【第3話】真夜中の少女
自宅から2分ほど歩いたところに、壁打ちにもってこいの岩壁がある。
すでに深夜なので視界は悪いが、ちょうど満月に照らされる角度に壁面が切り立っているため、明るさは十分だ。
持ってきたラケットのグリップ部分をぎゅっと握りしめると、担任のアンヌ先生の言葉が思い出された。
『あんた程度の才能じゃあ、どうあがいても一生勇者にはなれない』
俺はもう子どもじゃない。
自分にトゥーネスの才能がないことなんて、教師に指摘されるまでもなくわかっているし、いつ芽を出すともわからない才能のために、地道に努力を積み重ねるような根性もない。
だが、こうしてラケットを握って砲弾を打っていると気持ちが落ち着く。
それは、楽しかったあのころの記憶がよみがえるからかもしれない。
幼少時代、俺とモナはよくここで、子ども用のやわらかいプラクティス砲弾を打ち合って遊んだものだった。
──そう。
当時の俺たちにとって、トゥーネスは何よりも楽しい「遊び」だったのだ。
少なくとも、勇者に助けられたあの日までは、そう思っていた。
だが、学年が上がるにしたがって、トゥーネスは俺の中で「遊び」から「就職ツール」に変わっていった。
それはモナも同じだったと思う。
どの家庭の親も、まるで判で押したみたいに、子どもに対して「勇者になれば一生安泰なんだから、遊んでないでトゥーネスを練習しなさい」という。
べつに魔物と戦わなくても、この世の中には職人、狩人、医師、詩人など、いくらでも他の職業があるのに、なぜみんな勇者になりたがるのか、理解に苦しむ。
今だって、俺にとってのトゥーネスは「楽しい遊び」なのだ。就職や金を稼ぐための道具なんかじゃない。
トゥーネスの力ですべてが決まるグロワール高校に身を置き、そして追放された今だからこそわかる。
俺はトゥーネスが好きだ。
大好きな遊びだ!
だからこそ、トゥーネスを身を立てるための道具にはしたくない!!
勇者にはなりたくない!!!
「そうだ! 勇者なんて、こっちから願い下げだ──!」
そう叫ぶと、俺は童心にかえって、トゥーネスの壁打ちを楽しんだ。
ラケットの中心、スウィートスポットで砲弾を打つと、「スパーン」と乾いた音がして、本当に気持ちがいい。
そう、この感触が純粋にうれしくて、あのころの俺は毎日トゥーネスに明け暮れていたのだ。
たった1人、ひたすら壁打ちに興じていたら、ふと人の気配に気がついた。
誰かに見られている?
俺は砲弾を打つのをやめて、キャッチした。
背後を振り向くと、確かに誰かがいる。
月は俺の正面にあり、逆光になっていてシルエットしかわからないが、女性のようだ。
モナよりも少し小柄に見える。
「誰だ? モナなのか?」
そう問うと、少女のか細い声が返ってきた。
「楽しそうね」
聞いたことのない声だった。
快活なモナとは対照的に、陰キャの少女特有のボソボソと口ごもったような話し方だが、妙な色気というかツヤのようなものがある、特徴的な声だ。
少女のシルエットがゆっくりと近づいてきた。
近づいて、ようやく顔が見えたが、やはり見覚えのない少女だった。
俺より1つか2つ、歳下だろうか。
髪はショートカット。
瞳の色は黒。
その顔つきは東方の国の女性を思わせる、ベビーフェイスだ。
俺が戸惑っていると、少女は言葉を継いだ。
「好きなの?」
「えっ?」
一瞬、何を聞かれているのかわからなかったが、すぐに気がついた。
「ああ、トゥーネスのことか。まあ、遊びとしては好きだよ。仕事にはしたくないけど」
そういって、少し恥ずかしくなった。
初対面の女の子に、何をマジメに答えているんだ俺。
すると、今まで無表情だった彼女が一瞬、微笑んだ。
「そう。いい答えね」
大人びた話しぶりだ。
というか、まるで俺のことを歳下扱いしているみたいなセリフである。
おそらく歳は近いはずだが、なんだか精神年齢では惨敗している感じだ。
「きみもトゥーネス、やるの?」
「……いいえ」
「えっ、そうなの? トゥーネスのこと、よく知ってるみたいだけど」
「そうね。知っているわ」
「どうしてトゥーネスに詳しいんだ?」
「昔、やってたから」
「ああ、そういうことか。なんでやめたんだ?」
「………………」
少女は黙ってしまった。
「ごめん、プライベートなことを聞いちゃったね」
「………………」
少女は口を開かない。
俺の失礼な質問で、心を閉ざしてしまったのだろうか。
俺が困惑していると、少女はいった。
「あなたに頼みがある」
「は……? 急に何だい? 俺にできること?」
「できるかどうかは、あなたしだい」
「意味がわかんないんだけど、どういうこと?」
「明日の朝、日の出とともに起きて、玄関先を見て」
「はあ? 早起きすればいいの? それが君の頼み?」
「誰よりも早く、玄関先を見て」
「あ……ああ。わかったよ。がんばって早起きするよ」
「じゃあ、さよなら」
「ちょ……ちょっと待って。君の名前は? 俺はヤニック!」
「……コトネ」
そうつぶやいて、少女は闇の中に消えていった。
俺はポカンと口を開けて、コトネと名乗った少女の後ろ姿を見送っていたが、グウ、と腹が鳴ってわれに返った。
そうだ、トリプトルのシチュー!
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