第17話
湯浅は声をひそめつつも、その興奮を隠せずにいた。
「凄いことって?」
「朝から教室に人がぎょうさんいはったんは見たやろ? 噂好きの連中がもう話しとうてたまらへんみたいな感じで『誰かが屋上から落ちたのに死体はなかった』って話ばっかしてるんや」
その言葉を聞いて、夕も驚きを隠せずにいた。ここが図書室であるということを忘れ、
「嘘でしょ?」
と少し声を大きくして返答してしまう。
「ほんま、ほんま。みんな見てもうてたらしい」
「ちょ、ちょっと、教室戻ろう。さすがにその話は聞きたい」
「そのために呼びに来たんや。行くで」
二人は図書室を後にして、半ば駆け足で一年二組の教室へ向かった。教室の前に着いた時、外からでもその騒がしさがよく分かった。
しかし、夕が扉を開けた途端、その喧噪がほんの一瞬だけ水を打ったように静まり返った。教室中の音が消え、好奇の目にも近しいそこはかとない不快さを感じる視線が夕の方に注がれた。
夕は思わず体を少し後ろに引き、困惑した様子で教室を見渡した。
「児玉、お前なんかやらかしたん?」
湯浅が背後から小さな声で訊ねる。
「い、いや。何も身に覚えはないん——」
「児玉くんって、新聞部だよね?」
特に大きく固まっているグループの中の一人が、おもむろに夕に声をかけた。この女子は確か、学級委員の
「そう、そうですけど……」
「屋上から落ちたあの生徒って、新聞部の部長さんなの?」
最初、夕はいったい何を言われているのか理解できずにいた。少し間を置いて、新聞部の部長が魔女だという噂が流れていたことを思い出し、すぐに口を開いた。
「いや、新聞部の部長はそもそも魔女じゃないんです」
夕がそう言うと、教室は再びざわつき始めた。何となく予想はしていたが、中には「どうせ隠してるんじゃない?」といった声も聞こえた。
「え、そうなの? じゃあなんであの変な仮面なんか——」
「それは……ちょっと僕からは説明できないんですけど」夕はそう言いつつ、誰も座っていない池木の席をちらりと見た。「でも、彼女なりにちゃんと理由があって……とりあえず、魔女はまた別の人物です。今は僕も魔女について調べ——」
そこまで言ったところで、夕は慌てて口を噤んだ。
——『鉄則として、記事の内容について外部に漏らすことは禁じられてます』。
そうだ。今の自分は新聞部を丸ごと背負っているようなものだ。下手に何か言えば。余計に
「とにかく、魔女は新聞部の部長とは無関係です」
夕はそう言い切って自分の席に座った。不愛想な言い方にはなってしまうが、どうせ友人はほとんどいないのだから嫌われても関係ない。
クラスメイトは明らかに困惑した表情を見せたあと。次第にまた魔女の噂へと話題を変えていった。湯浅も少し戸惑った様子で、立ったまま夕の様子をうかがっている。
「児玉、見た目に反して気強いんやな」
「いや……凄い緊張したよ。取材を受ける人ってあんな気分なのかなって」
夕は苦笑いした。それを見て湯浅も小さく笑う。
「そらそうやろな。そういや、なんで魔女の記事を作ってるって言わへんかったんや? 話聞きたい言うてたし、それ言ったらいくらでも情報貰えるやろ」
「ああ、それね。新聞部には記事の内容を外部に漏らしちゃいけないってのがあるから、それでね」
「そうなんか。厳しいなあ」湯浅は高校の部活らしからぬ
「なんか」その言葉を口にしようとして、顔が熱くなるのを感じた。「湯浅くんなら、大丈夫かなって」
「なんやそれ」
湯浅は半ば鼻で笑いながら言いつつも、それほど満更でもないといった表情を見せていた。夕はそれを見て、喜びとも違う、安堵のような気持ちを覚えた。
「……それって『湯浅なら友達少ないから言うてもうてもいけるやろ』っちゅう悪口とちがうか?」
あまりにも湯浅が真顔でそう言うので、夕はその顔を見て小さく噴き出した後、右手を横に振って否定した。
「違うよ、違う! 友人として、ちゃんと信頼してるよ」
「……そうか」
これが本当の友人というものかと心の中で噛み締める反面、夕の脳裏には「もし魔女の記事作りが終わったら、もう湯浅と話すこともないんじゃないか」という不安が拭われることなくこびりついていた。
しばらくして、朝のショートホームルームの時間が近づいてきた。
ガラガラと音を立て、前の扉から教室へ入ってきたのは、菅原ではなく西川だった。
「え、西川先生?」
夕は思わず声を上げていた。西川はこちらをちらりと見た後、また視線を戻し、口を開いた。
「皆さん。聞いてください。菅原先生は本日、親族の方が亡くなられたため
西川は深々と頭を下げた。教室中は相変わらずざわめいていた。しかし、会話を盗み聞く限りでは、菅原が欠席になった本当の理由までは分かっていないようだ。
夕は十中八九、魔女が落ちたのを目撃したのが原因だろうと考えていた。目の前で生徒が落ちたとなれば、その精神的なショックは計り知れない。今までの菅原の発言からして、彼女はかなり正義感が強い教師だ。自分を責めてしまっている可能性もあるだろう。
「先生」
生徒の群衆の中から声が上がった。誰が質問しているのかまでは分からない。
「はい」
「昨日、北校舎の屋上から生徒が落ちましたよね? あれってどうなったんですか?」
西川は表情を全く動かさず、真顔のまま「遺体は見つかりませんでした。痕跡もありませんでした」とだけ言った。
教室はより一層騒がしくなった。夕も「本当にそのまま言うのか」と驚きを隠せずにいた。
「……これ、ほんまなんか? 児玉」
「うん。僕も確認したから」
「嘘やろ……さすがに信じられへんって」
湯浅は少し顔を青ざめさせていた。ふと教室を見渡すと、クラスの女子の誰かが泣いてしまっているようで、隅で数人の女子がそれをなだめているのが見えた。
「あ、そうだ。湯浅くん」
「ん?」
「放課後にさ、海、見に行きたくない?」
湯浅は呆れたように苦笑いをした。
「……児玉、この状況でようそんなん言えるなあ。逆に感心してしもうたで。どんだけ肝座ってるんや」
4
無限に広がっているようにも見えるその海は、昨日来たときとはまた違う顔を見せていた。日光を受けて乱反射し、まるで満天の星空のようにも見える。夕は目的も忘れそれをただただ見つめていた。
朝撒町はかなり交通が不便であり、自家用車と町内を回る循環バスだけが町民の足である。町内循環バスは朝撒高校のある
幸いにも利用者は少なく座席に座ることはできたものの、昨日のこともあって夕はかなり疲労を感じていた。海を眺めているこの瞬間こそが最も
「それで、昔にここで魔女に会うたことあるってのはほんまなのか?」
湯浅は、遠くの海を眺める夕とは対照的に、二人の靴を濡らそうと砂浜に押し寄せてくる波を見つめていた。
「うん」
「でも、記憶正しかったらそこは暗かってんやろ? そないな場所、朱浦の海岸沿いにはあらへんで」
「いや、それはまあそうなんだけど……でも、海の香り? みたいなのはしてた気がするんだ」
「そうか……よし」湯浅は思い切り立ち上がった。「せやったら、フィールドワークするしかあらへんなあ」
「フィールドワーク?」
「大学やらで学術的な研究をするときに、実際に現地へ行って調査することや」
そう言いながら、湯浅はゆっくりと海岸沿いを歩き始めた。夕も「非効率的だが、それ以外に方法はないな」とそれについていく。
「前も言うたけど、おれ、なんべんか引っ越してるんや。京都市の次は岐阜の
湯浅は足元の砂を見つめながら、おもむろにそう言った。
「へえ。僕は逆かも」
「都会に行きたい?」
「うん」
「まあ、なんとなく分かるけど……でも、児玉が思ってる以上につまらへんと思うぞ」
「そうなの?」
「そのうち絶対飽きるさかい」
「それは海も同じじゃない?」
夕は歩きながら海の方を見る。今は奇麗だと思えるこの海も、いつか殺風景に見えてしまうのだろうかと、夕は自分の発言を後悔するような気持ちになった。
「それもそうか」
「人はないものばかり欲しがって今あるものを大事にしないって、よく言うもんね」
「そうやな」
二人はそんな雑談を繰り返しながら徐々に砂浜の南の端に辿り着こうとしていた。
「なんやあれ」
ふと、前を歩く湯浅が呟いた。
「どうしたの?」
「あれ、見てみ」
湯浅が指差す先は、ちょうど砂浜が終わり山の岩肌が露出している所だった。そこに、ぽっかりと長方形の穴が開いているのが見えた。
夕は最初こそそれが何か分からなかったものの、ふと小学生の頃にやった
「あれ……多分、鉱山跡かも」
「鉱山跡? そんなんもあるのかこの町は」
「たぶんそうだった気がする。ごめん、分かんないや。ちょっと調べてみる」
夕は携帯を取り出し、「朝撒町 鉱山跡」と検索をかけた。すると、鉱山跡を調査している誰かの個人ブログが見つかった。
「あった。朱浦鉱山跡っていう名前らしいよ。えっと……『約七十年前、朱浦は銅鉱やタングステン鉱の採掘が活発的に行われかなり栄えていた。しかし、時が経つにつれ鉱夫の親族から現場の危険性の指摘を受けたことやタングステン鉱の価格が暴落したことで鉱物採掘は徐々に途絶えていった。そして遂に、鉱山は四十年前に閉鎖されてしまった。現在、総延長約二十キロメートルの坑道や
「七十年前言うたら、だいたい戦後すぐやな」
「……もしかしたら、ここかも」
夕は核心に触れたような口調でそう言った。
「鉱山跡で魔女に会ったっちゅうことか?」
「うん。たぶんだけど」
体はこわばり、心臓が痛みを感じるほどに強く拍動している。耳の奥でキーン、と鳴る甲高い耳鳴りが止まらない。
「大丈夫か、児玉」
頭を抑える夕の背中を湯浅がさする。
「う、ん……行こう」
「行こうって、あの鉱山跡?」
夕が頷いたのを見て、湯浅は少し迷うような表情を見せつつも、
「分かった」
と了承し、夕に合わせてゆったりとした足取りで砂浜をまた歩き始めた。
「足元、気をつけてな」
鉱山跡の入り口の前は既に砂浜はなく、大きな岩が海の底に何個も堆積し、どうにか地面という体裁を保っているような足場だけがあった。岩の隙間には骨だけのビニール傘や汚れた黄色のブイなどが挟まっている。まるで漂流物の墓場だ、と夕は思った。
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