第9話 纏うは礼服 惑うは心 その6

 互いの顔に浮かぶのは笑顔だ。

 だが私達は、この会話において自分の望む情報をすくい上げ、組み立てていかねばならない。


「あなたと別行動になってから、試着室に案内されたわ。入るのは女性だけということで、とてもしっかりとしたセキュリティがなされていたの。スタッフさんと部屋に入るまでに二回ほどだったかしら? 警備員さんのいる場所を通って来たのよ」

「徹底した管理をしているのだね。良くない人物が入らないようにという配慮だろう。ところで……」


 むろは私のコサージュへと目を向けながら言葉を続ける。


「その素敵な飾りは、いつから付けていたのかな? まさか他の男性にプレゼントされた、なんてことはないだろうね? そうだとしたら、僕としては嫉妬してしまうのだけれど」


 彼は、少し眉を下げながら私に問うてくる。

 芝居とはいえ、心にもないことをよく言えるものだ。

 だが今の言葉で、彼が知りたがっているのはこの花の贈り主であることは理解出来た。

 ならば私は、知りうる限りのことを伝えねばなるまい。


「もう、心配しないで! これは着替えが終わってから、最後にスタッフさんが付けてくれたものよ。その人も女性なんだから、嫉妬なんてしなくてもいいんだから。その人の姿は、あなたも最初に見たでしょう?」


 私の言葉に室は目を伏せ、考え込んだ様子を見せている。

 

「そうか。では君は直接、その贈り主には会っていないということなんだね? いや待てよ。男性だから試着室に入れなかったから、スタッフに託したということなのかな。スタッフは、そのコサージュについて何か言っていたのかい?」


 しも久良くらさんからは着用の際に、特に誰から贈られたといった言葉はなかったはずだ。

 あえて室に伝えることがあるとするのならばと私は口を開く。


「特に誰からとは聞いていないわ。ただスタッフさんは、『男性で嫌な思いをしないといい』とは言っていたの。そういえば、確かにここの男性はあなたを含め私を見て驚いて……」

「贈り主が、美里みさとに興味を持つ機会があるとしたら。受付を通るまでの間ということになるね。それまでにあった人物がそうだろうか?」


 私の声をさえぎるように、室は言葉を被せてきた。

 男性陣は、この花の意味は知っている。

 だがそれを、私が知ることは望んでいないということか。

 どうやら話題を変えたほうがいいみたいだ。

 そう思い、口を開きかけた私の後ろから声が掛けられる。


「ちょっといいかしら?」


 とげとげしい口調に、少しムッとしながらも振り返る。

 予想通りというべきか。

 先程のイエローとオレンジのドレスの女性が、こちらを見つめていた。

 室が私の言葉を止めたのは、彼女達が近づいてきたこともあったのだろう。

 実に自然に、彼は私とその二人の間に立ちにこやかに話しかける。


「すみません。今は二人だけで話を楽しみたいのです。ご遠慮いただいても?」


 柔らかい口調でありながら、彼は明確な拒否の意思を示してみせる。

 さらには私を後ろへと下がらせ、距離をおいたのが気に入らなかったらしい。

 イエローの女性は険しい表情を浮かべると、持っていたフルートグラスを強く握り締めた。

 その様子に、隣のオレンジの女性が青ざめた表情をみせる。

 どうやら彼女は、イエローの女性に逆らえない立場のようだ。

 全くひるむことなく、イエローの女性は言葉を返してくる。


「すぐに失礼しますから。そちらの女性のドレスにほつれが見えたのでお伝えしたかっただけです」


 その言葉に、思わず私は自分の姿を見下ろしていく。


「あぁ、後ろですもの。気付きませんよね。仁恵ひとえ、教えてあげなさいな」


 イエローの女性は、仁恵と呼んだ女性のグラスを取り上げると私の元へと向かうように促す。


「……はい、伊地川いじかわさん」


 うつむいたまま、仁恵さんは小さな声で答えた。

 片や呼び捨て、片やさん付けという互いの呼び方に、改めて二人の力関係に気付かされる。

 顔を上げた仁恵さんに浮かぶおびえた表情に、つい過去の自分の姿を重ねてしまう。

 仁恵さんは言われるまま私達の方へ向かおうとするも、体調が優れないのだろうか。

 ふらりとよろけ、しゃがみ込む姿に思わず私は彼女の元へと駆け出していた。


「待ちなさい、美里!」


 通りざまに、室は私の手を掴んだ。

 だが彼女を放ってはおけず、勢いのままその手を振りほどき仁恵さんの元へと向かう。

 視線の先で、伊地川と呼ばれた女性が笑みを浮かべるのが見えた。

 そのまま彼女はこちらへと近づくと、手に持ったグラスの中身を私の胸元に向かって勢いよく浴びせかけてきた。

 冷たい感触に、思わず目を閉じる。

 そんな私の耳に、仁恵さんの小さな悲鳴が届く。

 そうだ、彼女もそばにいるというのにこの人は……。

 目を開けば、しゃがんだままで私と同じようにシャンパンがかかり、体を震わせている仁恵さんの姿が映る。


「自分だけが、主催者から違う扱いを受けて。調子に乗っている女って嫌いなのよ、私」


 苛立ちを隠すこともなくそう言うと、伊地川はそばにあったテーブルへグラスを叩きつけるように置いた。

 振り向きざまの彼女の笑みを見て、浮かんでくる感情は怒りだけで済むものではない。

 私を困らせるためだけに、ここまでするなんて。

 だが今は、この人物の相手よりも先にすべきことがある。

 ぐっと伊地川を睨みつけた後、私は仁恵さんの前にしゃがみ込む。

 濡れてしまっている彼女の肩に手を置けば、消え入りそうな声が私の耳に届いた。


「ごめんなさい。何も悪くないあなたに、こんな酷いことを……」


 自分も同じ被害に遭ったにもかかわらず、彼女は私を見上げ、震える声で謝ってきた。

 こみ上げてくる感情を何とか止めようと、私は拳を強く握り締めていく。

 そんな私達を見ても、伊地川の気分はまだ収まらなかったようだ。


「ごめんなさ~い。何だか邪魔だったからあなたがぁ。あははっ」


 明らかに自分の謝罪をまねて語られた言葉に、堪えきれなくなったのだろう。

 仁恵さんの目が大きく見開かれ、その瞳からは涙がこぼれていく。

 耐えきれなくなったのは、私とて同じだ。

 もっとも私の中にあふれ出ているのは、きっと彼女とは違う感情であろうが。


「……こんなの、許せない」

 

 呟きながら立ち上がり、拳を握り締め私は伊地川の元へと歩き出す。

 平手で打つだけでは、とうてい足りない。

 本来はたしなめてくるであろう室は、動く気配はない。

 おそらくは、私の怒りを見て諦めたのだろう。 

 険しい顔つきで向かってくる私を見ても、伊地川は気分の悪くなる笑みを浮かべたままだ。

 目をそらすことなく近づこうとする私の前に、一人のパンツスーツの女性が進路をふさぐように現れる。

 

「美里様、まずはお着替えに戻りましょうか。お話はその際にも伺いますので」


 私に向かいその人は。

 下久良さんは笑顔を浮かべそう告げる。


 決して威圧的ではない。

 けれどもその言葉には、私の怒りを収め足を止めるには十分な力があった。

 同じように、仁恵さんの元にも女性スタッフが手を貸し、立ち上がる姿が見える。

 それを見届けていた下久良さんは、仁恵さんに視線を向け私へとささやいた。


「これ以上、彼女の姿を他のお客様に見られるのは美里様の本意ではないはず。どうぞこちらへ」


 確かに下久良さんの言う通りだ。

 伊地川などに関わるよりも、まずは仁恵さんのケアを最優先すべきであろう。

 そう考えた私は、促されるまま足を進めていくのだった。

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