第17話 再び月へ
シーマ・シャハクを含む6名が乗ったムーン・クリッパーL-19は、宇宙ステーションUN3を離れて3日目を迎え、すでに月周回軌道に入っていた。窓からの景色のほとんどが滑るように移動する月面で占められていた。いくら眺めていても見飽きることのない、それはまさに自然が創り上げた造形美だった。 2度目の飛行でもその感動に変わりはない。
名前は思い出せないが、ある宇宙飛行士がこう語っていた。
「月にはさまざまな表情がある。それを見るたびにいくつもの物語を思い浮かべる」
子どものころ、初めて望遠鏡で満月を見たとき、周囲に放射状の美しいすじをのばす(その名前はあとになって知ったのだが)ティコ・クレーターとコペルニクス・クレーターがとても印象に残った。
6600万年前、白亜紀が終わる頃、恐竜たちを滅ぼした小惑星はおよそ1億6千万年前に小惑星帯で起こった天体同士の衝突、破砕現象に端を発していたというコンピューターシミュレーションが発表されたのは2007年のことであった。その破片のひとつがやがて地球に衝突して多くの生物を滅ぼし、別の破片は約1億年前に月面に衝突して直径85kmのティコ・クレーターを穿ち、破片の残りは、今も「バティスティーナ族小惑星」として惑星間空間を公転しているというこの説は、 その後、2009年に打ち上げられたNASAの赤外線天文衛星WISE(ワイズ)の観測に基づく研究から否定的に見られるようになったが、地球から遠く離れた宇宙空間で起こった事件が、地球の運命を大きく変えてしまう可能性を示唆していた。
ムーン・クリッパーはコペルニクス上空に差しかかろうとしていた。
直径90km以上もあるクレーターの上空130kmを、1分で通過してしまうというのは本当に貴重な体験だった。荒々しい三重の外輪山に見とれてしまうが、それは天体衝突時のすさまじさを物語っていた。中央部にそびえる3つの火口丘はいずれも1200mという高さであった。
約2時間の周回のたびに減速が行われ(1分前には座席前方の加速度警告灯がアナウンスに続いて点滅していた)が、次第に軌道高度が下がっているのがわかった。
L-19は他の4機とともに、約3ヶ月に1度の頻度で地球-月間の人員・物資輸送に使われているが、ステーションに帰還するたびに念入りな保守作業を受けている。 とくに厳しいチェックを受けるのはエンジンの燃焼室である。2300度という高温ガスにさらされるため、わずかな見落としが命取りになる。
燃焼室内壁を「真空プラズマ法」でコーティングする作業をステーション滞在時に見せてもらったことがある。 ニッケル、クローム、アルミニウム、イットリウムの合金でできた薄膜を耐熱用ジルコンとともに用いることで、燃焼室内で受けた熱をコーティング面全体に拡散でき、エンジンの寿命が大きく伸びるという。技術者たちが発音していた「ニックラリー」というのは人の名かと勘違いしていたが、その薄膜合金のことだった。
目的地である「虹の入江基地」は「雨の海」の一角に位置しているが、大局的な月面地形しか知らない者には、どこの上空を飛行しているのかわからないほどの高度だった。シーマはアペニン山脈の裾野に 「マルコ・ポーロ」という埋もれかけた古いクレーターを以前のように見つけることができ、妙に懐かしく感じた。
2030年、25歳から2年間、ベルリン心理学研究所に籍をおいたまま「虹の入江基地」の医療センターで、隊員の精神分析と心理カウンセリングを担当したが、その実地研究の成果が地球帰還2年後に「閉鎖空間における心理過程」として発表され、その年のアクシュータ賞受賞となったのである。
UN3を出てから、プライバシーが守られた寝台区画の中でもあまり熟睡はできなかった。その原因は友人にあずけたメラニーのことでもなく、リズミカルとはいいがたい船内音のせいでもなかった。
「雨の海」は、地球側に向いた月面では最大の地形である。その広がりは、カルパチア山脈から約1100km北のプラトーまでに到り、 アペニン山脈から西方約1200kmのグルイテュイゼン・クレーターまで及んでいる。38億5千万年前(ちょうど地球上に生命が出現した頃)に月を直撃した小惑星によって生まれた「雨の海」。その広大な溶岩平原の厚さは、周回軌道から各国探査機が行った電波探査により約5kmに及ぶことが判明している。
地球上では、地殻変動や侵食により表層が常に更新されているために最古の微化石を見つけることはきわめて困難だった。 そのため、生物体内で炭素12の同位体濃度が高まる現象を利用した堆積岩における炭素同位体の痕跡調査が続けられ、グリーンランドのイスア地域では38億5千万年前に生命が存在していた証拠が見つかった。ただし、非生物学的に同位体濃度が高まる場合も考えられた。
38~39億年前、地球に小惑星や彗星が少なからぬ頻度で衝突していたころ、ようやく現れた微生物の化石が岩石に含まれた状態のまま、天体衝突により吹き飛ばされ、 地球の重力をふりきって月に達していた可能性があった。
2002年、その可能性に初めて言及したワシントン大学の大学院生ジョン・アームストロングは「地球最古の微化石が月で発見されるのには、相当な時間を要するだろう」と述べていた。
岩石中に含まれる微量気体の成分が火星探査機による火星大気のものと一致したことから、火星から飛来したと見られる隕石が月で1ダース以上も見つかった。地球から飛来した隕石を探すため、月周回衛星から高分解能赤外線センサーが使われたことがあった。これは、地球起源の鉱物には月の物質にはないレベルの結晶水を持つとの予想に基づいた探査であった。 もし40cm以上の塊が表面にあれば検出できたはずであるが、痕跡は皆無であった。月面衝突時に破砕され、細かくなった岩石に長年にわたり太陽風粒子や微小隕石があたり、 結晶水が失われたのかもしれない。
それでも可能性はある。月の地下に埋もれ、結晶水を保ったものが人類の発見を待っているかもしれないのだ。 現在、月に滞在する地質学者たちは、地球最古の微化石の第一発見者になることを夢見ている。
5000m級の山々が連なるアペニン山脈は、小惑星衝突時の破砕岩で出来ており、全長約600kmという月世界最大の山脈である。「雨の海」を囲む最も印象的な地形であり、この山脈が夜明けを迎えるころ、地球上の子どもたちが、いっせいに望遠鏡を月に向けるという。山頂部分の連なりが闇の中に浮かび上がるのだ。
アペニン山脈の北側にあるハドレー谷には、今もアポロ15号の着陸船や月面車などが当時のまま残されており、月周回軌道からの撮影試験目標としても利用されている。
2010年代から本格化した中国の月探査の目的は、当初明らかにされず、核融合燃料としてのヘリウム3の国内への輸送が最終目的ではないかとの噂が流れていた。同時の中国は急速な工業化にともなう環境汚染を大きな社会問題としてかかえており、エネルギー需要を核融合で賄う計画が立てられていたからだ。同じ頃、北海油田で経済が支えられていたイギリスでも油田の埋蔵量が半減し、エネルギー需要を賄うために、核融合炉導入への政策決定がなされた。
2012年9月の第54回国連総会は、「熱核融合の平和利用に関する国際協力」と題する決議を採択し、熱核融合平和利用委員会(COPUT)を常設委員会として設置した。
エネルギー問題の長期的解決策としてだけでなく、温室効果ガス放出を抑制する切り札として、COPUTは各国の熱核融合炉の開発に関し 「熱核融合開発の10年」の開発戦略を指針にして、研究開発の実現を支援した。 支援の見返りに研究成果と開発状況の公開を義務づけさせたのである。
アメリカでは、1996年、包括的核実験禁止条約に当時のクリントン大統領が署名をして以来、核兵器の実験ができなくなり、これを補うため核爆発のコンピューターモデルの開発が行われてきた。 そのデータを提供していたのが、1997年に建設が始まった国立点火施設(NIF)であった。
サンフランシスコの東方約80kmにあるローレンス・リバモア研究所。 その一角に建設されたNIFには窓もなく巨大な格納庫にしか見えなかったが、内部には13年の歳月と40億ドルの国家予算をつぎ込んだメガジュールレーザー増幅装置があった。 出力420万ジュールというすさまじいレーザービームが一瞬にして重水素・三重水素のターゲットを圧縮加熱し、核融合を引き起こしたが、 この装置を使って利用可能なエネルギーを取り出すにはいくつもの技術的課題を克服しなければならなかった。 核融合反応で放出される中性子は次第に原子炉の構造材を痛めつけ、構造材が帯びる放射能も問題になっていた。
2013年6月には、マルセイユ近郊のカダラッシュに世界初の核融合実験炉(ITER イーター)が完成したが、 やはり炉から発生する中性子を処理する低放射化材の劣化が予想以上に早いことが判明した。一方、中国科学院等離子体物理研究所の呉孔嘉らのグループも同じ問題に直面したが、2015年、高エネルギー中性子が多量に発生するD-T核融合から、 ヘリウム3を三重水素の代わりに用いるD-3He核融合へと開発方針の変更が行われた。
D-3He核融合では、燃料にも反応生成物にも放射性元素や中性子が含まれず、環境保全に好ましい方式だった。D-3He核融合反応の大きな課題は、D-T反応よりも高い温度が要求されることだった。
こうして、2030年代に入ると、外国からの研究者らも多数加わった等離子体物理研究所による磁場反転配位プラズマ実験が成功し、10年以内にも実証炉を稼働させるめどがついたのである。
ヘリウム3は、地球上にはほとんど存在しないが、アポロ計画で地球にもたらされた月の土壌サンプルの分析からヘリウム3の存在が明らかになった。 ヘリウム3を用いた核融合炉は、他の核融合方式に比べ高温を必要とする、月の大量の土壌を処理するなどの困難さを抱えるものの、高い効率でエネルギーを取り出すことが可能で、月からの輸送コストを差し引いても十分見返りのあるものであった。
ところが、2018年10月、月探査計画の最高責任者である中国科学院、徐甬祥院長に対するBBCの独占インタビューの中で徐院長は次のように語った。
「世界的に進む環境異変だけでなく、高度なテクノロジーも人類にとっては脅威となりうる。 核や生物テロに限らず研究者の予測違いによって大きな災害を生み出してしまう危険性がある。(降雨促進物質で台風の進路を制御しようとして失敗した日本の例が引き合いに出された)
この惑星が、何らかの原因によって広域的甚大な被害に見舞われた場合に備え、あらゆる生物のDNAを保存しておく必要を痛感している。その安全な保管場所として我々は地球上でなく月を選んだ。
いつの日か、月のDNAライブラリーから地球上の生命が再生される日が来るかもしれない。 当然のことながら、そのような日が永久に来ないことをわれわれは望んでいる」
この短いながらも衝撃的な発言は、アメリカに先行してアポロ後の有人月着陸を成功させた中国に対する警戒感を増強させる結果となった。核戦争への準備を中国が整えている現れという見かたも広まり、アジア周辺での警戒態勢が次第に高まった。アメリカは、冷却システムの小型軽量化に成功し開発の最終段階にあった移動型高エネルギーレーザー(MHEL)の実験と配備を急ぐことになった。ミサイルをはじめとする高速飛行物体を無力化するMHELの配備は、核戦争の偶発を避けるためにも必要とされていたのである。
21世紀に入り、9カ国が核兵器を保有するに至ったが、とくにカシミール地方の領有をめぐるインドとパキスタンの長年にわたる対立は、 両国が相次いで核兵器を保有し、核実験を実施することによって一層深刻さを増していた。 両国首脳による「和解の試み」は何度となく失敗に終わっていた。
パキスタン政府の力が及ばないとされるゲリラ組織がインド側に越境し、インド側はゲリラ組織にパキスタン正規軍が加わっていると主張し、パキスタン側に砲撃と空爆で対抗した。
インドの国力はパキスタンを大きく上回っているため、通常兵器によってパキスタン側を短期間に制圧する可能性があった。それを最も恐れるパキスタンは、インド側の攻撃が軍事拠点を制圧する前に核兵器使用に踏み切ることが考えられた。
インドとパキスタンは合計110発もの核弾頭を保有していたが、局地的な核戦争勃発の危険性をはらんでいた。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のメンバーでもあり気候学を専門とするアメリカ、ラトガーズ大学のアラン・ロボックや、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で「核の冬」の研究に携わった経験を持つリッチ・ターコらのチームは、核爆発のシミュレーションに応用できる気候モデルの開発に着手した。
インドとパキスタン双方で2000万人以上が爆発や火災、放射能で死亡するだけでなく、700万トンもの煙が発生し成層圏にまで達する可能性が示された。煙は2週間で全大陸を覆い、成層圏に入った煙粒子は雨による除去も受けず、10年もの長期にわたり浮遊することになるはずだった。 煙粒子で日光がさえぎられ、世界の平均気温は数年にわたり1.25度も低下。
低温化で蒸発が減り、世界の降水量が10%減るが、とくにアジア・モンスーン地帯では降水量が40%も減ると予想された。 世界中、ほとんどあらゆる地域で深刻な食糧不足に直面することとなり、かろうじて生活を維持している10億もの人々が直ちに飢餓の脅威にさらされることになるのだった。
2010年にこの研究結果が公表されたことにより、当時すでに核軍縮に取り組んでいたオバマ政権は本格的にMHEL計画を推進することになった。
一時的な緊張状態が生まれたのは確かだが、徐甬祥院長の発言が文字通りの内容であったことが世界に理解されるまでには、それほど時間はかからなかった。2021年、中国の外国人人材法によって、宇宙開発など33の分野での人材登用が中国人以外にも開放された。
雇用条件が諸外国に比べ良好で、優秀な人材が中国に流入し始めた。日本からは家族ごと中国に移住するケースも少なくなかった。日本に見切りをつけた人々、とくに技術者たちが次々に海外移住を始めていた。日本国内では、短期雇用が労働人口の42%を超えるようになり、さまざまな分野で専門的な知識や技能が受け継がれなくなる問題が深刻化していた。
この結果、中国では新たな競争意識が国内に芽生え、経済も活性化された。 精華大学を始め34の国家重点大学には、海外からも委託研究や共同研究という名目で多額の資金が流れ込んでいた。
ますます強大になる中国に対し、アメリカ大統領マイク・オーウェンは有効な政策を打ち出せないばかりか、深刻化する異常気象による農作物への被害や大型化するハリケーン災害に対処するのがやっとだった。
乗客室の前方スクリーンには、中央を機体位置とする月面拡大図が表示されていた。「雨の海」上空を通過中であることがわかった。再び窓の景色を見ていると、ラプラス岬や直線山列、テネリフェ山脈、そしてピコ山というなじみの地形が次々に視界に入ってきた。
再び人類が月に足を降ろし、恒久基地が建設されるようになってからは、世界中の子どもたち(大人たちも)が手作りや市販の小型望遠鏡を月に頻繁に向けるようになった。望遠鏡需要が世界的に高まり、光学メーカーの株が軒並み上昇するほどだった。
月の南極地域での基地建設を共同で進めている欧米、ロシア、日本と、虹の入江で基地建設を行っている中国、インド、アジア連合、のいずれもが科学探査、資源探査のみならず、月観光ビジネスに対しても並々ならぬ努力を傾けていた。さまざまな巨大メディアとの契約を結び、月からの画像配信や実況中継、映画撮影の受け入れを始め、民間企業が行う一般向け(といっても一人当たり4千万ドル規模)の月旅行への対応なども頻繁に行われていた。
日本の旅行会社とロボット企業が人類月着陸60周年を記念して始めた「テレプレゼンス・ムーン」は、1万~2万ドル程度という低価格と絶対的な安全性で爆発的な流行となった。参加者は地球に居ながらにして、ロボットに付けられた各種センサーを通じて旅行の全過程を楽しむことができる。
そして、月面を直接利用したビジネスとして早くから需要が多かったのが「宇宙葬」である。 宇宙空間研究委員会(COSPAR)で定められた宇宙検疫規約を満たすよう熱滅菌された、一人当たり1グラムの遺灰がカプセルに納められ、限定区域(地球側中央部のヴァリスカペラという峡谷地形)に落下されている。
これら「ビジネス」による収入が月面基地運営費の3割近くを占めていたのである。
基地内の設備は、放送などを通じて世界中の眼に触れることから、基地隊員が使用する民生用機材の無償提供も少なくなく、基地運営費削減に一役買っていた。
基地建設初期の頃から(正確には1971年のアポロ17号までさかのぼることができるが)今も根強い人気を保っているのが「月帰りの木」である。 植物の種を多数月に持っていき、地球にもって帰り配布するという単純なサービスである。 いまや、世界中の校庭や公園など2万ヶ所以上の木にMoon Tree などと書かれたプレートがかかっている。
2029年6月10日から始まった「ムーン・クロック」も、その教育的意義から世界中で評価されている。日本の照明器具メーカーがインターネット上に出ていたアイデアに注目し実現の運びとなったものだ。提案者であるインドネシアの中学生サプラ・イバンサリ(実現したとき、彼女は大学生になっていたが)の名をとり、イバンサリ・ムーン・クロックと名付けられたその装置は、虹の入江基地の入り口にほど近い平坦な場所に設置されている。
大型の高性能太陽電池板から電力が供給蓄積され、月齢4を迎える頃(正確な日時は照明器具メーカーが毎月公表している)の協定世界時0時、8時、16時の3回、地球に向けて1/200秒の閃光が放たれる。その時刻は正確に虹の入江基地のインジウムイオン時計に同期している。夜の「虹の入江」を200倍程度の倍率で見ていると、地上の時報より1.3秒程度遅れてムーン・クロックの閃光が地上観測者の眼に入るのである。その観測から月までの距離を求めたり、光の速度を求めたりする授業が世界中で行われている。
国連月面図上「10N」と記載される虹の入江領域。 その北西部にあるラプラス岬先端から南西へ25kmの地点。そこにある「ラプラスA」という直径9kmのクレーターとラプラス岬の中間地点の地下を中心に「虹の入江基地」が建設されている。
月の「海」と呼ばれる地形は溶岩流によってできたものであるが、地下を流れた溶岩流の跡が溶岩トンネルとして残っていることが20世紀から予測されていた。実際、シニュアスリルという崩落型溶岩トンネルが見つかっていたのである。
日本の探査機「かぐや」の高分解能地形カメラとレーダーサウンダーが発見した膨大な溶岩トンネルにいち早く眼を付けたのが中国だった。 有害な宇宙線や隕石から守られ、気温も摂氏0度前後に保たれているという広大な空間を月面基地として利用しようという計画だった。
しかも、(南極で見つかったものほどの規模ではなかったが)その近くのごく狭い領域から、NASAの「ルーナー・レコネッサンス・オービター」の中性子検出器が氷層の存在を示唆する「減速した中性子」を検出していた。
2013年~2014年、中国の嫦娥(チャンア)6号による精密な重力異常、磁気異常測定に基づく地下構造解析においても同地域の大規模な溶岩トンネル網の存在が裏付けられ、7号は月震計を同地域3カ所に落下させた。月震の異常減衰から地下の氷層地域の存在をつきとめたのである。 2016年~2019年の月周回軌道にいたる有人飛行を2度にわたり成功させた中国は、3年間の沈黙を破り李肇星船長以下3名が乗った「嫦娥10号」を月に送った。
中国共産党創立100周年を迎え、その翌年、全世界が固唾を飲んで見守るなか、73回目の中華人民共和国成立記念日を迎えた直後の2022年10月5日、李肇星船長はアポロ計画以来50年ぶりとなる月面着陸を果したのである。後に「麗しき『虹の入江』」という李船長の著書には、着陸時に見上げた地球の印象が次のように述べられている。
「着陸地点は、今回の探査予定地である溶岩トンネル入り口から西へ540m付近だった。 月面にそっと左足を降ろすと、頑丈なブーツを通して乾いた砂地のような感覚がかすかに伝わった。 50年ぶりに人類が味わう感覚だ。 梯子から注意深く降りると、足もとの感触を確かめた。予定ではここで着陸の第一声を地球に伝えるはずだったが、梯子の背後に固定されていた2つの旗が眼に入ったせいか、 すぐにそれらを取り外しにかかった。
月面は思ったよりも固かったが、なんとかポールを土壌に突き差すことができた。ナイロン製の旗を見上げたとき、地球の存在が気にかかった。
後ろを振り返り、太陽を見ないよう、ヘルメットの太陽光遮断フィルター濃度を調整しながら上空を見上げると、地球の放つ眩しい光が見えてきた。船内から見ていた地球とは印象が全く違っていた。
目眩がするような感覚で立っていることができず、膝をついた。
青く輝く巨大な三日月型が、漆黒の宇宙からまるで浮き出ているかのように見えた。 ヘルメットをはずし、真空のなかで直に地球を見たいという衝動にかられたが、私の安否を問う無線の声で我に返った」
中国政府が国連との協調のもとに月面着陸を果たしたこと、そして国連の趣旨と原則を中国政府が支持していることを示す意味で、五星紅旗と国連旗が月面に掲揚され、そのようすは全世界に生中継されていた。
『宇宙の平和的利用を行い、全人類に幸福をもたらす中国政府の決意を表明します』 という李船長の月面第一声が伝えられた。
当時も国連旗を掲揚している学校は世界的にも少なくなかったが、この放送以来、国連旗の掲揚が世界中の学校に広まっていった。
私は、2031年11月に初めて月に向かったとき、甘粛省、酒泉宇宙センターで李肇星中佐(そのときは少佐ではなく中佐になっていた)に一度だけ会ったことがある。 乗船直前、軍服正装姿の中佐は私たちひとりひとりに固い握手をしてくれた。
当時の私の中国語能力ではまだ聞き取れなかったが、あとで同僚に聞いた話では「君たちに希望を託しているよ」というようなことを中佐は話されていたという。
2034年4月に起こったイラン核輸出危機では、核不拡散を信念とするアメリカによるイラン侵攻を寸前のところで外交交渉に持ち込むことができたのは、李肇星中佐の作戦が功を奏したという噂を聞いたことがある。中国政府がこの件でなぜ沈黙を保っているのか、軍がどのように動いていたか、中佐の単独行動という報道も一部あったが真相はいまもって不明だ。あの「危機回避」以来、中佐が軍役から離れたことは事実である。
中国人の同僚はこうも言っていた。
「中佐が我々の指導に来られたときのことです。別れ際に話されたのは『尊敬すべき自分であれ』という話でした」
虹の入江基地から見る地球は、地平線から45度付近に輝いているため、いまも見るものを圧倒する。 刻々と自転により向きを変え、毎日位相を変えていく地球。 「宇宙の中の人類の存在」をはっきりと意識させてくれるあの光景だけでも、虹の入江に滞在する価値があると私は思う。
展望室は変わっているだろうか。 ほとんどが地下にある基地施設のなかで、管制室と展望室だけが3層の強化ガラスの広い窓を持ち、周囲の地形とともに地球を見ることができた。
2時間後にはいよいよ着陸となる。
1時間ほどしてスクリーンには「2040年12月16日15時48分UT、虹の入江基地着陸予定」という文字が現れ、続いて同様のアナウンスが機内に流れると6名の乗客は8人乗りのムーン・クリッパーの指定された席にもどり、安全ベルトを確認し始めた。機内服を見ればわかるが、今回の飛行では「観光客」は ひとりもいなかった。中国人だけでなく、インド、アラブ系と見られる隊員たちとも挨拶を交わしていたが、この3日間、就眠用ブースに入っても熟睡できなかった。月面ばかり見ていた。
基地隊員の一般的な個人データは、基地内ばかりか、シャクルトン基地や地球からも自由に参照できるようになっている。 医療応用上(それとたぶん犯罪防止上も)の理由から、長期滞在(1年以上)短期滞在(半年以下)問わず、隊員には病歴情報や診断情報とともに完全なゲノム情報の提供も要求されていたが、これらはもちろん公開されてはいない。完全なゲノム情報が個人レベルでも手が届く費用で解読できるようになってからは、ゲノム情報と引き替えに格安な医療保険を提供する会社も現れている。残念ながら、情報流出(疑惑)事件もあとを絶たない。
久しぶりにこうして月に近づくと本当に非日常的な気持ちにさせられる。人類がほとんど踏み入れていない神秘の造形をこうして見ていると、自分が本当にいまここに生きて存在しているという実感すら無くなる瞬間がある。
そして、昔のことも鮮明に思い出す。
何年も会っていないたった一人の姉、ショシャナのことも。
2026年8月6日、ベツレヘムの難民キャンプにイスラエルの報復攻撃が行われた翌日、イスラエルの平和団体のデモに参加していた彼女の夫トゥビアが自爆テロの犠牲になった。 トゥビアらはパレスチナ民家に滞在し、イスラエル軍による無法行為からパレスチナ人を守るという運動を実践していた。
夫を誰よりも愛していた姉の生活はそれ以来すっかり変わってしまった。 生きる気力を失ってしまった彼女は、精神的にも肉体的にも衰弱していった。 食事も満足にとらず、人ともあまり会話をせず、眼は虚ろだった。 ついに入院生活を余儀なくされた。
深く愛することの代償を見せられた思いがした私は、本気で人を愛することも、祖国で暮らすことも、無意識に避けるようになっていた。
機内食はこの10年足らずの間に大きな進歩を見せていた。たぶん、月面基地での食事内容が改善されたことの反映だろう。食事の時間になると何度か、イラン出身だという女性技師が私の近くに来て英語で話しかけてきた。
彼女は「虹の入江」に基地建設が始まったばかりの、宇宙船発着用電磁カタパルトの設計チームの責任者だという。地球上の機械を月面で使うと、気体がほぼ完璧に抜け摩擦が60倍にもなり、たちまち故障することなど月面仕様の機械のことを詳しく話してくれた。
シーマ自身も仕事のことを聞かれたが、医療センター勤務とだけしか答えなかった。
宇宙船発着時の噴射によって、砂塵を大量に吹き上げていることが予想以上の問題となっていた。
1969年11月、アポロ12号の月着陸船はサーベイヤー3号から約200mの地点に着陸したのだが、サーベイヤーは砂塵の直撃をくらい、月着陸船に向いた側面は真っ白になっていた。表面には無数の微細なクレーターが出来、カメラの内部などわずかな隙間にも砂塵が入り込んでいた。
砂塵問題を初めて指摘したのは、地質学者でありアポロ計画に参加したハリソン・シュミットであった。アポロ計画時代においても、すでに月の砂塵は宇宙飛行士を大いに悩ませていた。
1972年12月11日、アポロ17号月着陸船「チャレンジャー」に乗ったユージン・サーナンとハリソン・シュミットは、「静かの海」の縁近く、美しい山々に囲まれた「タウルス・リトロー地域」の谷に降り立った。月に降りた初の地質学者となったシュミットには、これはひときわ感慨深い飛行であった。着陸から1分もたたないうちにシュミットは船外に見える大きな岩に目を奪われていた。
しかしながら、すべてが順調に進んでいたのも月面車に機器を積み、探査の準備を完了するまでであった。サーナンが宇宙服のポケットに入れていたハンマーが、月面車の後輪フェンダー(泥除け)にひっかかってしまい、フェンダーを破損してしまったのだ。これは月面探査上、かなり深刻なことだった。ひとつでもフェンダーなしでは、車輪の巻き上げる砂塵を雨のように浴びることになる。機械類の可動部分に故障を引き起こすのはもちろん、ヘルメットも傷だらけになり、白い宇宙服が黒くなることで太陽光を多く吸収させ、宇宙服内部の温度が上昇してしまうのだった。
サーナンは、この深刻な事態を、ダクトテープによる修理でなんとか乗り切ったが、時折月面車を停車させ、専用ブラシで砂塵を落とすことにもぬかりはなかった。
地球に帰還後、「砂塵の問題は、今後の月探査の上で大きな環境問題になるだろう」とシュミットは印象深げに語っていた。
現在月面では、1マイクロメートル防塵仕様の機器が使われているのだが、それでも半年以内に故障する機械が後を絶たない。 大気による減衰のない月面では、秒速1.7kmで水平方向に飛ばされた塵は(さえぎるものがなければ)月をまわってしまうほどだ。
発着場を峡谷地形に設置することも検討されたが、結局、飛行管制上の安全性や候補地が遠方になることから見送られた。 発着時の噴射そのものを減らすため、電磁カタパルトの建設が始ろうとしていた。
窓の内側覆いを引き出して、月からの光を遮ると、シーマは深いため息をつくとしばらく眼を閉じた。
やがて... ヘッドホンからは...不思議なことに
むかし...月で聴いた曲が聞こえていた。たしかあれは...
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