2020年の世界へ
第6話
とてつもないほどの重力が全身をかけめぐる。圧し潰されそうな圧力が、僕の精神を削り取るような感じだった。目を開けていられない。数分もしないうちに気絶していた。
遠くで話し声が聴こえてくる。細目で見開くと天井が白いことに気づいた。どのくらい眠っていたのだろう。パイプベッドに寝かされていた。
「……?」
女性の声がにわかに聴こえ、僕に寄り添ってくる
「お目覚めかしら? 気分はいかが?」
「最悪かも……」
「マシンの中よりかは快適よね!」
「あっ……あの、つむ……さん」
彼女の背中を細目にして僕は、ポニーテールの髪が左右に揺れるのをながめた。
女性は、小型マイクに向かって何かをつぶやいている様子だった。
ゆるぎない笑顔で僕に愛そうよくしてくる。
起き上がろうとしたとき、全身に激痛がはしる。
「……っ」
「無理してはだめよ。あなたは時間と重力のはざまに長時間いたのだから」
「ここは……2020年ですか……?」
沈黙が続いた。かたわらにいた女性は、よくみると紬さんではなかった。
「私は、
白衣姿の九藤さんは、さわやかな笑顔になる。
「そうじゃなくって、僕は……」
彼女は、小声で「失礼するわよ」と僕の腕をひっぱりだすと、血圧計測をはじめる。
「あの……」
「わかってるわ! 20年後の世界から高橋さんを連れ戻しに来たのでしょ?」
そうかとおもえば、医療用のライトで目元、口もとを調べはじめる。さらに、耳になにかを挟んだ。
「外傷に異常はなし、と」
「あの……? 何を?」
「簡単な身体の診断よ!」
彼女は測定用のタブレットを片手になにかをタップしているようだ。
「どこか、痛いところはある?」
「偏頭痛がひどくて……」
「頭ね。そこは私の力では難しいから、頭痛に効く薬を持ってきてあげるわ! 待っていなさい!」
部屋を出ようとした九藤さんが、くるりと振り向きもう一言いった。
「もう少ししたら、紬さんが診に来るとおもうわ。それまで安静にしていなさいよ!」
耳を疑ったがまぎれもなく彼女は「紬さん」と答え、部屋を出て行ってしまった。
殺風景な部屋だった。あるものといえば小さい洗面台と壁に備え付けられた鏡だけ。病室にしては、6畳以上はある広さだ。照明がまぶしいほど僕にあたってくる。もしかすると、本来はほかの用途に使われているかもしれないと感じた。
何気なしに洗面台の前に立った。自分の顔をまじまじと見つめる。なんとなくだが少し不思議に感じた。身体がかるいと思った。
気のせいだとは思うが、若返ったような気がした。
開閉扉が開き、スクリーン画面で見たままの紬さんが入ってくる。
「どう、気分の方は?」
「最悪かも……」
「でも、1時間前よりかはいいでしょ? 頭が痛いのよね?」
「ええ……」
「それ以外で痛いところ、本当にない? 気持ち悪いとか倦怠感とか身体に痛みが走るとか?」
しつこいほど紬さんが訊いてきた。
「特には……。けど、なんでそんなに気になるんですか?」
「覚えてないの? あなた、マシンの中で気絶していたのよ! すぐに医療チームが処置を施したけど一時的に心臓が止まったらしいわ!」
「そんなに……?」
僕は彼女の耳を疑った。到着時に緊急処置を施されていたなんて。
「でも、よかった」
彼女が安堵の顔になる。
「安心したわ! 大丈夫そうね」
紬さんは軽く会釈した。
「改めて。ようこそ、2020年の世界へ。未来の戸岐原龍美くん!」
満面の笑みの表情になった。
「自己紹介がまだよね? 私はプロジェクトチーム補佐を任されている
ロングヘアの白衣女性が、片目で愛想を振りまいた。
「チョッチ、人員不足もあって、バタバタ動いてもらうつもりなんだけど、今日1日はゆっくり休養をとって。それと、これからのことを少し話しておくわ!」
紬さんはリズム良く話し出した。
「明日1日は、身体検査を受けてもらうわ。その後は、高橋さんのお姉さんのいる病院へ行く準備をするわよ! いい?」
一方的に話す彼女は、端末機器の操作を繰り返している。僕はその受け答えに、「は、はい」と返事しかできなかった。
彼女が目配せをして部屋を出ていくと、入れ替わりに九籐さんが薬を運んでくる。
「あなた、本当に未来から来たのね!」
「それって、どういう?」
「私、そういうのはなんとなくしか興味がわかなくて。
「軍事実験施設?」
「ええ、今は重力と粒子の研究を主におこなっている粒子テレポート実験なんだけどね」
「テレポート?」
このとき、僕は本当に2020年に戻ってきたのか少し不安になった。物質の再形成は、僕のいた時代でも成し遂げられていない物理現象だったからだ。だが、本当にテレポート技術が2020年に確立しているなら、あるいは、タイムマシン開発の実現は可能なのかもしれない、と率直に思った。
「まだ、動物実験の段階だから人にどういう影響があるかしらべているところなの」
九籐さんが話す言葉をただただ受けとめ、黙っていた。
「九籐さん、今日って2020年の何月ですか?」
「えっ!? どうしたの、急に」
急に僕からの問いに彼女は驚いていた。
「出発前、シライ博士は到着日時を【2020年5月22日7時】にセットしたと言ってたんです」
なぜだろうか、その後、彼女は押し黙ったままになった。少し困惑の表情を浮かべている。
ドアが開き、ふたたび紬さんが室内に入ってくる。
「九籐さん、今日は何月何日になるんですか? 教えてくださいっ!」
僕はつよい口調を繰り返した。
圧し黙ったままの彼女の顔色を紬さんが覗きこみ窺っている。
「戸岐原さん……」
九籐さんがか細い声をだす。
「私が話すわ!」
みかねた紬さんが近づいてきた。
「戸岐原くんに大事な事を言い忘れていたの」
「大事なことって、いったい何ですか?」
「その前に九籐さんの質問の答えだけど……」
タブレット端末を手に操作をする。僕の方へとみせた。
「ほら、みて。もうすぐ東京オリンピックが開催されるから、聖火ランナーが道路を走っているニュースがあるわ!」
彼女のいうように、東京オリンピック開催のスポーツ種目や聖火ランナーのニュースなど、オリンピック関連の話題が流れている。
僕は少し奇妙に感じた。インフルエンザ以上に重篤になると致死率が高い新型ウィルスのニュースがないわけではなかったが、あまりにも少なかったのだ。
「紛れもなく2020年5月よ。でも、あなたのいた時代のシライ博士は、どういうわけか日にちを取り違えたようね」
「なんだって……?」
「今日は2020年5月24日で、あなたが到着してから既に24時間が経過しているの」
「それじゃぁ」
「ええ、そうよ。あなたは丸一日以上昏睡状態にあったってこと」
「ということは、正確には到着した日付って【5月23日】ということですか?」
彼女は黙ってふかく頷いた。
「それで、あなたに伝え忘れたというのは、高橋さんのことについてよ」
紬さんは、僕の顔からゆるがすことなく語りかけてくる。それが、一世一代のイベントであり、言うまでもないほど貴重な体験であることが彼女の双眸から窺えた。
「落ち着いてよく訊いて。準備ができたら高橋さんの病院にいくのだけど、今、彼女の状況は危篤にも値するほど悪化しているの」
「例の新型ウィルス、ですか? 未来との会話では、たしか【急性肺炎】と診断がありましたけど」
「この研究所なら10年未来の新薬も手に入る」
疑う余地があったが、新薬が手に入るなら使わない手はない。だけど、紬さんは妙な事を言い出す。
「ただ、問題があって、認可を受けているものではないので、研究所外で使うわけにはいかない薬なの」
「それじゃあ、どうするつもりなんですか? 入院していて、危篤に近いなら無理矢理にでも動いたりしたら病院側にも迷惑が……」
「そこなのよ。だから、彼女には説明したのだけど……もう一度、被験者として実験に参加してほしいことを頼んだの」
「まさか……?」
僕は鳥肌が立った。予測の言葉を口にするのがつらかった。
つづく
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