第10話 纏うは礼服 惑うは心 その7

「待ってくれ、私も同行させてもらいたい」


 会場から出てすぐ、後ろから聞き覚えのある声がかかった。

 振り返った先に、真剣な表情をしたむろの姿が見える。


 ――いや、今の彼の名は為代ためしろ礼二れいじという名前であったか。


 彼がこちらへ来るのを眺めながら、『自分から離れるな』と言われていたのを私は思い出す。

 そんな彼をしも久良くらさんがやんわりとたしなめた。


「申し訳ありませんが、このお二人には着替えが必要です。後ほど合流できると思いますので、為代様はどうぞ会場にお戻りに……」

「彼女のいない催しなど、私には何の意味もありません」


 ぴしゃりと言って、彼は下久良さんを見据える。

 だが下久良さんは冷静に言葉を返していく。


「……為代様、女性が着替える部屋まで入るとおっしゃるのですか?」


 その言葉に彼の顔に苦々しい表情が浮かぶ。

 目立つ行動は避けるはずであろうに、スタッフに逆らうなどいつもの室らしくない。

 彼を落ち着かせるべきだと思い、私は話を始めていく。


「大丈夫よ、礼二れいじさん。女性しかいないもの。変なことをされるわけではないのだから」


 にこりと笑う私の後に続き、下久良さんが口を開く。


「為代様が美里みさと様のことを心配しているのは十分に理解出来ました。どうか私共スタッフにお任せくださいませ。先程のお客様と鉢合わせることの無いように、こちらも配慮して参りますので」

「……わかりました。ですが自分は、なるべく彼女のそばに居たいのです。私が近づくことの出来るところまで付き添うことを許可してほしい」


 室の発言に下久良さんは複雑そうな表情を浮かべる。


「お気持ちはたしかに承りました。ですがやはりこの場所までです」

「ならばここで待たせていただく。それ位は認めてくれてもいいはずだ」

「それはかまいません。ですが、そこまでなさるのでしたら」


 そこで言葉を区切ると、今度は下久良さんが室へと鋭い視線を向けた。


「どうして今日はなったのですか?」


 

◇◇◇◇◇



 下久良さんの言葉はどういう意味なのだろうか?

 室と別れ、歩き出した私の心にはそればかりが巡っている。

 私と合流してから室はずっとそばで、他の男性が私に声を掛けないようにしてくれていた。

 にもかかわらずあのような言い方をされたことに、何か自分の知らない事情があるように感じられてならない。

 何か聞き出せないだろうかと、私は下久良さんへと問いかけていく。


「下久良さん、その……、ごめんなさい。ドレスを台無しにしてしまいました」


 多少の後ろめたさもあり、ついうつむきがちに声を掛けてしまう。

 そんな前を歩く彼女からの返事は、私にとって予想外のものだった。


「えぇ、本当に。とても私には許せるものではありません」


 その言葉に私の隣を歩いていた仁恵ひとえさんが歩みを止める。

 確かにドレスを汚された上に、パーティーの雰囲気を壊してしまったのは私達だ。

 予定外の行動をされて、スタッフとしては腹立たしく思うのも仕方あるまい。

 だがこの仁恵さんが原因ではないのだ。

 顔を伏せる彼女の右手を握り、私は前をぐっと見つめ声を張り上げる。

 

「下久良さん! 仁恵さんは私に巻き込まれてしまっただけです。この件においては彼女ではなく私が……!」

「いいえ、お二人に対して、私は責任を求めるつもりはございません」


 下久良さんからの返事に、私は言葉を止める。


「しいて言えば、仁恵様はもう少しご自身をもっとお出しになってもいいと思います。ご実家のことも考えてのことでしょうから、私がそこまで口出しすることでもありませんが」 


 仁恵さんが顔を上げ「どうしてそれを……」と呟く。

 彼女の言葉に下久良さんがこちらへゆっくりと振り返る。

 その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「招待するお客様については一通り調査をしております。伊地いじかわ家のお嬢様は少々わがままが過ぎましたね。彼女はもう少し『世間』というものを知るべきでしょう」


 状況が理解できず、私は二人の顔を交互に眺めてしまう。

 仁恵さんはそんな私に優しく微笑みかけてきた。

 

「私の父は小さな工場を経営しているの。伊地川家はうちの工場の大口取引先なのよ。下久良様、私は伊地川さんに命令されて、美里さんにひどいことをしてしまいました」


 ぐっと唇をかみしめると、仁恵さんは厳しい表情をたたえ下久良さんと向き合う。


「ドレスに関しての弁償等はすぐには出来ませんが、美里さんの分も私がお支払いいたします。今少し、時間を頂くことになると思います。ですが、ですが必ずっ……!」


 震えた声で、けれども強い意志を感じさせる言葉を仁恵さんは語っていく。

 彼女の言葉にようやく状況を理解した私は、改めて伊地川に対して強い怒りがこみ上げるのを感じていた。

 一方の下久良さんは、仁恵さんの言葉に笑顔を消し口を開く。


「今の私の立場では、仁恵さんへのお答えは出来ません。ですがあなた方お二人のお気持ち、これは確かに私の胸には届きました」


 ポンと胸を叩き、下久良さんに顔に笑顔が戻る。

  

「……さて。私は今から用事が出来ましたので、お二人とは一度お別れいたします。あとは彼女が案内いたしますので」


 その言葉に、私達の後ろについて歩いていた女性スタッフが下久良さんの隣にやってくる。

 確かこの人は、会場で仁恵さんを助け起こしてくれた人だ。 

 女性スタッフに促されるまま、私達は再び試着室へと案内される。

 扉の前には、下久良さんに案内された時と同じ男性警備員が入口で待ち構えていた。

 だが下久良さんの時とは違い、女性スタッフに対し彼はとてもフランクな態度で会話を進めているではないか。

 先程までとの対応の違いに戸惑いを覚えながら、私達は再び試着室へと入って行く。


 案内された部屋は、最初の部屋よりも一回り大きな広さとなっている。

 私達をリラックスをさせるためであろうか。

 部屋は花のようなかぐわしい香りに満ちていた。

 仁恵さんと大きく息を吸い込み、顔を見合わせて二人で笑い合う。

 スタッフがハンガーラックからガウンを取り出し、私達の着替えを手伝いながら早口で声を掛けて来る。

 

「もう少々こちらでお待ちください。私はタオルと着替えの準備をしてまいります」


 女性スタッフは私達が着ていたドレスを手に一礼してあわただしく部屋から出て行った。

 随分と慌てている様子に違和感を覚えるが、きっと他の準備もあるためだろう。

 そう考えた私達は向かい合わせに置かれたスツールに腰掛け、話をしながらスタッフが着替えを届けに来るのを待つことにするのだった。

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