7.

 しばらくして、再びのん子さんからSOSが入った。

「エルたんが見つからないの」

 どういうわけかGPS機能に不具合が生じているようで、居場所はオフィスを指している。思い当たる場所を探してみたが、いつかの海辺もA-15の路地裏も、その気配すら感じさせない。パトロール中の聞き込みも徒労に終わり、他のエリアでも同じ結果だった。


 記憶庫にあるデータチップを見れば、何かヒントが得られるかもしれない。そう思ったけれど、安易な手法に頼ろうとした浅はかな自分を呪うだけだった。

 SOSを受け一週間が経過。進展のないままパトロールを終えオフィスに戻り、溜息の止まらぬ午前三時。同僚は言った。

「そう肩を落とすな。こういう時はあれだ。初心に戻ってカルテを読み返すといい」

「ああ。すまない」

 ファイルを手に取りエルのカルテを開く。とはいえ具体的な内容は記録していなかったように思う。上から順に目で追うと、やはり空欄が目立った。保護日時に場所、ベースIDに謎の職業。そして寄宿地は他人の家、或いは秘密の屋上。

「秘密の、屋上……あ! ちょっと出てくる! 車使うから!」

「おう。気をつけてな」

 目指すは街外れの雑居ビル。今は廃墟になっているはずの、かつて展覧会が開かれた場所。



 街はまだ夜更け前。静かな空の中に、月が残っていた。

 雑居ビルは廃墟に囲まれており、ひしひしと物悲しい空気が迫り来る。人足が遠のいて久しいのだろう。鬱蒼と生い茂る雑草が風に揺れ、コンクリート壁を撫でていた。

 錆びきったドアを押し開け、最上階へと続く階段を登る。この先でエルに会えるか、正直なところ確証はない。だが今ここで結果が出なくとも、決して諦めたりしない。

 気づけば最上階へ到着。不安を勇気に変えて屋上のドアを押し開ける。そこで目にした光景に、エルの存在を確信した。


 俺を出迎えたのは星空。コンクリートの床面、受水槽にドアノブ。至る所に無数の星々。丁寧に飾られた星型オーナメントに、星形の葉を持つ植物もあった。劣化で黒ずんだ床を歩けば、まさに天の川を渡る気分。その先で、小さなテントに出会った。ほんのり中から発光し、微かにピアノの音が聞こえてくる。入り口で瞬く一等星を目にした瞬間、触発される思い出。

「虹階……?」

 入り口の布をそっと持ち上げて覗くと、柔らかなクッションに身を任せ、虹階が寝息を立てていた。

「虹階っ!」

 肩を震わせ飛び起きて、目が合うなり怪訝な顔で怒られた。

「次からはもっと優しく起こして」

「ごめん。あの、元気か?」

「元気じゃないって言ったら、美味しい朝ご飯食べさせてくれる?」

「あのなあ」

「ただの戯れだよ。あ、ちゃんと中に入って。でなきゃ虫が入っちゃう」

 そうは言っても、小さなテントに大人二人は定員オーバー。足が伸ばせず久しぶりに体育座りをすることになった。一方の虹階は距離の近さなど気にする風もなく、こちらを向いて横になり、いつもの調子で話し始めた。

「それで? こんなところまで何しにきたの?」

「あのアンクレット、どうやって外したのかと思って」

「たまたま取れたんだよ。留金も壊れちゃったから、護英くんに返しておいた」

「そうか」

「うん」


 本当に聞きたいのは、これじゃないはずだ。


「どうやってここを見つけたんだ?」

「たまたま」

「じゃあ、星が好きな理由は?」

「好きだから好き」

「……本当に何も覚えてないのか?」

 こちらを見上げる奇麗な顔に微笑みが広がった。

「君は、僕に何を期待しているのかな」

 頬になだれた髪を、そっと耳に掛ける指先。

「僕はエル。ベースのエル。それ以上にも以下にもなれない。人生の履歴を消して人であることを諦めた人だよ。同じ人間だと思わなくていいから」

「無理言うなよ。記憶は消せても、心は消せない」

「どういう意味かな」

「俺は、昔の君を知ってる」

「ちょっと待って。その先はサテライトの立場上、言って大丈夫なのかな?」

「聞いてくれ。お願いだ」

「はあい」

「当時の君は、優しい星を描く人だった。明るい夜を描ける人だった。それは今も同じだ。あのときと同じ、君らしい星空を見てる。だけど……」

「うん?」

「君から記憶を奪ったのは俺なんだ。あのとき君の声をすくえていたら、違う未来があったんじゃないかって。一緒にあんなことしたよなって、笑い合えたんじゃないかって……ごめん、本当にごめん。こうなる前に言うべきだったのに」

 一息置いて、虹階は言った。

「それは少し違うかもしれないね」

「え……?」

「どんな経緯があったとしても、ベースになることを決めたのは他でもない僕だよ。他人に強要されてなるものじゃない」

「そうかもしれないけど」

「それにね、記憶がないから完璧でないわけではないと思うし、君から見て、今も僕らしい星空を見ることができているのなら、昔の僕だって喜ぶはずだ」

「…………」

「ああ、でもね。君を否定したいわけじゃないよ。さっき言ってた『心は消せない』は本当だとわかったから」

「どういうことだ」

「言うと思ったよ護英くん。ねえ。僕がここに隠れてた理由、聞かないの?」

「どうしてここにいるんですか」

「ふふっ。君らしいね」

「で?」

「君といるとむず痒いからだよ」

「つまり、その、やっぱり怒ってるよな。ごめん」

「ほんとにもう……」

「……?」

「君は優しすぎる」

「そうか? 普通だと思うが」

「思う、ねえ」

 楽しそうに笑いながら、君は体を起こし俺の肩にもたれた。

「ちょっ、離れろ近い!」

「あれれ。ここのボタン取れそう」

「話聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」

 言葉に反して離れる様子はなく、仕方なく視線を天井に逸らして気を紛らした。そこにも星が瞬いていた。

「ねえ護英くん」

「ん?」

「君が下す自己評価は若干厳しいことを自覚した方がいい。君には、いいところがたくさんあるよ」

「そうか。参考までに例を挙げてくれてもいいぞ」

 俺の名札を撫で、そっと囁く虹階。

「君が、ずっと変わらずに持っているものだよ。さとるくん」


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