB弾が、スマホをいじる会社員やしゃべり続ける女子高校生の頭を貫く。赤黒いしぶきが飛んで、髪の毛が頭皮ごと窓にはりつく。顔からだらだら血をこぼしながら、ニンゲンたちはそれでもスマホをいじり、会話し、駅に降りる。
「ほら、のろいと死んだことにも気づけない」
ぼくは楽から技術を学ぶ。「速度」によって物をすり抜け、逆に物を吹き飛ばす方法。そして幽霊同士の戦い方。ここには色んな奴らがいて、駆けっこをしたり、互いに列車から突き落としたりする。ぼくたちのからだもニンゲン同様に血しぶきをあげて、それでも動き続ける。ぼくは列車を駆け、格闘しながら、いっぱしの「速度」を身につけていく。
幽霊にはナワバリがあったけど、楽もぼくもそんなもの気にしない。ぼくたちは自由な風。ただ「速度」を高めることを楽しむ。ついて来れない奴は消える。そう言えば楽は一度だけ、自分の「行き止まり」に出くわしたらしい。どうしたのって聞いたら、あのコルト・ガバメントを出して、撃つそぶりをした。
速く。もっと速く。ぼくたちは新幹線で遊ぶようになる。線路をカタパルトにして加速し、重く振動する車輛へ飛び乗る。超高速のすれ違い乗車もやってのける。ここにいるのは速い奴らばかりだ。楽みたいに武器をもったのもいる。時速三〇〇キロメートルの車輛で、ぼくたちは走る。戦う。冷たい線路に叩きつけられてぼくたちの手足はちぎれ、頭は割れる。だけどぼくは消えない。走り続ける。
「いつか飛行機にも乗れるかな」
夜の車内、手ごわい相手を叩き落としたぼくは、屋根から降りてきた楽に声をかけた。楽はひたいの血をぬぐいながら笑う。そうだな。次はジェットエンジンの速度が欲しい。
そのときふと、ふだん気にもとめない乗客が目に入った。小学生くらいの子連れの家族。母親から色とりどりのラムネ菓子をもらった子供が父親に誇らしげに見せている。その父親は、ぼくだった。ぼくはずっと一二歳だけど、そいつはすっかりオトナだった。そいつはあの日のあとも人生を歩き続けたらしい。ぼくは立ち止まる。ゆっくり思い出す。中学はそれなりに大変だったけど、高校で面白い奴に出会って、趣味も見つけた。大学じゃ女の子と付き合って、別れて、いつの間にか社会人と呼ばれるようになって。そして、家族ができた。なんだそれ、ぜんぜんのろいだろ。最後に、後ろから楽の声が聞こえた気がした。
白い畳をゆらゆら揺れるカーテン越しの夕陽が照らしている。ぼくはふわふわのタオルケットにくるまって、プリントされたクマの絵をぼんやり見ている。台所で、コンロの火がつき、包丁がまな板を叩く音がする。ああ、お母さんだ。なんだあ、死んだなんて夢だったんだ。そう思うと全身の力が抜ける。からだまるごと温かいスープにつかったみたいだ。ぼくは笑いながらほっと息を吐く。ああ夢でよかったなあ。じゃあもう少し続きを見てもいいかな。そう思って目を閉じる。夢のなかで、ぼくは友達と遊んでたんだよ、お母さん。
【掌篇集Ⅲ】鏡面を奏でるもの 灰都とおり @promenade
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