第4話
「博士、ふたりを連れてきました」
4台のコンピュータの中心に椅子を構え座っていたシライ博士は、振り向きざまにうなずき、ふたたびコンピュータに向き合った。
室内に入った僕は大型スクリーンに圧倒された。白衣姿の若い20代とみられる女性が映っている。常に若さを意識している雰囲気が伝わってくる。声もハキハキと力強さがあった。
すでに2020年と繋がっているようだった。大型スクリーンの真下にも白衣姿の若い女性が、タブレット端末に映し出されている。かたわらに中型のスピーカーがあり、配線はスクリーンの裏側にはしっている。どうやら、両方は連動しているようだった。
橘花さんが、知奈美さんの両肩に手を置く。
「
大型スクリーンに彼女は大声で呼びかけた。
動作と言葉が返ってくるまでに、多少の間がある。さすがに
『硬い挨拶は抜きに……わね。高橋さん、落ち着いてよ……いて。あなたのお姉さんだけど、所在がようやくつかめたわ』
知奈美さんは喜びの表情になった。
『けど、ひとつ不安な……があるの』
彼女の表情の雲行きがすこしあやしくなる。
「なんでしょうか?」
紬さんは1枚の診断書をスクリーンに向かって近づけた。診断書の名前欄には、【
『とりあえずのところ偽名を使ってるの。わかると思うけど、本来、2020年に存在している二十歳に満たないお姉さんがあなたと暮らしているからよ』
そうだわ、と知奈美さんがつぶやく。
『それで厄介なことに……』
診断書の下の方に指をスライドさせて、診断の病名欄をクローズアップする。そこには、僕の父親と同じ病名『急性肺炎』という文字があった。
『今、知り合いの民間の総合病院に入院しているの。6日間くらいなら、入院費もウィルス性の肺炎ということで、免除されるのだけど、どこまで病院にいられるか不透明な状況にあるわ!』
博士がスクリーンの前までくる。大声で話しかけた。
「事は一刻をあらそう。紬くん、いまの年月日を教えてくれたまえ!」
『2020年5月21日です』
僕の父、
天然パーマ頭の博士がふむ、と頷いた。
「心配は無用だ!」
博士は橘花さんと同じく、僕の両肩に手をそえた。
「君のいる過去へ、この
『よろしくお願いします!』
紬さんが画面越しに頭を下げた。
画面から若い男性のこもった声がわずかだが聞こえてきた。
『私にも、すこし言わせてくれるか?』
画面に現れたのは、紛れもなく若い姿のシライ博士だった。彼は細縁の眼鏡に手をかけ、上に持ちあげる。壮年期の博士とはまるで雰囲気がちがってみえた。
『戸岐原くん、だったね。時空の狭間を通過する精神力があることを期待しているよ。もっとも、そこにいるもう一人の私に鍛えられてから、こちらに来ることになるだろう。覚悟していてくれ!』
「はい!」
僕の返事に画面越しの博士がしっかりとうなずきをみせた。
『高橋くん、お姉さんのことは私に任せてくれ!』
「よろしくお願いします!」
知奈美さんは深くお辞儀をした。
若い博士は、画面から離れ、ふたたび紬さんが現れる。
『それでは、私の方から通信を切ります。また、何か動きがあったら連絡を入れます』
「はい!」
橘花さんの呼応で画面が暗くなった。
スクリーン画面が暗転し、ざわつきはじめる。
「戸岐原くん」
博士が呼びかけてきた。
「さっそくだが、君にはもっとシミュレータで克服してもらうことがある。苛酷になると思うが、時空間は、【3D酔いの比】ではないほど身体に負荷がかかる。覚悟してくれ!」
「はい!」
唾を飲み込んだ。【3D酔いの比ではない】。僕にとって初めての体験になるかもしれないと、この時決意した。
博士についていき個室の更に奥の部屋へといく。コントロールルームとシミュレーションルームに分離されているようだ。分厚いガラス越しに僕の姿をコントロールルームから見ることが可能らしい。
部屋の中は、最終試験と同じようにモニタリング画面と緻密なスイッチの羅列、ゴーグルとグローブが置かれている。ゴーグルにはマイクが付与されて、となりの部屋と通話ができるようだった。部屋にはスピーカーも取り付けられ、そこから橘花さんの指示どおりにしていく。準備が整い、博士の天然パーマの髪がゆらめく。
「戸岐原くん、では始めるぞ!」
最終確認の博士の声と共に実験がはじまった。
実験から数時間後。初日のシミュレータ操作は終わる。
僕は知奈美さんに連れられ、地上の宿舎へと戻った。食事も気持ち悪さが影響して、喉を通らない。ひどい偏頭痛とめまい、吐き気が僕を襲ってきた。僕にとっては初めてとなる酔いというものだった。最終試験の時、みんなこんな気分を体験していたのか、と虚ろな顔でベッドにふせた。
シミュレータ操作は、日ごとにある程度まで身体が慣れていくのがわかった。いまだに機器のシャットダウン後の偏頭痛が起きる現象は改善がなかったけど、博士は「身体を元に戻すために起こる副作用」だと説明した。
博士は、シミュレータ操作のデータを僕に説明もした。ボーダーラインに、届くまで行うと博士は明言する。
さらに数日間のシミュレータ操作が実施され、知奈美さんとの仲も会話が弾んだ。いつからか、僕は知奈美さんに恋をしていた。
僕が、シライ博士と会ってから14日が過ぎようとしていた。
シミュレータ操作を一時的に止めた橘花さんは、博士と何やら話している。彼は僕をガラス越しに、彼女の話にうなずきをしていた。
スピーカーから博士の声が聞こえてくる。
「戸岐原くん、今日の検証はここまでにしよう。この後、是非きみに見せておきたいものがある。レストルームで待っていてくれ!」
僕はなんだろうか、と疑問に思った。
シミュレータ室を出た僕は、レストルームでシライ博士が来るのを待っていた。
「やぁ、待たせて悪かったね」
「いいえ……」
レストルームを出ると、博士は僕のとなりを歩き始めた。
「きみは、お父さんを早くに亡くされたそうだね」
「はい、ちょうど、2020年に流行りだしたウィルス性にやられて」
「生きていたら、今でも会いたいと思うかね?」
「もし、叶うのであれば……」
いったい、どうして父のことを聞いてくるのだろうか、疑問に思った。
「私も子供の頃に両親を亡くしてね。今でも、時々夢に現れることがあるんだ!」
同じ境遇だったのか、と思った。
いつの間にか博士はたちどまり、目の前には、巨大な格納扉が、博士の手によって開かれようとしていた。
ゆっくりと両サイドの扉が開かれ、重たく冷たい空気が流れ込んでくる。
正面に黒いたまご型の異物が現れはじめる。
「この装置の設計に携わりだしたときには、歳をとり過ぎてしまった」
段差のある最上部には、巨大なたまご型に近い円筒物が鎮座しているようだった。
「これは?」
博士は、御神体のような円筒物に照明を照らした。
「プロトタイプ
「高橋さんのお姉さんが、乗ったというタイプとは違うものなのですか?」
「プロトタイプ
「セカイリュウシ?」
僕には聞き慣れない言葉だった。SF小説や映画、アニメの中のタイムマシンが絡む物語なら、世界線という言葉は、なんとなく想像できた。だが、『世界粒子』という言葉は初めてだった。
「すまない、世界粒子のことは説明が複雑になる。君はマルチバースという言葉を知っているか?」
「聞いたことがあります。一部の科学者が提唱していた説です。確か、異なる宇宙がいくつも存在するというものですよね?」
「そうだ、Aという宇宙があるなら、BでもCも存在する多世界解釈だ」
「そうなると、世界粒子というのは、【天文学数値ほどの多世界が存在する】ということですか?」
「理解が早くて助かる。単純にいえば、君の父親が死ぬことなく、現在でもご存命である世界も、私の両親が生きている世界もあるということになる。だが、当然、多世界にも時間の流れが存在する。流れがあるということは世界と世界を交差する場所も必ず存在する。僕は時の交差点と呼ぶようにした」
「時の交差点……」
しっかりと頷いた博士の表情には、誰をも越えられない程の自信がみなぎっていた。
「その交差点の示すことのできる装置を開発し、このタイムマシンに取り付けてある」
「すごい発明じゃないですか!! 交差点になる場所がわかれば、行って戻ってくることも」
「もちろん、可能になる!」
今までの小説や映画では、歴史改変が問題になっていたが、常識が打ち破られることになる。僕は、この研究施設に来て、かつてないほどの興奮をおぼえた。
僕は、博士とタイムマシンの周りをまわり、時間の概念、タイムマシンの歴史や博士自身の生い立ちを聞いた。なぜそこまでして人生を語り出したのかは、僕に途方もないことを、それこそ博士の代理としてやってもらいたいことがあるのだと推察した。案の定、やっぱりだった。
「……そこで、君に頼みたいことがあるんだ!」
「なんでしょうか?」
「高橋くんと無事この時代に戻ってきたらでいい。僕の成し遂げられなかったことを引き継いでほしいんだ!」
「いったい、何を……?」
「僕の祖父、シライレイシンを探して欲しい!」
この時のシワの
つづく
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