第10話

 この謎の現象はどうあがいても理由付けができなかった。とにかく脳の錯覚だとか、寝ぼけてたとか、そんな適当な理由で自分を納得させて夕は自室へ戻った。下手に触れない方がいいと脳が警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 ここ数日ずっと変なことばかりが起こる。佐藤の件といい、魔女の件といい、諒路の件といい、全てが妙だ。

 疲れているんだろうか。確かに、あまり休憩らしい休憩をしていなかったようにも思える。

 やはり今日はしっかり寝るべきだ。腕時計も諒路も魔女も、今考えたって何も解決しない。明日になったらまた訊こう。きちんと話をしよう。


     *


「おはよう」

 朝日が入り込むダイニングに夕は一人で立っていた。テーブルの上には置き手紙があり、そこには「おはよう夕。今日は早めに大学へ行くことになった。トーストは電子レンジで温めて食べてくれ」と書かれていた。

 まだ訊けそうにないなと夕はトーストの乗った皿を電子レンジで温め、無理やりに口に入れた。

 朝食は大事だと、中学の頃から叩き込まれた。どれほどの割合かは分からないが、とにかくあらゆるパフォーマンスが落ちるらしい。とっくに運動部をやめた今でも続ているのは、ほとんど癖のようなものだ。

 いつものように準備をして、家を出た。桜はほとんど散って、奇麗な緑の葉が木々を装飾していた。木の葉の間から差す日光が少し肌寒い気温と相まって心地良い。このまま学校へ行かずに散歩をするのもいいとさえ思えた。

 そんなことを考えながらも、夕は教室に辿り着いていた。それほどにコミュニティも活発になってすっかりにぎやかになった教室は、夕のような人間にはなかなかに居心地の悪い場所となっていた。

 左をちらりと見る。この間、授業の内容について少しだけ話した湯浅という生徒。窓際で一番後ろという席の位置もあるだろうが、彼もまた夕と同じく友人のいない生徒のように見えた。

 最初に湯浅と話した最初の印象は、関西のなまりが入っている物静かで接しにくい男、だった。正直に言えば友達になれるか怪しいところだが、ここは少しでも人脈を増やすべきではないだろうか。新聞部に入部してみて分かったが、人脈ほど重要なものはない。佐藤も夕の知らないところで鎌田のような人脈を広げている。

 よし、話そう。今から楽しく会話して湯浅と友達になる——と意気込んだところで、ふと思った。

 友達ってどうやって作るのだろう。

 中学二年生で陸上部も行かなくなって、その結果ほとんどの人間関係を切ってしまった。友達らしい友達は誰一人としていなかった。こういう時に話すべきは、やはり。

「あの、さ」

 心臓が酷く鼓動している。自分でもわかるくらいに緊張して、手にも汗をかいている。どうして話しかけたんだろうなどと、意味のない後悔すらも既に始めていた。

「魔女って、知ってる?」

 やはり魔女の噂は便利だと、夕は佐藤の言葉を思い出しながら実感した。話の種にはもってこいだろう。

「この高校にいるって噂の」

「……それ、俺に話してる?」

 湯浅は睨むような目で夕を見つめる。

「え、あ」

 その返答は夕にとっていささかショックだった。途端に恥ずかしくなって、思わず口ごもってしまった。

「あの噂、児玉も好きなんや」

「好きっていうか……その、僕、新聞部に入ってて」

「え、あの新聞部?」

 これには湯浅も意外だったようで、彼の目が訝しむような目から好奇の目に変わったように見えた。友達作り作戦の第一段階、成功かもしれない。

「うん」

「じゃあ、あの噂の……えと、何やっけ? 部長が魔女だって話? あれってほんまなんか?」

「え、ちょっと待って」

 部長が魔女、なんて噂は初めて聞いた。いや、魔女は佐藤かもしれないという可能性は確かに夕の頭の中にあったが、既に同じような噂が流れていたのか。

「なんや、知らへんかったのか? まあ最近になって流れ始めた噂やさかいな。みんな新聞部に興味津々やで」

「その噂、どうして流れてるの?」

「児玉は知っとるやろうけど、ペストマスク被ってるやん? つい最近になってそのペストマスクの生徒が新聞部の作業室に入っていくのを目撃した生徒がいたらしくてな。俺もよう分からんのやけど、新聞部が魔女の正体を知ってるっちゅう噂、あったやろ? あれが派生したんやろうな」

 なるほど。それなら納得がいく。確かに自分はもう見慣れてしまったが、よく考えれば佐藤はかなり不気味な見た目だ。流石に普段からペストマスクは被っていないだろうが、それでも新聞部として取材をしている以上、その姿を誰かに見られることくらいはあるだろう。

「あんな格好なのに、今まで見つからなかったのが不思議だね」

「さすがに授業中は外すやろうし、それで分からへんかったんと違う? 目撃されたのも放課後にたまたまって感じやったって」

「なるほど」

「で、ほんまなのか?」

「部長が魔女って話?」

「ああ」

「それは、まだ分からないんだ。でも、この話で部長が魔女の可能性は上がった気がする」

「そうか。それで、なんで児玉はその話を俺に?」

「その、新聞部に入ってて……これはもう言ったか。魔女についての記事を作ろうと思ってるんだ」

「え、新聞部が新聞部の秘密暴こうとしてるん?」

「まあ、そうなるかな」

 湯浅は目を見張り、笑みを浮かべながら体を夕の方に傾ける。

「内部から秘密を暴くなんて、革命みたいやな。面白そうや」

「そうかな」

「そや。手伝わせてくれへんか?」

「え」

「元々俺に手伝ってもらおう思て声をかけたんちゃうんか?」

 まんまと意図がバレていたことに夕は驚いた。湯浅はそれなりに鋭い観察眼を持っているか、あるいは自分があまりにも表情に出過ぎていたのかもしれない。

「やろ? ウィンウィンの関係とちがうか?」

「そう、だね。うん」

 湯浅は夕よりも一回り大きな手を差し出し、握手を求めた。夕はそれに応える。

「革命同盟、結成やな」

「……なんかさ」

「ん?」

「凄いノリノリじゃない? 湯浅くん」

 湯浅はうっすらと笑みを浮かべたあとおもむろに表情を曇らせ、窓の方を見た。快晴というものもあって、三階から見える外の景色は奇麗だった。雲はほとんどなく、青い空は遠くの海の水平線に近づくたびに白くかすんでいくようなグラデーションを成している。

「……俺な、ずっと京都に住んどったんやけど、親父の仕事の事情で引っ越さなならへんくなってな。それに、俺の目つき、悪いやろ? 余計にクラスに馴染めんでな。児玉だけや。俺に普通に話しかけてくれたのは」

 湯浅は再び夕の方を見た。その目つきはさながら狐のようだった。さっき睨まれたように思ったのも、ただの勘違いだったことを夕は心の中で謝罪した。

 確かに夕は、湯浅が誰かと話しているのを見たことがなかった。ずっと一人で窓の方を見ているか、あるいは教科書を読んで——というより、ぼうっと眺めていた。

「そや。せっかくやし、改めて自己紹介でもしよか。湯浅イツキや。にんべんに数字の五、貴族の貴で伍貴いつき。趣味はゲームと……これ言うのんは少し恥ずかしいけど、景色とか、花とかの写真を撮るのが好きなんや。よろしゅうな」

 夕は小さく拍手して、それから少し背筋をピンと伸ばした。

「僕は児玉夕って言いま……です。いや、違くて」

「焦るな焦るな。ゆっくり話したらええ」

「ご、ごめん。実は僕も、あんま友達いなくて。あんまりため口で話すのが、こう……慣れないというか。違和感があって」

 湯浅は小さくぷっと噴き出して笑った。

「なんやそれ。よう俺なんかに話しかけたな。俺ら似た者同士なんと違うか?」

「そうかも」

 笑い合ったのとほぼ同時に予鈴が鳴り、菅原が教室の中へ入ってきた。相変わらずのきびきびとした無駄のない動きは軍隊を思わせる。

 それからの生活はいつもと何ら変わらなかった。ただ、休み時間に話し相手がいるのはとても嬉しかった。学校生活がまた一段と面白く感じるようになった。

 湯浅伍貴。彼の父親は金融系の仕事に勤めていて、たびたび転勤しているのだという。今回で三回目の転勤で、友達ができることは半ば諦めていたらしい。そのせいで一人でもできるような娯楽ごらくに手を出すようになったのだという。

「あ、そや。児玉、今日は取材やらあるんか?」

 授業も終わり、教科書をリュックに入れている頃、湯浅がおもむろに訊ねてきた。

「あるよ。とびっきり大きい仕事が」

「おー、そうか。俺も行ってええか?」

「それは……ごめん、無理なんだ。その人には一人で来いって言われてて。ごめんね」

「あー、そっか。まあ別にええよ」

 夕は少し悩んだあと、「あ」と声を漏らした。

「それなら――」


     6


 新聞部の作業室で、西川は眉をひそめつつ夕に鍵を渡した。

「児玉くんも、随分と無茶な注文をしてくれますね」

 夕は申し訳なさそうにゆっくりと頭を下げた。

「すみません」

「去年の佐藤さんを思い出しますよ。一年も経てば多少は穏やかになりましたが……新聞部員はこうなる定めなんでしょうかね?」

「え、そうだったんですか。今はそんな無茶を言うような人には見えませんが」

「ええ。以前はかなり荒れてましたからね」

 夕の脳裏には、かまた心療内科醫院が浮かんでいた。通っていたのはその頃だったのだろう。そう考えると、鎌田の手腕はもはや良いとかいうレベルではない。まさに神の所業だ。

「それと、屋上の鍵についてですが。ここに一番長く勤めている菅原先生に訊いてみたら、二十七年前に紛失していたらしいです」

「二十七年前……ですか」

 夕は信じられないといった目を西川に向けるが、彼の態度や口ぶりは本当のことを言っているようにしか見えなかった。

「魔女が屋上に平気で侵入できるということは、少なくとも鍵がなくなった……恐らく盗んだのでしょうが、その時から彼女は存在しているか、あるいは——襲名というものをご存じですか?」

「あの、落語とかでよくある、先祖や師匠の名前を引き継ぐことですよね?」

「そうです。私は魔女が不老だと思えません。恐らくですが、誰かが襲名をしているのです。屋上の鍵を引き継ぎ、できるだけ容姿を近づけて。そうして魔女の噂はずっと語り継がれていく。……魔女とは、カラスの大群のようなものだと思うのです。個体の識別は難しく、総じて”カラス”というレッテルを貼られる」

 確かに、最も現実的な仮説だ。今までの魔女が隠れるように過ごしていたのにも説明がつく。だが魔女の噂を残すことに何の目的がある? それに、そんな伝統があるのだとしたら今の魔女はどうして自分の正体を明かしたがっている?

 それと、カラスという単語を聞いてやはりもう一つ気になることが。

 —―『私、ずっとカラスになりたかったんだ』。

 西川の思う”カラス”と佐藤の言っていたカラスは、果たして同じものを指す言葉だろうか。

「ですが、不老でも襲名でも、児玉くんはとにかく魔女を追うことだけを考えてください。私にできることは後方支援程度ですが、少しでも児玉くんの負担を減らしたいと思っています。これでも教師ですからね」

 西川はそう言い残し、それでは、と作業室を後にした。夕の瞳に映る彼の姿は、頼りないといった形容が馬鹿らしく思えるほどに頼もしく見えた。

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