第35話 3.がとーしょこら色の思い出(7)
「その……えっと……、も、もう、大丈……夫」
「本当ですかぁ? 大丈夫でも、お水飲んでください」
僕が必死で視線を逸らしているのに、咲はグイッと覗き込むようにして僕と視線を合わせてくる。間宮咲とは、そういう人間だ。
困っている人や動物を放っておけない性格で、困っている人にはすぐに声をかける。困っている動物にはすぐに手を差し出す。これまでに咲が拾った人と動物の数は、両手では足りない。
「う、うん」
咲の圧に押されつつ、僕はペットボトルの蓋を開けようとして手を止める。
「あの、お金……」
ペットボトルを脇に置き、ズボンのポケットから財布を出そうとして気がついた。
この体感ルーム内で、お金は使えるのか?
しかし、そんな疑問は全く問題ではなかった。どんなにポケットを探しても、僕の指が財布に触れることはなかったからだ。
パントマイムのように体中を触り、財布を探している僕の姿を見ながら、咲はクスクスと可笑しそうに笑う。
「良いですよぉ。お金なんてぇ。そんな高い物でもないですからぁ」
「で、でも……」
僕は返事に困って、オロオロと視線を彷徨わせる。
そんな僕を見兼ねたのか、咲はまたクスッと笑い、救いの手を差し伸べてくれた。
「じゃあ、もし本当に具合が良くなったのならぁ、お礼に私のお願いを聞いてください」
咲は自分の可愛さを分かっているのだろうか。小悪魔的な微笑みを浮かべ、小首を傾げながら僕の反応を伺っている。
「お、お願い……? ま、まぁ、僕に出来ることであれば、な、なんでもするけど……」
「ホントですかぁ!!」
咲の声が一オクターブ上がった。僕は下を向き咲の靴の先を見る。咲の笑顔はいつだって眩しすぎる。今もそうだ。笑顔だけでなく全身から嬉しいオーラを放っているから余計に眩しい。
そんな僕の挙動不審ぶりを、咲は全く嫌な顔をせずに受け入れてくれていた。
今、僕の目の前にいる咲は、記憶の中にいる彼女よりも幾分か若い。それでも咲はやはり咲だった。
つい、いつものように彼女の爪先へと視線を走らせオドオドとする僕に、咲は、なんの躊躇もなく接してくる。
僕は少しだけ視線を上げて、彼女の太腿あたりに無造作に置かれたスラッとした咲の指先を見た。
「う、うん。何をすればいいの?」
「あのぉ、出会ったばかりの人にこんなお願いをするのは変なんですけどぉ……」
咲は本当に変なことを頼んできた。
彼女の願いは、一緒にガトーショコラを食べて欲しいというものだった。
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