イルゼの瞳が怖いです

 ヒロインの一人、オフィーリアが見守る中でトレーニングを開始してから三十分。


 ええと……自分のトレーニングはいいんですかね?

 さっきから僕ばかり見て、身体動かしていませんよ?


 心の中でそんなツッコミを入れつつ、頼むから僕のことは放っといてくださいと念じるも、その願いは聞き届けられることはなかった。


「……ルートヴィヒ殿下。貴殿はいつも、このようなトレーニングをしておられるのか?」

「へ? は、はあ……」


 訝しげに僕を睨みながら尋ねるオフィーリア。

 何だろう……僕のトレーニングにケチをつける気かな?


 でも、これはイルゼが僕のダイエットのために考えてくれたメニューだから、いくら“狂乱の姫騎士”だからって、許さないぞ! ……はい、嘘です。


「まさか、この三階建ての寄宿舎の壁をよじ登って、さらに一番上から飛び降りて受け身を取るトレーニングなど、常軌を逸していると思うが……」

「あ、あはは、ですよねえ……」


 僕も最初の頃、イルゼに同じツッコミを入れたよ。

 でも彼女、全然聞いてくれなかったんだ。


 まあ、そこまでしないと僕のあの巨体を一年で見違えるようにするのは、絶対に不可能だったとも思う。

 すごく厳しかったし何度も死ぬかと思ったけど、今となってはいい思い出だし、イルゼには感謝しかない。


「フフ……これは、聞いていたとは違うな」

「え? あ、そ、そうですか?」

「ああ。トレーニングを見てもそうだが、何よりそんな笑顔ができる者が、あのようなで語られるような、非道な真似ができるはずがない」


 ええー……僕としては、噂の内容がすごく気になります。

 僕、どんな酷いことしているって思われていたんだろう……。


 オフィーリアの言葉に少なからずショックを受け、僕は顔をヒクつかせていると。


「ルイ様」

「あ、イルゼ」


 いつものメイド服に着替えたイルゼが、いつの間にか僕の後ろにいた。

 というか、気配を消して背後を取るなんて、あれかな? 僕を暗殺でもする気……っ!?


 この時、僕はとんでもないことを思い出した。

 そう……『醜いオークの帝国』において、ヒロインであるイルゼの従順度が二百パーセントに達し、なおかつ、イルゼを除く一人以上のヒロインの従順度が百パーセントの状態でトゥルーエンド直前までシナリオを進めた時に発生するイベント。


 ――それが、『暗殺エンド』だ。


 忘れもしない僕の前世の記憶。

 まだ『醜いオークの帝国』のプレイを初めて初期の頃の、ようやくトゥルーエンド直前までたどり着いたと思ったのに、ラスボス直前の戦闘パートでいきなり殺された、アレ・・だ。


 あの時は訳が分からず、何度もPC画面とスマホの攻略ページを交互に見て呆けちゃったなあ……。

 結局、サークルの攻略ページにも『暗殺エンド』の条件だけが書かれていて、その犯人については一切記載されていなかったから謎だったんだけど……あ、あはは、まさかね。


 いや、というかイルゼだけ従順度の上限がじゃなくて二百・・という時点で、気づくべきだったんだよ。

 そんなの、完全にヤンデレ特化しているじゃん。


 そして、気づいたことはもう一つ。

 僕はいつの間にイルゼの従順度を、そんなに上げていたんだろう。思い当たる節が一つも見当たらないだけに、恐怖でしかない。


「あ、あはは……もう起きても大丈夫なの?」

「はい、おかげさまで。そして、これからは絶対にルイ様を一人にしてはいけないと、そう心に刻みつけました」


 ヒイイ!? イルゼの瞳、ハイライトが消えている!?


「ふむ……お主は、ルートヴィヒ殿下の従者でよかったかな?」

「はい。イルゼ=ヒルデブラントと申します」


 そう名乗ると、イルゼが優雅にカーテシーをした。

 昨夜のソフィアの時に見せた失礼な態度ではないものの、その藍色の瞳は一切笑っておらず、むしろ氷のような冷たさと、漆黒の夜空のような底なしの深い闇が垣間見えた。


「そうか……フフ、ルートヴィヒ殿下のような主人に仕えることができて、お主も果報者だな」

「っ! ……恐れ入ります」


 微笑むオフィーリアの言葉に、イルゼの瞳から闇が消えた。

 ど、どうやら、最悪の事態ということにはならなそうだ。


 だけど。


「え、ええと、オフィーリア殿下。それはどういう意味でしょうか……?」


 彼女の言葉の意味が分からず、僕はおずおずと尋ねた。

 だって、こんな“醜いオーク”の従者なんて罰ゲームもいいとこだし、普通は果報者どころか不幸でしかないと思うんだけど。


「ん? だってそうではないか。ただでさえあの噂・・・によってよく思われていない中、ルートヴィヒ殿下はあのような真似をした。普通は、従者が他国の王族に対して無礼を働いたのであれば、手討ちにしてもおかしくはない。これは、実に愚かな行為だ」

「…………………………」


 ……オフィーリアは、昨夜の舞踏会の場にいたのか。

 なら、同じく他国の王族である彼女が、僕の行動を良く思うわけがない、か……。


「だが」


 ……え? 『だが』?


「大切な部下を……その誇りを守るために、たとえ周囲にうとまれようとも、それでもあの行動を示した貴殿に、私は好感が持てたよ」

「あ……」


 意外だった。

 あの直情的な脳筋ヒロインが、こんな思慮深い評価を下すなんて。


「フフ……すっかり身体が冷えてしまった。私はこれで引き上げさせてもらうよ」

「は、はい……」


 ニコリ、と微笑んだオフィーリアは、イルゼの肩をポン、と叩き、中庭から去っていった。


「……あのような御方もいらっしゃるのですね」

「うん、そうだね」


 まさかオープニングから攻略済みのイルゼを除いて、この帝立学院で最初に僕を評価してくれたのが、あのオフィーリアになるなんて。


「さて……では、トレーニングを再開しましょう。今日はいつもの倍のメニューでよろしいですよね?」

「ヒイイイイ!?」


 藍色の瞳から再びハイライトが消え、ニタア、と口の端を吊り上げるイルゼ。

 何故そんなに機嫌が悪いのか分からないけど、僕は逆らうこともできずにいつも以上に厳しいトレーニングを行った。


 ぼ、僕、暗殺される前に死ぬかも……。

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