『 チョコレート・ココア 』

神傘 ツバメ

 『 チョコレート・ココア 』

    

「ほら」

「ありがと」


彼はいつもココアを入れてくれる。

少し溶かしたチョコレートを、出来上がったばかりの温かいココアに注いで出してくれる、普通のよりも、ほんの少し甘い、あたしのためのココア。


「なんか……煮詰まっちゃって」

書き続ければ、いつかは訪れるスランプ。

あたしはいま、その真っ最中だ。

「まぁ、俺もしょっちゅうだから」

 彼の言葉の合間に、一口だけチョコレート・ココアを口に含む。

「甘っ……」

「疲れた脳には、糖分大事だろ。で、何悩んでんの?」

 自分の分のココアを口に含みながら、彼はあたしに尋ねる。

「プロットは出来上がって来たんだけど……どうも台詞がね。 ねぇ、君ならどう伝える?」

「伝えるって何を?」

「相手に好きを」

「好き……か」

「そう。 君なら何て言うかなと思って」


 彼のことを、あたしは『 君 』としか呼べない。 そして彼は、あたしのことを名前では呼ばない。

そんな関係。


「小説家って大変だよな。 そう言うの、シチュエーションから全部、考えないといけないんだもんな」

「まぁね。 駆け引きとか伏線とか、上手く書けないと、読者どころか担当さんにも引っ掛からないから」

「ふーん。どんな感じの話し?」

 彼が口元に当てた、カップを傾ける。


「大学時代に知り合って、卒業した後は友達以上、恋人未満の二人」

まるで、あたしたちみたいな__

「ちなみに聞くけど、それってどっちかは年上? それとも同い年?」


「同い年」


 短い言葉の後、今度はあたしがカップを傾け、彼の方はと言えば、残ったココアを勢いよく飲み干し、立ち上がる。

「いつもさ、ココアにチョコレート入れるのに、毎回買ってくるの、面倒臭いんだよね」

「君が勝手に入れるからでしょ」

 __いつもあたしが呼び出して、終電間際に彼は帰っていく。

「じゃぁさ、アマゾンとかで頼んで、ここに送っても良い?」

「別に良いけど」

「そっか……じゃぁ、今日は帰るわ」

「ああ。 はいはい」

 彼が靴を履く音が響く。 あたしはひらひらさせた手だけで見送る。 

——彼が帰ると、あたしはまた一人。

いつものことだ。

 

飲み干さないで、少しだけ残しておけば良かったな……。


 カップに残った、溶けたチョコレートだけが、彼がここにいた唯一の証。 

こんな時の顔だけは、見られたくない——


「あのさぁ」

 突然の声に振り替えると、彼は玄関で、あたしが振り返るのを待っていたようだった。


「俺の荷物も送る」

「えっ?」

「さっきの台詞の件、俺ならそう伝える」

「あぁ……台詞」

「だから……もう一杯作って良いか? 同じやつ」

「でも終電__ 」



——一年後——



「えー、こちらの会場では——」


「おー、この人、賞取ったんだぁ」

「あたし、この人の書いた小説、好きなんだ」

「ねぇ、知ってる? これ実話らしいよ」

「えっ、そうなの⁉」

「タイトルが元で、結婚したんだって」

「じゃぁ、買ったら御利益あるかな」

「かもよ~。 どうする、買っちゃう?」

「買う! 読み終わったらアイツに告る!」


「ありがとうございましたー。 店長」

「んー?」

「取次ぎさんに電話しといた方が良いっスよ。かなり早いペースで売れてますよ」

「まぁ、賞も取ったしなー」

「どうしたんスか? 本持ってニヤニヤして」

「別にぃ。ちょっと取次ぎに電話してくるわ」

「はーい。 ご利益あるなら、俺も買うかな……『 チョコレート・ココア 』」



                                 【 了 】

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『 チョコレート・ココア 』 神傘 ツバメ @tubame-kamikasa

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