暗殺者の条件

あざね

第1章

プロローグ 誰も、その少年の姿を知らない。








「や、やめてくれ……! わ、私が何をしたって言うんだ!!」

「知らないよ。ただ、依頼人がキミを邪魔に思っているみたいだ」




 一人の少年が、ナイフを片手に貴族男性の前に立っていた。

 淡々とした口調で語る彼に対して、恰幅の良い貴族は必死に訴える。



「い、良いぞ! 貴様が私の味方になると言うなら、その依頼人の数十倍の報酬を支払おう! わ、悪い話ではないだろう!?」

「………………うーん」



 それを耳にして、暗殺者の少年は少しだけ考えた。

 今回の依頼で受け取る金額は、成功報酬として金貨五十枚。それ以外にも様々な条件があったが、基本となるのはその額だろう。仮に目の前の貴族が言葉通り、報酬を支払うとすれば金貨は数百枚以上に膨らむ計算になった。

 簡単に見積もっても、一般平民が生涯遊んで暮らすに足る金額だ。

 しかし、少年は一つため息をついてこう口にする。



「悪いけど、さ。ボクに必要な金額は、アンタには払えないよ」



 ナイフの刃にそっと指を当てながら。

 すると貴族男性は、一気に顔を青ざめさせて叫ぶのだ。



「だ、誰かいないのか!? わ、私を助けろ!!」

「あー……無駄だよ。だって――」



 だが、それを遮るように。

 暗殺者は一歩、また一歩と男性のもとへ歩み寄って言った。




「みーんな、ボクが殺したから」――と。









 ――暗殺者の条件とは、なにか。



「一つに、暗殺技術が挙げられるだろう。それがあれば、一介の冒険者や傭兵、あるいは騎士にだって遅れを取ることはない」



 だが、もしも身体能力にさほど恵まれなかったとしたら。



「二つに、隠密スキルが必要になるな。それがあれば、自身より身体能力に勝る相手が現れても、急場しのぎになるだろう」



 なら、そのようなスキルも神から授けられなかったら。




「それでも、暗殺者になりたいなら。必要なのは――」

「誰よりも『普通』であること、でしょ?」

「――その通りだ、レウ」




 王都の外れにある小屋の中。

 眼鏡をかけた背の高い一人の青年と、レウと呼ばれた少年が話していた。いったいどうして、そのような話になったのだろうか。それはきっと、二人にも分からない。

 彼らの会話というのは、決まって他愛のないものばかり。仕事にかかわるもの以外であれば、ある特定の事項を除いて、謎かけのようなものばかりだった。



「……それで、アッシュ。この前の依頼での報酬、ちゃんと入ったの?」

「あぁ、滞りなく。無論、レウの素性などは一切バレてないよ」

「当たり前だろ? それが仕事なんだから」



 どこかウンザリとした口調で、ソファーに寝そべっていたレウは身を起こす。

 そして、黙々と書類を片付けるアッシュを見た。端正な顔立ちに、不釣り合いに思えるほど大きな黒縁眼鏡。赤の髪を後ろで一つに束ねた青年は、小さく笑った。



「ははは! それが仕事、か。本当にキミは、どこまでも普通だな」



 彼は少しばかり不服そうに頬を膨らすレウに、こう問いかける。



「やっていることと、考え方の齟齬が激しいとは思わないかい? 涼しい顔で人を殺し、それでいて人殺しを悪と思いながらも仕事と割り切るのだから」

「うっさいなぁ……」



 するとレウは、不機嫌を隠そうともせずにアッシュを睨んだ。

 正直なところをいえば、自分でも考えたくはない事柄、なのだろう。仕方ないと割り切っているとはいえ、少年の心にも良心は存在していた。

 人を殺めるというのは、すなわち相手の今後、可能性を奪うことに他ならない。さらには遺族が残される場合もある。これを生業としてから、レウは幾度となく死者を前に涙する家族を目の当たりにしてきた。



「それでも、ボクはやらないといけないんだ」

「あぁ、そうだね。でも、正確には――」



 そんな光景から目を背けるようにして、レウが言う。

 するとアッシュは、それを肯定した上で続けるのだった。




「キミだけではない。私たち二人で、だよ」――と。




 それを聞いて、少年はポカンとした表情を浮かべる。

 そして、呆れたように頼むのだった。




「……アッシュ、お前って昔からそのキザな言い回し好きだよな。そろそろキツイから、やめてくれないか?」




 そうすると、次は青年が小さく笑って答える。




「それを言うなら、レウだってそうだ。いい加減、どんな顔をしているのか教えてくれよ。相方の顔を知らないのは流石に不味いだろう?」――と。




 実際のところ、アッシュは未だにレウの顔を知らない。

 正確には、記憶できない、ということだが。



「……ばーか、それはそっちで努力しなって」





 レウはそう言うアッシュへ、小馬鹿にするように答えるのだった。





 

――――

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