密かに恋している年下の女の子にいきなり気持ち悪いと言われて傷ついたけれど納得できません
よなが
本編
夜風の冷たさで秋の終わりを知る時季だった。
「私をそういう目で見ないでください。気持ち悪い」
アルバイト先の高校生。年が三つ下だけれど先輩である彼女から、突拍子もなくそんなことを言われた。整った顔立ちに、浮かんでいるのは不快感。
つい今しがたまで隣を歩いていたのに、彼女が急に立ち止まったので一歩先に進んだ私は半身で振り返る構図になった。それなのに彼女からの訴えで、私は突き放され、置いていかれてしまう。ほんの一歩の距離が長く感じた、とんでもなく。
女二人の帰り道。午後八時前。
駅前の大通りに面する複合商業施設の四階にある雑貨屋から、駅までの徒歩八分。もう何度もいっしょに歩いた道程。ちょっとした寄り道はしたことがある。でも、道の途中で歩みを止めたことは赤信号ぐらいしか記憶にない。その赤信号だって私からすれば、ありがたかった。彼女のほうはそう思っていないだろう。
なんだっけ。
直前、私は彼女になんて言ったんだっけ。
理由もなく、いたずらに拒絶する子ではない。そのはず。まだたった二カ月の付き合い。されど二カ月。週に三日会っているのだから、わかる。わかっているつもりだった。
「
私は訊ねる。声の震えは、寒さのせいだけではない。
そうだ、私は寒そうにする彼女に「手でも繋ぐ?」と冗談めかして提案したのだ。そして拒まれた。これまで彼女から聞いたことのない強い物言いで。
『そういう目』って…………嘘、本当にバレてしまったの? こんな些細なことで?
「嫌です。正直、幻滅しました。
頭にくらりときた。聞き間違いではなかった。嫌だとはっきり言われて怯んでしまう。それでも、何か誤解がある気がする。だって、私はまだ彼女に想いを伝えていない。悟られまいとしてきた。それなのに。
「ち、違うって、どういうことかな。説明してほしいな」
「こんな寒空の道端で話す内容じゃありません」
「だったら、どこかに入って、ね?」
駅前にも駅構内にも、カフェの一つぐらいある。ファーストフード店だって。
「一人暮らしの大学生だから、簡単にそう言えるんですよ。でも私には帰りを待ってくれている両親がいます。知っていますよね」
「そう、だったね」
「姉は月に一度帰ってきます。会いたいなら、駅に住んでいればいいんです」
「え?」
お姉さん? なんで今そんなことを?
戸惑う私の横を素通りして、追い越す百瀬さん。夜風にはない、ほのかに甘い香りがした。それほど近くを通ってくれたのに、彼女は眼差しはもう私に向けられていなかった。
「さよなら。もうバイト先でも話しかけてこないでください」
背中を向けたまま彼女はそう言うと、足取りを早めて去った。
その背中を見送る。出会ったときからまだ冬服しか知らない制服にコートを纏った姿。後ろで一つに結んでいる髪が揺れている。目が離せない。街灯とビルの明かりがその黒髪を夜闇に溶け込ませない。凛とした後ろ姿。
やがて彼女が見えなくなる。独り、くしゃみをしてから身震いした。
私は失恋したのかもしれない。
二日後、私はいつもより早めにアルバイト先に到着した。
ほとんどの場合、百瀬さんのほうが先に来ていて、休憩スペースを兼ねたバックヤードで学校の課題をしているものだった。もちろん店長に許可をとって。週に一度だけ活動があるという家庭部に所属していて、それ以外の曜日のうちで三日間、シフトをいれている。一年生の夏から働いているそうで、もう一年余りになる。
新人の私の教育役を任され、最初の一カ月シフトを同じにした。それで自然と仲良くなった。そう、仲良くしていたんだ。十分前にやってくる私とおしゃべりもしてくれて。一カ月の研修期間を終えての二カ月目もシフトを重ねた。そうすると、やりとりも重ねられた。
バックヤードに入ると、彼女が私を一瞥する。私は平静を装って「お疲れ様です」と言う。最初の頃は「これから働くところですよ」と苦笑いされたが、そのうち彼女も「お疲れ様です」と返すようになった。それが普通になった。
その日も彼女は「お疲れ様です」と返してくれた。一昨日までと異なるのは、その視線はノートや参考書類から動かない。視界に私を入れたくないと態度で示している。無論、会話なんてもってのほかなのだと。
けれど私が早くに来たのは、彼女と話すためだ。そのことを察せない彼女ではない。だからこそ、徹底的に視線を合わせようとしないとも言える。
私は彼女の正面に座るか、隣に腰掛けるか迷う。突っ立っているわけにはいかない。あるいは、じっと立っていれば彼女が観念して「目障りなので座るか、出ていくかしてください」と声をかけてくれるだろうか。でもそれって、私が望んでいる声かけではない。
そもそも、そういう話し方ではない。一昨日のあれが異常なだけで、基本的に丁寧で、知的で、可愛らしい話しぶりなのだ、百瀬さんは。話しているだけで私は嬉しくなってしまう。しまっていた。それが顔に出ていた? そういう積み重ねが、彼女にとって、気持ち悪かった?
「ここ、す、座るから!」
私は自分を鼓舞する意味を込めて宣言してから、彼女の隣に座る。
彼女の横顔が好きだ。正面からの顔が嫌いなのではない。断じて。
ただ、横顔が魅力的なのは紛れもない事実。ついでに言うなら、真っ向から見つめられるのが照れくさくて、そうなってしまったら羞恥で悶えそうだと思って、だからいつも彼女の隣に座る。うん。いつもどおり、隣に座れた。
幸か不幸か、彼女は私の宣言など耳に入っていないふうだった。無反応。
「もっ、百瀬さん! お話があるの」
無視。大丈夫、予想通り。くじけない。
「二つ、伝えたいことがあるの。まず、事務的な会話はこれまでどおりにしよう。……してください。そうでなければ私や百瀬さんのみならず、他の人たちが困るから」
百瀬さんのペンを動かす手が止まる。こちらを見ることはないが、意識は向けてくれたようだ。
「もう一つは、えっと、私は百瀬さんほど頭の回転がよくない」
百瀬さんの綺麗な横顔に動きがある。
しかめ面。眉をひそめている。私は慌てて続きを紡ぐ。
「ああも私が拒絶されてしまったその理由がわからないの。手を繋ぐか否かだけの話でないとは思う。きっとそれまでに私が百瀬さんを不愉快にさせ続けていて、それが爆発しちゃったんだって」
あの夜に、閾値を超えて、それがああいう言葉になったのだと。
それが昨日、一日落ち着いて考えた私なりの答え。答えというには中身はない。それを満たすために今、ここにいる。
「お仕事であれば、納得していなくても謝罪する場面ってある。それを教えてくれたのは百瀬さんだったよね。私、妙に意地っ張りなところがあって、ついついお客さん怒らせちゃって。あのね、今の私はまだあなたに謝れない。納得していないから。
あなたとの関係はお仕事じゃないって思うから。年上の友達は初めてだって、前に言ってくれたの覚えている。先輩って嫌なものだと思い込んでいたって」
最後のは付け足さなくてもよかったかもしれない。後悔先に立たず。伝えるべきを精一杯伝えるんだ。
「教えてほしいの。私の罪。百瀬さんにした悪いこと。それで、私……ちゃんと謝りたい」
彼女がペンをぴしゃりと置く。およそ一昨日のバイト中までの彼女からは想像できない、粗暴さをもって、机に叩きつける。
「そんなの豊川さんの勝手でしょ。私は別に謝ってほしくない。話しかけないでって、そう言いました。……事務的な会話についてはわかった、言うとおりにします。まだここをやめる予定はありませんから。やめるとしたらそっちよ」
私の目を見ようとしない彼女。胸がきゅっと締まる心地がした。
私は声を絞り出す。
「教えてよ。なんでなの。どうして、好きになったらダメなの」
やっぱり余計な一言が混ざった。
そんな気がした。でもそれを打ち明けないと、本心でぶつからないといけないと思い直して、私はもう一度「教えて」と彼女に言った。
「―――――お姉ちゃんなんでしょ」
ようやく私と目を合わせてくれた百瀬さんの口から思いもよらぬ言葉が出てきた。
「えっ。お、お姉ちゃん? 私が……百瀬さんの?」
「ふざけないで」
睨まれる。凄まれている。次に下手なことを言おうものなら、平手打ちでもされそうだった。彼女の手。ネイルに興味があるのだと前に話していた、それでよかったら休日に一緒にネイルデビューしてみないとも誘いもした。朝一でプロに頼んで、二人で買い物して、ランチして、夜まで遊ぼうよってそんなことを言っていた。まだ果たせていない約束。私のわくわく。
「ふ、ふざけてはいないし、私と百瀬さんが生き別れの姉妹でないのも知っている」
「当たり前でしょ。ねぇ、白を切らないでよ。豊川さんは、私のお姉ちゃんのことが好きなんでしょ! 不出来な私に、あの上出来な、上出来過ぎるあの人を重ねるのはやめてよ! うんざりなの、嫌なの。気持ち悪くて、吐き気がするのよ!」
机を今度はその手のひらで、バンっと叩く彼女。机に置かれた右手の甲、切り揃えられた爪、寒さを口実に下心で繋ぎたかったそれを私は見やった。
それから、涙目になっている彼女をまっすぐ見据える。
「私、知らない。百瀬さんのお姉さんのこと。存在自体、今知った。嘘じゃない」
「嘘よ。だって、一校通っていたでしょ? 店長から聞いた」
「イチコウ?」
「べつに第一でも一校でも、呼び方はなんでもいい! とぼけないでよ。嘘だったんでしょ、初めて自己紹介し合ったときには遠くから来たとか言っていたくせに!」
「あ、あの。私の卒業した高校は確かに第一高等学校だけれど、でも――――」
その前に地名がつく。私の地元。実家がある隣県の、そしてもちろんその高校がある地域の名称が。それを合わせての正式名称。
私はそれを彼女に告げる。スマホでウェブ検索してみせて、検索結果が表示されている画面ををおずおずと彼女に示す。
「は……?」
彼女の瞳から涙の兆しがすっと引いていくのがわかる。零れないに越したことはないけれど、なんとなく不恰好だった。ぽかんとしている。間が抜けたその顔さえも私は愛おしく感じた。
「ほっ、本当にお姉ちゃんのこと、知らない、のですか?」
唐突に片言だった。
「うん」
「私と同じ親から生まれたのが信じられないぐらいに美人で、頭もよくてスポーツもできて、どこでもキラキラと目立って、いわゆるカリスマで、老若男女から愛される、こんな地方でもアイドル事務所にスカウトされた経験が二回ある、そんなクソ優秀な姉なんだけど」
「百瀬さん、汚い言葉は使っちゃダメ」
「そこじゃなくない? え、マジで知らないの。私の空回り?」
そうして百瀬さんは勢いよく机に突っ伏した。頭を打って痛そうで、私は動揺して立ち上がり「大丈夫、おでこ割れていない?」とすぐそばまで近寄った。
「割れていない」
「そ、そう。念のため、顔見せて」
「嫌。ぜったい嫌」
隠せていない耳が真っ赤になっていた。
それからたっぷり三分間、百瀬さんは「あぁ」とか「うぅ」などと呻きながらも、顔を上げずにいた。
私は隣に座り直して安堵していた。誤解だったのだ。私たちは元通りになれる。たぶん。けれど、そう考えてみると胸がチクリと痛んだ。
どれだけ隣にいても、つまりこれからまた一カ月、数カ月、たとえ一年、二年が経ってもなお、私は彼女の友達にしかなれないのかと思うと、それが苦しかった。
とはいえ、その苦しさと彼女に拒まれたまま別離を迎える辛苦とを、秤にかければどちらが重くなるかは自明だった。
私はスマホで時間をチェックする。まだ十分以上ある。誰か来る気配はない。忙しいのだろう。暇で近くにいたなら、百瀬さんが出した諸々の音で様子を見に来るはずだから。
「百瀬さん。そのまま聞いて。私に確認させて」
「なんですか」
「あなたのお姉さんはモテるの? 同性にも」
「はい」
「それでその、私がてっきりお姉さんと妹である百瀬さんを重ねて、もしくはお姉さん本人を狙って、あなたに近づいたんだって勘違いした?」
「……だいたいそんな感じです」
「そういう人と関わった経験があるんだね」
一昨日のやりとりを思い出す。
『豊川さんは違うと思っていたのに』の言外の意味を予想する。それを口に出してから、無神経だったとまた後悔。ただ百瀬さんのことが知りたくて、そんな私の勝手で彼女を傷つける。
「程度に大なり小なりはあっても、その手の人はいました。たくさん。姉は豊川さんの一つ下で、今は県外の大学に通っています。いえ、そんなのどうでもいいんです。はぁ、もう消えてなくなりたい」
「消えないで」
私は彼女の丸めた背中に手を伸ばし、それから引っ込める。
触れたい。でも触れられない。さりげないスキンシップをどうして今までしてこなかったんだろう。きっと一目惚れみたいなものだからだ。ひとたび、恋に突き落とされるとままならないことばかりなのだ。
「わかっていますよ。私の馬鹿な勘違いで早退なんてしないです。そんなふうに迷惑かけたら、どうなるか。私はいい子でいないとなんです。姉のようになれなくても、もう期待をかけてくれる人がいなくても、それでも腐ったらおしまいなんです」
やさぐれた口調で彼女が言う。突っ伏したままの姿勢だからくぐもった声。私は一音たりとも聞き逃しはしまいと耳を傾ける。
「先月、帰ってきた姉が無邪気に訊いてきたんです。
「百瀬さんの、初恋?」
「教えないですよ。終わった話です」
「あ、うん」
そしてさらに五分が経った。「うん?」と彼女が妙な声を上げ、ガバッと身体を起こした。そして私を見る。真っ赤になっていただろうその顔には、まだ火照りが残っている。
「ちょっと待ってください」
「え? 百瀬さん、どこか行くの? もうすぐお仕事始まるよ」
「そうじゃありません! この天然!」
「ご、ごめん」
「好きって言いましたよね」
「え――――?」
「『どうして、好きになったらダメなの』って。言いませんでした?」
顔面蒼白。鏡がないから確かめられないけれど、そうだと思う。紅潮する彼女とは反対に。胸だけではなく喉が締め付けられたようになって、言葉が出てこない。そうなると当然、彼女が追究してくる。
「あれはどういう意味ですか?」
訝しむ彼女に、答えを探す私。
「そのままの意味だよ」
「そのままってなんですか」
「飾らないってこと。嘘じゃないってこと。ありのままってこと」
「誤魔化さないでください。怒りますよ」
「そんなに強気な子だとは知らなかった」
「言ったじゃないですか。私、いい子ですから」
答えになっていない。
私はまた「気持ち悪い」と言われるのがつらいのだ。今度こそ、間違った認識ではなく、正しい状況把握を通じて言われてしまうのが怖い。
それにしんどい。昨日みたいに大学サボって一日中、ベッドの上で悶々とするのは勘弁願いたい。夜中に真っ暗な部屋の、その闇に慣れて天井を見つめて永遠に思える時間を過ごすのは二度としたくない。
「豊川さん? あの、そんな顔しないでください」
「私だってしたくないよ」
「えっと、ほら、準備に取り掛かりましょう」
深い溜息。彼女が追究を諦めて立ち上がる。
机上の筆記用具、参考書類をテキパキと片づける。彼女は要領がいい。鈍臭い私とは違う。これまで何度もフォローされてきた。それが彼女を好きな理由だとは思わない。世話焼きであれば、誰にでも尻尾を振るのではない。お姉さんは知らないけれど、絶対的に顔がいい彼女だから、好きになったんじゃない。
ううん、全部ひっくるめて彼女だから、器用さもその綺麗なかんばせも理由の一つになるのだろう。
「待って」
まとめてバッグに入れて、定位置にやって、仕事の準備をはじめようとする彼女。また置いてけぼりになる前に、私は彼女を引きとめる。
勇気を出して、その袖をそっと握った。
「お姉さんなんて関係ないの」
彼女が息を呑むのがわかる。緊張感。私と彼女の間に漂う穏やかでない気配。いつか彼女が私に「豊川さんっていい匂いしますね」と微笑んでくれたのを思い出す。今でもそう思ってくれているのかな。それともあれは社交辞令でしかなかったのかな。
袖から指を離すと同時に、私は想いを零す。余計なことでも、このタイミングが最悪だろうと、私はそうせずにはいられなかった。
「私、好きなの。百瀬さんのこと。恋愛対象として見ているの」
言い切ると自分の顔が燃えた。
そう思っちゃうぐらい、熱くなってびっくりして、両手で顔を隠して、それで走って、そこから逃げ出して、それで全部終わりにしてしまいたくなった。それなのに出入り口まで来たところで「待ってください」と彼女が言う。その声色には驚きと動揺と、微かに憤りがあって、私は振り向けない。顔を隠した両手はだらんと垂れた。
彼女にみっともない背を向けたまま「ダメ。無理そう。私は……いい子じゃない」と屁理屈こねて一歩を踏み出そうとする。逃避のために。別れのために。
「逃がしません」
百瀬さんは私の左腕をぐっと掴んで、私を彼女に振り向かせる。力強い。思えば、彼女は私なんかよりずっと力持ちで、商品を軽々と運んで、すごいねと素直に言うと「もう、口より手を動かしてくださいよ」とはにかむのだ。あの顔だって好きなのだ。彼女の全部が私の特別なのだ。
「高校の話もそうですけど、呼び方が悪いんですよ」
「呼び方?」
訊き返してしまう。
私への糾弾や拒絶ではなく、出てきたのがまたも予想外の言葉だったから。
「豊川さん、ずっと私のことを『百瀬さん』って呼ぶじゃないですか。こっちは三つも下の小娘なのに」
「でも百瀬さんのほうが身長高いし」
「豊川さんが小柄ってだけ……って、そんなの今はいいんです」
百瀬さんは彼女自身を落ち着けるために、深呼吸した。私の腕を握ったまま。すぅー、はぁーと深呼吸してから、さらに握る力が強くなった。
「頑なに苗字で呼んでいたのも誤解した原因の一つです。言うまでもなく、私も姉も同じ苗字ですからね。そうした細かな根拠、証拠だと思われたものがいくつもあって、私は誤解しちゃったんです。だ、だから、豊川さんにも責任があるんですから」
「は、はぁ」
「今後は有香って呼んでください。あ、お客さんの前ではダメですからね」
「それって……」
私の「好き」を受け入れてくれるってこと?
「待ってください。そんな露骨に明るい表情になられたら困ります。私、あなたの想いに応えられません。少なくとも今はまだ。期待させちゃって、嫌な女かもしれません。でも、嫌いになれないんです。豊川さんは嘘が下手です。私、知っています。だから、信じちゃっています。姉は無関係で、私を……す、好きなんだって。一昨日に、いえ、さっきはあんなに非難したくせに、信じちゃったんです」
見る見るうちに赤く染まる彼女の頬。
私はまた口から本音を漏らしてしまう。
「好きだよ」
「繰り返さないでください!」
「だって……」
「だってじゃありません。えっと、続きはバイト終わってからにしましょう。気持ちが追いつかないです。整理したいです」
彼女の手が私の腕から離れる。名残惜しいと感じるのは私だけ。
私は肯き、準備を始める。こっちだって、気持ちの整理をしないといけない。
夜風は一昨日より冷たい。
私たちは雑貨屋を出て、エレベーターで一階へと降り、そして建物から離れる。そこまで終始無言だった。私は彼女に主導権を握られっぱなしであったのを悔い改め、声をかけようとする。
「あのっ」と重なる声。こんなのドラマや漫画でしか見たことない。
「怖かったんだと思うんです」
どちらから先に話すかを譲り合うことはなく、百瀬さんが話し始めた。
「みんな、姉を好きになるから。姉が好きで私には無関心。期待外れだって眼差し。
私は見劣りする妹なんです。特技らしい特技もない。家庭部を選んだのだって、唯一、姉の弱点が料理は苦手ってことだから。
わかっている、よくある話だって。現に、似たような境遇の人が周りにいる。でもそこで群れたって、どうにもならないでしょ?」
いつもよりゆっくりとした歩調、通り過ぎていく人に聞こえないようになのか、小声で。私に寄り添って彼女が話す。ドキドキする距離だ。
曲がる必要のない道を彼女が曲がって、ついていく私。
五百円硬貨を入れて、彼女が温かな飲み物を買う。「どれにします?」と彼女が言って「じゃあ」と私が指差したのはカフェラテ。私が財布を取り出すと「いいから」とだけ言ってペットボトルを手渡してくる。あったかい。
「あの、豊川さん。私は確かに王子様を探していたのかもしれません」
自販機の隣に移動して、私たちは人通りの少ない道を見ながら話す。
「どういう意味?」
「姉に構わず、私にだけに構ってくれる、私にだけ優しい、私だけの大切な人。そういう存在を求めていたってこと。ふふっ、こうやって形にしてみると、やっぱりありふれていますよね。馬鹿みたい。いかにもモテない女の子の空想です」
「誰だって自分に不都合な人より都合のいい人を求めるよ」
「そこに愛情があるかはまた別ですよね」
「それは、そうかも」
三つ下の彼女が大人びているよう感じた。私が幼いのかな。ヒールの高い靴を履けば彼女の背を追い越せるのに。その発想が大人じゃないか。
彼女がミルクティーを一口、また一口と飲む。それから一度蓋を閉める。
そして私を見た。
「もう一度ちゃんと言いますね。私、豊川さんの『好き』には応えられない。でも嫌じゃないの。不思議と。変な話、豊川さんとだったらキスだってできそう」
私は生唾を呑みこんだ。そしてどうにか何も言わずにいられた。
「こんなろくでもない女の子でよかったら、改めて友達からはじめてくれませんか」
「百瀬さんはろくでもなくない」
「客観的に捉えてみてくださいよ。私、気持ち悪いってあなたに一昨日言っておきながら、今、なんて言いました? キスだってできそうって口を滑らせたんですよ。おかしいですよ。こんなの。やばいやつ。それでも……好きでいてくれますか?」
上目づかいの彼女に、私は躊躇わない。
「一昨日と今日とで、新しい百瀬さんを知って嬉しい。もっと好きになった。こんな私のほうが、ろくでもないよ」
「…………馬鹿」
「ごめん」
「そんなの言われたら、照れますよ。私、女の子相手にこんなに照れちゃっているんですよ。どうしてくれるんですか」
「男の子相手だとこれまでにも照れた経験あるの?」
「今、それ聞きます!? ありますよ。それでその人も姉が好きでしたよ!」
「でも私は百瀬さん、ううん……有香が好きだよ」
「っ! ここで名前を呼ぶなんて、ず、ずるくないですか。豊川さんの癖に生意気じゃないですか」
「有香は名前で呼んでくれないの?」
「だぁからっ! ここでそれ訊きます?!」
「質問じゃないよ。お願い。呼んでほしいな」
彼女が再びペットボトルの蓋を開けて、ミルクティーを喉に流し込む。その様にすら見蕩れる自分は恋に身を焦がしている真っ最中。
そして一歩、また一歩と私を置き去りに駅へと向かう彼女。待って、と言おうとしたその時、彼女が立ち止まる。
振り返った彼女の顔はまた私が知らなかった顔で、素敵だった。
「帰りますよ――――
彼女の姿は夜に溶け込まない。どんな明かりより眩しい。
私はその光へ足を踏み出す。
いつか「さん」を外してもらって、それから手を繋いで、口づけだって交わす。それ以上だって。彼女をもっともっと知りたい。この恋路をとにかく進む。
夜風が冬を告げる頃、私たちは新しくあたたかな関係を築き始めたのだった。
密かに恋している年下の女の子にいきなり気持ち悪いと言われて傷ついたけれど納得できません よなが @yonaga221001
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