第18話 スペースタワー
2025年11月10日世界時0時29分。
ジェフリー・ボイル捜査官は、スリランカ人の同僚とともにインド洋上のプラットフォーム(スペースタワー基部)の周辺を、6km離れた警備艇から双眼鏡で監視していた。 不安げな表情で顔を上げると周囲を見渡した。
夜が明けようとしているプラットフォームからは、小型船舶が6隻、工事関係者190名を乗せて離れつつあった。予告時刻まで11分あまり。
スリランカ空港とインディラガンディ国際空港で相次いで検出された98-N-4火薬の痕跡が騒動の発端だった。ルイス・カーペンター社が新たに開発した「フィールド非対称波イオン移動スペクトロメトリー」という技術を応用した化学フィルターが、一部の空港施設に導入された直後のことだった。
対象となる微量物質をイオン化し、ガス中の電場でそれらがどのように移動するかによって物質の種類を識別するというこのフィルターがなければ、 計画の察知は無理だったかもしれない。少なくとも、手遅れになっていただろう。
各地の空港での検出記録は、リヨンのインターポール犯罪情報局に送られていたが、技術支援局が開発した自動照合システムの画面を見ていた芹沢達治が、98-N-4 の検出データに気づいた。
彼は、放射能や細菌、化学物質などを使ったテロ事件の初動捜査を行う警視庁「NBCテロ捜査隊」に所属していたが、化学だけでなく、英語とフランス語に堪能なこともあり、 4年前からインタポール本部に出向していた。
芹沢は2つの空港検査記録に 98-N-4 が現れたことに注目し、他の空港記録に調査を広げたところ、思いかげない事実が見えてきた。ルイス・カーペンター社の最新の「電子の鼻」はまだ一部の空港にしか設置されていなかったが、テルアビブやカイロ空港での検出から4日後にはダッカ空港、カラチ空港での検出が報告されており、さらにその3日後にはコロンボ空港でも検出されていた。 これらの事実は 98-N-4 の移動経路を暗示していた。
静止軌道にある衛星位置を起点に、重心が静止軌道からずれないようにしながら、地球方向と反対方向それぞれに構造物を延長していくと、やがて地球方向への延長構造は地上にとどく。この「スペースタワー」を上下するエレベーターを使えば、ロケットのように燃料を運び上げる必要がないため、ロケットによる打ち上げの 1%のエネルギーで静止衛星を軌道にのせることができる。
無公害、高能率な宇宙輸送手段として注目を浴び、1999年から本格的な研究がNASAの先端構想研究所(NIAC)で始まった。2012年にはロスアラモス国立研究所が研究に参加している。
ロケット打ち上げや航空機の飛行に伴う燃焼ガスが、中間圏での雲の発生原因やオゾン層破壊の一因となっていることが、UNFCCC(国連気候変動枠組条約)のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の 特別報告書「Aviation and the Global Atmosphere 航空機と地球大気」(2016年)で明らかになったこともあり、「スペースタワー」建設の機運が高まった。
2017年には、サンフランシスコに拠点を置く航空宇宙コンサルタント会社「ケイネックス」が、平均幅1.5mのカーボンナノチューブポリマーでできたケーブルを静止衛星軌道から上下に延長するという計画書「スペースタワー2017レポート」を発表した。同社の計画をもとに、国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)の管理下のもと、各国の宇宙機関や航空宇宙産業が共同出資した合弁企業体「グランドリフト・プロジェクト」が230億ドル(82%が建設費、18%が運用費)の資金をもって動き出したのが2018年5月である。
地球周辺の宇宙空間は過酷な環境であり、スペースタワーのような長大な建造物では、当然のことながら使用済みロケットや人工衛星、その破片など軌道上の不用物体や流星物質との衝突を考慮に入れなければならない。 比較的大型の物体の接近はレーダーにより検出が可能であるため、タワー全体の振動を制御することにより衝突を回避できる。 問題は1センチに満たない物体との衝突である。タワー全体に防護シールドを施すことは重量的にも不可能だった。
部分的な破損が許容できるよう、「ストランド」という最小構造体を12本束ねて基本構造体(「ハンク」と呼ばれる) が構成される。破損箇所の修理には保守用ロボットが使われるが、そうした維持費用がスペースタワーの効率性に見合うものなのかどうかも大きな問題になっている。また、 作業中、機材が誤って軌道上から宇宙空間に離脱してしまい、自らが危険な不用物体を生み出す可能性も指摘されている。
2019年末段階において、地球周回軌道上をまわる人工物体(光学・電波観測によって追跡されている約5cm以上のもの)の総数は29000個(計12000トン)近くにのぼっていた。 とくに深刻な問題は、それら相互の衝突によりさらに数が増していくことだった。
2013年9月11日に起こった国際宇宙ステーションへの衝突では、さいわい、乗員が実験モジュール内で作業を行っていなかったため人的被害を免れたものの、 観測にかからなかった1cmをこえるなんらかの物体(のちの調査でロケットの破片であることが判明)が実験モジュールを使用不可能になるほど破壊した。この事故を機に、NASAは超軽量のSO2エアロゲル・シールドの開発を早めた。 4年後には従来のホイップル・バンパーに代わり、国際宇宙ステーションの防護壁として採用されることになる。
近年の打ち上げロケットでは、軌道上に乗ったあと、爆発の原因となる残存燃料を排出したり使用済み衛星が軌道上に長く留まらないよう軌道を降下させて大気圏に突入させるなど、国連のガイドラインに沿った設計が一般的となった。しかし、すでに軌道上にある膨大な数の物体は宇宙開発の大きな障害となっており、これら「軌道上の不用物体」を取り除く効果的な方法が求められていた。アメリカは、軍事用に配備された移動型高エネルギーレーザー(MHEL)を使って「軌道上の不用物体」のうち、5cmに満たない比較的小さなものを消滅させる実験を2020年に3回行っているが、かえって粉砕破片が増えることがわかり、その後の実験は行われていない。
そのようななかで、21世紀初期に設立された衛星メンテナンス各社の活動が注目されている。 なかでも、バンクーバーに本社を置く「サテライト・エクステンション・サービス」やインド南部、バンガロールの「サテライト・リカヴァリー・アライアンス」では、自社の小型衛星を静止軌道上にある燃料切れ(他の機能は正常な)衛星の噴射ノズルにドッキングさせ、衛星の姿勢制御・高度制御を代行するという業務により、急速に業績を伸ばしている。
21世紀に入り中国との自由貿易協定をはじめ多面的な関係改善を進めたインドは、技術面での人材交流にも積極的に取り組んでおり「アライアンス」にも多くの中国人技術者が参加している。
対する「サテライト・エクステンション・サービス」では、高度数百kmにある「不用物体」の除去という新たなサービスを始めた。「サテライト・シュート」とよばれる小型衛星は、目的の軌道に達すると強靱で巨大な膜を展開する。やがて膜の一部で不用物体を包み込む。 広がった膜の大気抵抗によって軌道減衰が進み、やがて大気圏に突入する。 2020年代に入り「アライアンス」は、高度800km前後にある不用物体の約17%の除去に成功している。
「サテライト・エクステンション・サービス」が世界にその名を知られるきっかけとなったのは、ヴァンガード1号回収計画に名乗りをあげたことだった。
1958年3月、アメリカ史上2番目の人工衛星となった「ヴァンガード1号」は、ロシアの衛星に比べ「グレープフルーツサイズ」といわれる大きさであったものの、世界初の太陽電池搭載衛星であり、その軌道解析からは、地球の形状がいわゆる「西洋なし型」にゆがんでいる事実が明らかになった。
打ち上げから60周年を迎えた2018年においても、「ヴァンガード1号」は当時とあまり変わらない軌道高度を回り続けていた。地球を236500周以上まわり、その飛行距離は太陽-地球間の85倍を上回っていた。 1964年に送信はストップしていたものの、最古の人工衛星としてなおも数百年にわたり周回軌道にとどまるはずであった。
その運命を変えたのが「サテライト・エクステンション・サービス」であった。衛星を所有する合衆国政府と回収計画に合意した同社は、通信衛星打ち上げ時の便乗貨物として、イオンエンジン搭載のロボット衛星「サテライト・シュート」を軌道に乗せた。2年2ヶ月かけて軌道を修正したロボット衛星は、高度650kmで「ヴァンガード1号」へ接近。 打ち上げ60周年のまさにその日、2018年3月17日に捕獲に成功した。
その後、「サテライト・シュート」は巨大な膜を展開して「ヴァンガード1号」全体を包み込んだ。膜全体の受ける大気抵抗によってヴァンガードの軌道減衰が1000倍も増加。3ヵ月後には高度約350kmの円軌道に達した。この段階で2つ目の「サテライト・シュート」が接近し、「ヴァンガード1号」を膜から切り離し、バルーン方式の耐熱カプセルに収納した。 「サテライト・シュート」の推進システムは、「ヴァンガード1号」を南太平洋無人海域への落下へと誘導し、カプセルの標識信号を頼りに救難回収艇がオレンジ色のカプセルを引きあげた。
5ヶ月近い検査の結果、長く宇宙環境にさらされた機体には、0.5mm以上の衝突跡が20万個以上見つかった。 衝突物体のほとんどがアルミニウムとその酸化物であった。
同年12月には、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館1階にある「宇宙競争」のセクションに 「60年地球をまわったヴァンガード1号」として展示され、宇宙開発黎明期を語るその姿をひとめ見ようと、 多くの見学者が訪れている。
さらに、もしスペースタワーが深刻な損傷を被った場合には、構造物全体が崩壊する可能性もあり、最悪の事態には落下するスペースタワーの断片が極めて広域に影響を与えるだろう。場合によっては地球環境全体への影響も懸念される。多数のシミュレーションが行われたものの、環境への影響については磁気圏や高層大気を含め、不確定な要素が少なくなかった。 各国での建設反対論運動も根強いものがあったが、従来の航空宇宙利用技術では、オゾン層破壊をくい止める有効な手だてがなかったことも事実だった。
一方、スペースタワーに対するテロリストからの脅威については、素粒子実験施設同様、当初から指摘されていた。2014年3月、フランス、グルノーブルの素粒子実験施設に研究員として侵入したテロリストが、地球が破壊される可能性があるような実験を準備していたことが、不自然な残業記録から発覚した。1999 年、プリンストン大学のフランク・ウィルチェックは、重イオン衝突型加速器からストレンジクォーク物質(SQM)、あるいは ストレンジレットと呼ばれる素粒子が発生する危険性をすでに警告していた。 この素粒子は近傍の通常物質を取り込み成長するのである。
30年におよぶ計画とされたスペースタワー建設に着手して1年半、洋上プラットフォームと静止軌道上の「セントラル」とよばれる部分が完成に到らない段階で、はやくも深刻な事態を迎えた。
建設開始時以来、インド海軍が洋上プラットフォーム周辺の監視を行っており、今回は通常の2倍の人員と艦船が動員されていた。
インドとその周辺国の港湾施設・空港施設の監視カメラと放送・インターネット通信内容が当時まだ開発中の「スパイダー」(アメリカ国家安全保障局の大規模通信傍受ネットワーク)によって解析され、南アジア環境保護戦線のメンバーの通信記録の断片が見つかった。98-N-4 の入手経路への糸口がつかめたが、爆破目標についての明確なデータはなかった。爆破予定日時らしき8桁の数字が残されていたが、もはや時間的猶予がない状況だった。
海面下でも、2隻のインド海軍潜水艦がソナー監視を行っている。
高性能レーダーを備えた護衛艦4隻のうち2隻には、アメリカ製移動型高エネルギーレーザー(MHEL)が配備され、接近する航空機やミサイルの迎撃に備えていた。
あと、30秒に迫った。
ボイル捜査官は、双眼鏡と軍の提供した2つのモニターを交互に見ながら、プラットフォームに接近するものを見逃すまいと神経をとぎすましていた。快晴の空のもと、海上には心地よい微風が吹いていたが人々の緊張感がそれを圧倒していた。
だが、時間が来てもなにも起こる気配がない。すると、後ろのほうで大声で上官を呼ぶ声が聞こえた。と同時にイヤホンが鳴った。
「セントラルか? 第4宇宙ステーションで爆発があったらしい。いま確認を...」
捜査官は、15年前、北朝鮮が小型核弾頭を積んだ改良型テポドンミサイルを発射し、日本海上空120kmの宇宙空間で爆発させた事件を思い出した。 直接の人的被害はなかったものの、強力な電磁パルスにより、低軌道をまわる人工衛星2基が機能停止に追い込まれ、韓国、日本を含む一部の通信、送電設備が終日使用不能になった。
「ミサイルではないとすると、一体何が爆発したのだろう」
彼は苦渋の表情で澄みきった青空を見上げた。
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