第5話



 いよいよ明日、2020年に発つ時が来た。僕の部屋には、知奈美が寝息をたて眠っている。

 昨夜、過去に発つことを知ってから夜遅くに僕の部屋にきた。

 僕は知奈美を愛していた。彼女も僕の愛を受け入れてくれた。僕も彼女も、身の上を明かし充実した夜が過ぎた。


 僕は、早いうちから朝食をとった。というのも、体力作りのためにジョギングとストレッチを始めたからだった。

 シライ博士によると、時間と次元を通過するときには、精神ダメージも大きいが、体力面にも大幅なダメージがともなうと言っていた。高校時代にサッカー部に入っていたため、多少の体力には自信があったが、持久力をつけるとなると、高校の頃の体力では心配な面があったからでもある。

 朝食をとっている最中、橘花さんが僕の前にきた。彼女は、シライ博士から僕を連れてくるよう仰せつかったそうだ。

「龍美さん、研究棟の入り口で待っているから食事が終わったら、早めに来て。予定だと、今日の最終調整の後、夜中には出発のてはずになるわ! 高橋さんとも、地上に居られるのも、あと数時間と思って」

「知奈美とは、もうあいさつは済んでいます。一生会えないわけじゃないし、彼女もわかっているはずです」

「あなたがそれでよくても、高橋さんはもっとつらいのよ!」

「僕は、また戻ってくるつもりで行くんです。知奈美のうれしい笑顔を見るために。あいつ、いつも僕と接していても笑顔だけど、心の底では泣いてるように思えるんですよ」

「龍美さん……」

「きっと、お姉さんのことが気になりすぎて、自分で感情を制御できなくなっているんじゃないかって、そう思って……」

「わかったわ! 入り口で待ってるから」

 そういうと、一度は納得した表情になる。僕の本音と覚悟を試したのだろうかと僕を真っ直ぐに見つめた。

 おだやかな表情を浮かべ、彼女は行ってしまった。


 研究棟の入り口に立っていたのは、知奈美と橘花さんだった。

「知奈美……。橘花さん」

「ごめんね。偶然に廊下で出くわしちゃってね。今会っておかないと、次に会うときは、心変わりしているかもって言っちゃったの」

 彼女の双眸に、僕はつよい覚悟の表情を浮かべる。

「知奈美! すこしの辛抱だから帰りを待っていてくれよ!」

「龍美……」

 僕はありったけの笑顔を彼女にみせ、安心させた。

「信じて、待ってて、いいんだよね」

「当たり前じゃないか!」

 無意識的に彼女を抱きしめていた。抱きしめる間が、僕には途方もなく長く感じた。

 知奈美は、僕の手に赤とピンク色の紐で結いたリストバンドを巻きはじめる。

「失くさないようにしてね!」

「これって?」

「ミサンガっていう、お守り。紐が切れたときに願い事が叶うって言われているの」

 その間が長く感じていたのか、橘花さんは最初よそ見をしていた。気まずい雰囲気と察知して彼女は、わざとらしい咳払いの仕草をする。手で自分の顔を扇いでいた。ほんの少し嫉妬の入った双眸を僕に向けてくる。

「そこらへんにしてもらえる? おふたりさん。見ていてもほてっちゃって仕方ないの」

 僕らは橘花さんに一部始終見られていたことで、気恥ずかしくなった。

「すみません、待たせてしまって!」

 知奈美から離れ、僕は橘花さんのもとへ歩んだ。いつまでも彼女は、僕の手を離そうとはしなかった。

「きっと、無事に帰ってきてよ!」

「きっとだ!」

 僕は彼女の手を振る姿に勇気をもらった。


 研究棟のエレベーターに乗っている最中、橘花さんは、終始無言だった。知奈美との抱擁を目にしたことで、声が掛けづらいのだろうかと、僕は思った。

「あ、あの橘花さん……」

「わかってるわ。高橋さんとのことは、被験者として、一緒にいた時から見守っていたの。こっちの時代のことは任せておいて。浮気なんかしたら、私が許さないからね! このミサンガに誓いなさいよっ!」

 僕の腕を持ち上げ、何重にも結ってある紐状のリングをつきだした。



 午後11時をまわった。

 研究員たちが忙しなく動き回っている。最終確認が着々と進む。

 モニター越しに僕は、タイムマシンに火が灯っていくのがわかった。

 ひっきりなしに研究員を叱責する声が、モニターを通しても聴こえてくる。声の主はシライ博士だった。

 レストルームに橘花さんが入ってくる。

「龍美さん、準備はいい?」

「は、はい!」

「まずは特別な服を着るから、ドレッシングルーム更衣室に行くわよ」

 レストルームから出た僕たちは、研究員のロッカールームへと足を運ぶ。男女兼用の室内にさらに個室がいくつも並んでいた。

「はい、これ!」

 橘花さんから丁寧に折り畳まれた服をもらい受ける。頭から足まですっぽり入る全身スーツだ。銀色で包まれた奇妙な服は、昔の番組で、お笑いタレントが着ていたものに似ていた。

「そのスーツを着るときは全部脱いでね」

「ぜ、全部ですか?」

「そう。もつけちゃダメよ!」

「し、下着も!?」

 和ませるつもりでいるのか、橘花さんは、にこやかに微笑んでいた。

 僕は不安の中、ドレッシングボックスへと入る。入るなり、橘花さんが説明をはじめた。

「着替えながら聞いて。その素材は特別な物を使用してるの。時間の粒子を極限まで抑えた素材で、体の負担を減らすことができるんだって」

「へぇ、肌にすごく馴染みますね。なんか未来型の宇宙服を着てる感じで、身につけていることを忘れそうです」

「そうでしょ? アメリカから発注があったぐらいよ!」

 扉を開けてドレッシングボックスから出た。

「けっこう、このスーツ、通気性がいいですね」

 下着も身につけていないので、裸同然なほど野生的に身体が震えてくる。股間のところは少しもっこり感があるが、橘花さんはあえて指摘せず、ロッカールームから出ようと歩みはじめていた。あらかじめ用意されていた特別なボックスの容器に、着替えを入れる。

 ふと、目にした室内の掛け時計は午前0時をすでに回っていた。

 橘花さんに案内され、実験格納庫の中へと入った。そこには、以前に見た時とはまるで違うタイムマシンのオブジェクトが生き物のようにエネルギーを放出しているようだった。

「博士、すべての準備完了です!」

 近づいてきたシライ博士が橘花さんをねぎらった。

「橘花くん、ご苦労さま。さて……」

 博士は、肩にそっと置くと話しだす。

「龍美くん、この時代で、できるすべてのことはやったつもりだ。あとは君の今後の技量と2020年のにかかっている。到着する日は、【2020年5月22日午前7時】だ。無事にこの時代に戻って来れることを願っている。そのときには、私の願いも……」

「はい!」

「龍美さん!」

 隣にいた橘花さんが言い寄ってきた。

「向こうのつむぎさんには、連絡を入れておいたわ。安心して」

「ありがとうございます!」

 ゆっくりと踵をタイムマシンにむけた。


 入り口をしっかり閉め、シートに腰をかける。僕は深くゆっくりと深呼吸をした。防護ヘルメットをかぶり、着脱式のベルトを椅子と固定して密着させた。起動ボタンに手をかざす。

プログラムが僕を認識して、ディスプレイ上にオペレーションウインドウが映し出された。

 ヘルメットに内蔵されている無線通信を通して、橘花さんらしききれいな女の人の声が聞こえてくる。

「戸岐原さん、準備はよろしいでしょうか? 秒読みに入りたいと思います」

 僕はふたたび呼吸をととのえる。

 オペレーションボイスがカウントダウンを開始した。

「……29、28、27、26、25………」

 眼をゆっくり瞑り心臓の鼓動をカウントダウンと同調させる。少しでも緊張感を和らげようと必死になった。

「……10、9、8、7、6……」

 僕の感情はたかぶった。

 いよいよだ。とうとうその時が来た。

「………3、2、1」

 瞬間、全身におもりを乗せたような重力の重荷が僕をおそった。


つづく

 

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