第5話 纏うは礼服 惑うは心 その2
「俺を見ても何も変わらないぞ。自分の発言に責任を持つんだな」
「……っ! 分かっているわよ、それくらい!」
「受けたからには俺も全力で当たる。……邪魔だけはしてくれるなよ」
光沢のあるブルーグレーのスーツを身にまとう隣の男は、そう私に言い放つとさっさと歩いていってしまう。
仕事ということもあり、いつも通りに後ろで一つに束ねられた彼の髪を見つめながら「なによ!」と呟き私は彼を追いかけていく。
潜入先は、比較的カジュアルなパーティーであると観測者からは聞いていた。
パーティーの服装といえば、それこそ普段着ることの無いデザインを楽しみ着用するもの。
自分の中ではそんなイメージがあったのだ。
周りの男性の参加者を見渡してみても、やはり個性的でそれぞれの好みが出ているデザインの服装を着ている人達が目に入ってくる。
そういった意味で彼のスーツは、色合いこそパーティーにふさわしい鮮やかなものではあるのだ。
けれども他の人達が、ネクタイやチーフで遊び心や個性を出している中、彼は実にシンプルな装いで会場へと足を進めていた。
これから行う仕事の為にも、目立たぬようにとこの姿を選んだのであろう。
そんな中で、あえて彼が選んで身に着けたであろうものがただ一つ。
彼のネイビーソリッドタイには、蝶がモチーフのネクタイピンが、羽を休めるように静かにとどまっている。
これを見たときは、ほんの少しだけ嬉しかったことは認めざるを得ない。
しかしながらパートナーとして隣に居るべき自分としては、せっかくの彼本来の魅力を生かさないでいることに、もどかしさを感じてしまう。
彼は気付いているのだろうか?
自分が人の目をひきつけて離さない性質を持ち合わせていることを。
すれ違う人達、特に彼に対する女性からの絡み付くような視線。
そうして隣に居る私に対して向けられる彼女達からの刺すような眼差しは、明らかに私を追い出して彼の隣に立ちたいという思いが透けて見えるものだ。
その室はといえば、整った顔に笑顔を湛えるわけでもなく周りに溶け込むでもない。
逆にそれが彼に近づきたいのに近づけない。
そんなえもいわれぬ魅力として、ここにいる人間には映るのだろう。
「……い、おい、聞いているのか?」
考えに心を奪われ過ぎていたようだ。
室からの呼びかけに、少し反応が遅れてしまう。
隣ではいつも以上に不機嫌そうな表情で室がこちらを見ている。
慌てて返事をしようとした私より先に、彼が口を開いた。
「人酔いしたか。仕事に入るにはまだ時間がある。……俺は今、煙草が吸いたい。少しここから離れたいが問題はないか?」
煙草を吸いたい。
この言葉の半分は本音なのだろう。
だがこれは、私の体調に気をかけた発言であることは十分に理解できた。
この仕事を受けると決めたのは自分だというのに。
普段はパートナーと言っておきながら、仕事に集中できていなかった愚かさを私は恥じる。
『邪魔だけはしてくれるな』
彼の言葉がよぎる。
すでに仕事は始まっているのだ。
足を引っ張ることだけはあってはならない。
「……ごめんなさい、もう大丈夫よ。私、あなたの隣にふさわしい行動をきちんと心がけていくから」
ぐっと唇をかみしめ、室を見つめながら私は彼の左腕に自分の腕を絡めていく。
「恋人を降ろされないようにしっかり務めさせていただくわ。よろしくね、……
今回の依頼の前に、観測者から私達へとこのパーティーに潜入するための経歴、名前を与えられている。
彼は個人投資家である
こうしてかりそめの恋人となった私達は、会場へと足を進めていく。
◇◇◇◇◇
「はい、招待状の確認を完了いたしました。では女性はこちらのお部屋へ、男性はメイン会場の方へスタッフが案内いたします」
受付の女性の言葉に、そばで控えていた男女のスタッフが私達の元へとやってきた。
女性のスタッフが、私の隣に立つと一礼をして口を開く。
「ここからはお部屋までは私、
年は三十代後半から四十代くらいだろうか。
すっきりとしたショートカットの艶やかな黒髪が印象的な女性だ。
黒のパンツスーツを纏った上品な姿と美しい顔立ちに見とれる私に、彼女はにこやかに微笑んでくる。
柔らかく落ち着いたふるまいに、私も自然と笑顔になり「お願いします」と言葉を返していく。
「お客様には、今からご案内する部屋にてご協力をお願いすることになります。準備が整った際に、くれぐれもメイン会場の奥にあるお部屋には立ち入らないようにお願いいたします。今回のパーティー参加前に趣旨をご理解いただいておりますよね。『想定外の事が起こった際には自己責任になる』こちらをお忘れなきようにお願いいたします」
絶やすことのない笑顔で語られたその内容に、私はごくりとつばを飲み込み、観測者との会話を思い出していく。
『今回参加するパーティーは、ある下着メーカーが非公式に行うものです。パーティーの目的は、招待客からの資金提供を促すために「楽しい時間を過ごしてもらう」ということですね』
目的の部屋の前にたどり着くと、扉の脇で待機している制服姿の男性警備員がこちらに気付く。
すぐさま彼は姿勢を正し、こちらへと敬礼をしてきた。
警備員からは、ピリピリとすら感じる緊張感が伝わってくる。
そんな相手に下久良さんは笑顔をみせ、彼と会話を交わしはじめた。
やがて首から下げたカードキーで下久良さんが扉を開けると、私に入るようにと促す。
入った先にはさらにまた同じように警備員が待機しており、再び彼女のカードキーによって扉が開錠されていく。
「随分とセキュリティが厳しいのですね」
黙っているのが気まずくなった私は、思わずつぶやいてしまう。
「えぇ、この先では皆様の大切なお体を預かることになりますから。時に軽はずみな行動をなさる男性のお客様もいらっしゃるので。そういった方にこちらに立ち入られては、信頼問題にかかわりますでしょう?」
柔らかな口調でありながら、その内容は決して穏やかなものとは言い難い。
思わず自分の体を抱きしめるかのように、私は両腕を強く抱く。
通された部屋の中は他の部屋に比べ、少し暖かい温度設定になっているようだ。
その理由とこれから自分に行われることを思い、つい体が固くなってしまう。
その様子に気付いた下久良さんが、そっと私の肩に手を乗せてきた。
「どうかそう緊張なさらないで下さいませ。
そう、今から私が行うのはこの会社の商品であるランジェリーを着用してパーティーに参加すること。
パーティーの間、試着をしてその使用感を伝えるというのが私の『表向き』の仕事となる。
とはいえ、本来の目的と室が何をするのかを私は聞かされていない。
彼に尋ねてみたものの言葉を濁され、聞けないままで終ってしまった。
指示を受けた際に観測者にも聞いてみたが、「もし千堂さんが捕まり、白状されては困りますので」と言われ結局、聞かずじまいだ。
ならば今の自分に出来ることはここにいる間、きちんと仕事をこなし彼の邪魔をしないこと。
言葉だけでなく、本当のパートナーであるための行動を。
彼の仕事が終わるまで、『美里』を演じ切ることが私のすべきことであり出来ることであろう。
そう答えを出した私は、下久良さんを見つめ彼女へと口を開いた。
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