第18話 重ならない二人
「お帰り、リア」
「……ただ今、戻りました……」
玄関で迎えてくれたのは、まさかのルカーシュだった。
挨拶をしただけなのに、ドッと疲労感が増す。
(もちろん会えて嬉しいし、会いに来てくれて嬉しいに決まっている。でも、この行為が、その優しさが、私への罪悪感とか義務感なのかと思うと辛く苦しい)
「うちの薔薇が満開なんだ。今年もリアと一緒に見たくて迎えに来た」
「……あー、もしよければ我が家の薔薇も満開なんですよ。今年は我が家の薔薇を見ませんか?」
アディリアの言葉に、一瞬だがルカーシュが顔を顰めたように見える。瞬きしていたら分からないくらいの一瞬で、すぐにいつもの優しい笑顔に戻ったが。
しかし、アディリアは一瞬を見逃さなかった。
ロレドスタ家の薔薇が嫌だったのは、既にルカーシュとアーロンの二人で見たことを聞いているからだ。
散々アーロンからルカーシュとの毎日について説明を受けている身としては、二番煎じには抵抗を感じてしまう。どうせ見るなら、アーロンとは別の物を一緒に見たいと思うのが乙女心だ。
でもルカーシュにこんな顔をさせてしまうのなら、大人しく従えばよかったのかもしれないとアディリアは後悔した。
「そうだね、今年はフォワダム家の薔薇を堪能させてもらおうか。うちの薔薇はこの先ずっと一緒に見られるからね」
その言葉に、アディリアは自分がちゃんと笑えているのかわからない。
せっかくルカーシュが、アディリアの申し出を受け入れてくれたのに……。「この言葉に嘘はないのか?」そんな風にしか考えられない自分が嫌になる。
でも、思ってしまうのだ。嘘はないにしても、以前までアディリアが感じていた、共に手を取り合う未来はもうないのだと。義理で一緒に薔薇を見るだけなのだと……。
二人で庭に出て薔薇を見て回る間も、ルカーシュは相変わらず優しい。今まで通り手を繋いで、アディリアの歩調に合わせてくれる。蕩けるような、優しい笑顔を向けてくれる。
それが心から嬉しいのに、涙が出そうなほど辛い……。
「春休みからずっと会えなくて、ごめんね。毎日でもリアに会いたいのだけど、サフォーク絡みの仕事を振られることが増えてしまって業務が追い付かないんだ。ここに来てまた、第二王子まで来るって言いだしてね。本当に勘弁して欲しいよ!」
ルカーシュにしては珍しく、本当に嫌そうに吐き捨てた。
「従兄、ですよね?」
「従兄弟でも、会いたい人と、そうでもない人がいるんだよ。ロスリーはアーロンのことをネチネチ言ってくるしね」
「ネチネチ、言う?」
「別れ……」
途中まで言いかけて、ルカーシュは気まずそうに口を押えた。
「こんなのは、リアにする話じゃないね。気が回らなくて、ごめん……」
そう言ったルカーシュの表情が暗く沈む。
(第二王子は、ルカ様とアーロンのことを知っているのか……。そりゃ、会いたくないね。気まずいよ。それに「別れろ」って言ってくれる常識人も、ちゃんといたんだ……)
二人の間の沈んだ空気を変えるために、ルカーシュは話題を変える。
「当分の間は王城に泊まり込みになるから、また会えない日が続くと思う」
「お仕事ですから、仕方がないことです。身体に気を付けて下さいね」
「聞き分けの良いリアは立派な淑女だけど、以前みたいに駄々をこねてもらえないのは寂しいなぁ」
アディリアの手をギュッと握って、甘えるような媚びるような笑顔を向けてくるルカーシュを前に、意識が飛びかけた。
(悪戯っ子のような仕草に、妖艶な色気駄々洩れって、どれだけ守備範囲が広いんだ? 私の許容範囲は完全に振り切られ、キャパオーバーでパニック状態ですよ!)
ルカーシュの額が、アディリアの額にコツンとくっつけられ、「たまには前みたいにリアの可愛い我が儘を聞きたいよ?」と至近距離で甘く囁かれた。
アディリアの状態としては、『無』だ。
今、思考を停止しなければ、脳が溶けてしまう。
「あはは、リアがカチンコチンに固まってしまったね。可愛いなぁ」
(くっ! 揶揄われた……。今のは何だったんだ? 馬鹿みたいにアーロンに焼きもちを妬いたから、ちょっとしたフォロー? お飾りの妻特典的な何か? それは、要らない。要らないよ! 私に下手な希望を持たせたら駄目だよ。それは酷ってもんだよ? 期待するたびに、現実を知るんだよ? そんなの繰り返してたら、心がもたないよ……)
「ルカ様の仕打ちは、なかなか受け入れ難いですし、気持ちの整理もついていません。自分がどう対応すればよいかも、身の置き所も分からない状態なのです。私に気を遣って下さるのであれば、過度な触れ合いは不要です」
ハッキリと伝えたアディリアの言葉を聞いたルカーシュは、息をのんだまま青い顔で固まった。
酷く傷ついたように見えるルカーシュは、今にも泣き出しそうに顔を歪めて、そっとアディリアから離れた。
「ごめん。酷い真似をしたのに、自覚が足りな過ぎた。今後はもっとしっかり気を付けるから、婚約破棄だけはしないで欲しい。お願いだ」
青ざめた顔で頭を下げるルカーシュは、アディリアより辛そうだ。どうしてそんなに辛そうな顔をするのか、アディリアには理解できない。
ルカーシュにそんな態度を取られてしまったら、アディリアは何も言えなくなってしまうではないか。
アディリアは期待しないように自分を守りたかっただけだ。
ルカーシュにとっては迷惑でしかない想いを内に秘めたまま、宙ぶらりんなのはアディリアだ。
自分は愛する人と過ごすために、アディリアを利用するのに。そんな傷ついた顔をするのは卑怯だとアディリアは思った。その顔をしていいのは、アディリアだけのはずだ。
(アーロンの言う通りで、私はルカ様に復讐しているのかもしれない。こうやってルカ様を傷つけ続けるために、彼の側に留まっているのかもしれない。何て恐ろしい女なの? お飾りの妻であっても妻の座を放したくないのなら、心を無にして、自分が傷つくのを見て見ぬ振りをしないといけない。果たして私はそれに耐えられるのだろうか? ルカ様とアーロンが幸せでいるのに、私の存在は邪魔なのかもしれない……)
アディリアはルカーシュの願いに応えを出せないまま、目を合わせることなく庭をあとにした。
沈痛な面持ちで戻って来た二人を見たフォワダム家の家族と使用人は、いつもと違いすぎる重苦しい空気にオロオロと戸惑っていた。
太陽が沈みかけ、影が伸びる。だが、影であってもアディリアとルカーシュが重なり合うことはなかった。
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