第22話 八年前の出会い

 困惑顔から不安げな表情になったロスリーは、アディリアと向き合うように身体を斜めにしてベンチに座り直した。

 心から心配そうに揺れるブルーグレーの瞳が、アディリアを捉える。


「アディリアは、辛いのか? ルカーシュのせいか?」


 自分のことを気にかけてくれる人がいるとは思っていなかったアディリアは、驚いてエメラルドグリーンの瞳を見開いた。

 当たり前のことを聞かれただけなのに、凍てつかせることで守ってきたアディリアの本音が溶かされてしまう。


 泣きたいなんて思っていないのにポロポロポロポロ涙が止まらなくて、アディリア本人もロスリーも驚いた顔でお互いを見つめ合った。


「も、申し訳ありません。何で泣いてるんだろう? こんなつもりではなかったのですが……。少し、失礼させていただきます」

 ベンチから立ち上がろうとするアディリアの腕を、ロスリーが掴んだ。力強いが、とても優しく腕を引かれ、そのままベンチに戻される。


「一人で泣くのはよくない。俺でよければ話を聞く。今は王子とは思わないで話してくれ。俺はアディリアの味方だ」

 そう言ったロスリーからは、出会った時の冷たい雰囲気が消えていた。

 ニッコリと微笑んだ顔は、アーロンと似ているせいか何だか見慣れていてホッとしてしまう。


(本当はアーロンとルカーシュの関係を知っている人に、自分の気持ちを吐き出したかった。叫びたかった。怒りたかった。泣きたかった。だけど、二国を揺るがすトップシークレットだもの、知っているのは家族だけ。家族に話して余計な心配をかけたり、ロレドスタ家との関係を悪くする態度は取れなかった……)


 アディリアはずっと、本心を押さえつけてきた。真っ黒な感情が日増しに大きくなっていくのに、誰にも何も言えず、ただひたすら押さえ込むしかできない……。

 辛いと話しても良い相手が目の前にいるのだと分かり、様々な思いが溢れ出てしまうくらい追い詰められていたのだ。




 感情が溢れて泣きじゃくり続けて自分のハンカチでは足りなくなったアディリアに、ロスリーは自分のハンカチを手渡してくれる。

 黙ってハンカチを借りたアディリアは、驚いてロスリーを見上げる。


「ハンカチで気が付いた? 俺とアディリアは初対面ではないんだよ」

 ロスリーがはにかみながら、驚きの事実を告げる。

 

 アディリアの手にあるのは、明らかに子供が刺したヨレヨレの刺繍がされたハンカチ。


(この下手くそさ! 間違いなく私の刺繍……。ロレドスタ家の家紋を刺繍したつもりだったけど、姉様の刺繍とは天と地の差があって、自分の未熟さが恥ずかしくてルカ様に渡せなかったハンカチ。どうしてこれをロスリー殿下が持っているの? このへったくそな刺繍からして、十歳前後のものよね?)


 ひどい刺繍を前に涙も引っ込んだアディリアに、ロスリーはヒントを与えてくれる。

「指に薔薇の棘が刺さった俺にハンカチを渡して、アディリアはこう言ったんだ。『そんなに何でも譲っていたら、欲しいものは一つも手に入らない!』と」


 その言葉でロレドスタ家の薔薇園と、今より幼いロスリーが、アディリアの頭の中に思い出される。







 出会ったのは、八年前だ。

 第二王子と第三王子と第四王子が、母の生家であるロレドスタ家に遊びに来ていた。

 そこにフォワダム家の三人も招かれて、総勢七名で庭で遊んでいた。

 ロスリーの誕生日は二週間後だけれど、王子達は三日後にはサフォーク国に帰るから先にお祝いをしようと、その日はロスリーの十三歳を祝う誕生パーティーをしていた。


 当時十歳のアディリアは美しい王子三兄弟に目を奪われることなく、相変わらずただひたすらルカーシュだけを見ていた。だが、見れば見るほど自分がルカーシュに相応しくないのが分かって打ちひしがれるのだ。

 ルカーシュの横に立つフェリーナが美しいだけでなく、王子達が舌を巻くほどにマナーも完璧だったからだ。アディリアとは、人間と猿くらいの差があった。


 そんな光輝く二人を見ていたくなくて、アディリアは子供の輪から外れて一人でいた。

 トボトボ歩く中で誕生日ケーキが気になったのは、フェリーナと自分のようなアンバランスなケーキだったからだ。


 白い生クリームでデコレーションされ、たくさんのフルーツがのった豪華で美しいケーキ。

 その誕生ケーキには、いびつな形の素朴なクッキープレートがのっていた。

 ケーキは豪華なのに、プレートは随分と地味だなと思ったのはアディリアだけではなかったはず。


 だが、そのプレートがサフォーク国の王妃がロスリーのために焼いたクッキーだったのなら話は別で、一気に特別なクッキーに早変わりした。

 ロレドスタ夫人にそう教えらえたロスリーは嬉しそうに、クッキーを手に取ろうと手を伸ばす。

 しかし、そのクッキーは「母上が焼いたクッキー」が欲しいと騒ぐ第三王子と第四王子が横から掻っ攫った。


 「ロスリー殿下の誕生日なんだから、そのクッキーはロスリー殿下のために作られたものでしょう?」とアディリアは思ったが、ロスリーはグッと何かを堪えてクッキーを取り合ってケンカをし始めた二人を見ているだけだ。


 第三第四王子の二人が大ゲンカで取り合ったクッキーは、すでに半分の大きさになっている。原型を留めないクッキーに興味を失った二人が、皿の上にクッキーを放り投げた。それでも第二王子は「母上が焼いたクッキー」が欲しくて、物欲しそうに手に取ろうとしたその時。

 大事なクッキーは、癇癪を起した第四王子によって絡まり合う蔓薔薇の中に投げ入れられてしまった……。


 慌てて取りに行ったロスリーが、奥に入ってしまったクッキーを取る際に棘で指を傷つけた。たまたま蔓薔薇の側にいたアディリアが、出来損ない刺繍付きのハンカチを渡したという訳だ。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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