第17話 悪妻? に、なれず……

「ゴホンッ」

 アディリアの背後から、わざとらしい咳払いが聞こえた。不思議に思って振り向くと、青い瞳をピクピクと痙攣させた不機嫌そのもののルカーシュが立っていた。


 ルカーシュの視線がアディリアが握り締めたアーロンの両手にあることに気づき、慌てて手を離す。

 アーロンもなぜか青い顔で、今にも震え出しそうだ。


(ちょっと、何よ? そのわざとらしい態度は! 私がアーロンに危害を加えようとしたと、ルカ様が勘違いしてるじゃない!)


「私達は仲良く話をしていただけです。私は決してアーロンの両手を握り潰そうとしていません!」

 アディリアが同意を得ようとアーロンを見るも、当人はうつむいてしまって目を合わせることもできない。


(その演技、止めろ!)


 瞳の痙攣が増したルカーシュが、珍しく厭味ったらしく「仲良く、ね?」と低い声をユリアーネに浴びせる。

「そうです! 仲良く、です」


 アディリアの仲良しアピールは信用してもらえないのか、ルカーシュの苛立ちは増すばかりだ。その証拠に胸の前で腕を組んだ状態で、左手の人差し指が忙しなく右腕をトントントントン叩き続けている。


 ルカーシュに信じてもらえないアディリアは落ち込んだが、「でも、それでいいのかもしれない」と気が付いた。


(私が人生を棒に振ったことに罪悪感を抱いてルカ様が苦しむなら、大切なアーロンを虐げる悪妻と憎まれた方がいいんじゃない? だって、その方がルカ様は私に気兼ねなくアーロンと幸せになれるし、イチャイチャできるじゃない。辛いけど、名案!)


「これ以上お二人の邪魔をする気はありません。私はこれで失礼します」

 アディリアはそう言って、ルカーシュに淑女の礼をした。


 そしてアーロンと向き合うと、気合を入れるために大きく息を吸う。

 悪妻としてアーロンの肩を力任せに揺さぶり、その極悪ぶりをルカーシュに見せつけるのだ。ちゃんと、アーロンに危害を加えてやる!


 アーロンの肩に手を置いて乱暴に揺すろうとするも、予想以上にアーロンの肩ががっしりしすぎている。アディリアの小さな手では、しっかりと肩を掴むことすらできない。

 鍛えているアーロンの身体を、アディリアの貧弱な片手で揺するなど到底不可能な話だったのだ……。


 これでは、帰り際に肩にポンと手を置いたに過ぎない……。

 予定では「虐め足りないけど、ルカ様が来たなら仕方がない」と捨て台詞を吐いて帰ろうと思っていたのに……。

 動揺のあまり声も出ないアディリアは、一生使わないと決めていた自分専用の扉を使ってロレドスタ家から逃げ出した。







「ちょっと、ボーッとしすぎよ! しっかりしなさい、リア」

 フェリーナの声でハッと覚醒したアディリアは、握りしめかけた貴族名鑑のページの皺を伸ばす。

 その様子を心配そうに見つめていたフェリーナは、「少し休憩しましょう」と言って先に中庭に出て行く。


 鬼軍曹であるフェリーナが、予定外の休憩を入れるのだから、アディリアの心ここに在らずぶりが窺える。

 お昼寝から目覚めたフィラーもガゼボにいる二人の下にやって来て、のんびりとしたティータイムが始まった。


「サイラス家の令嬢を上手くやり過ごしたと聞いたわ」

「やり過ごしたなんて……。エルシーナ様の言っていたことは全て正しいことだったから、私は受け入れただけで……」


 曖昧に微笑むアディリアの口に、フェリーナはチョコレートを突っ込んだ。

 疲れた様子のアディリアに、糖分を補給させたのだ。


「ルカーシュと何かあった?」

 フェリーナは心配そうにアディリアの顔を覗き込んでいる。


 以前と比べるとフェリーナのアディリアに接する態度が柔らかくなった。

 どうしてなのか理由は分からないが、フェリーナに対して後ろめたい気持ちを抱えるアディリアからすればホッとする。


 幼き頃からアディリアを苦しめる、超えられない壁がフェリーナだ。

 だが同時に、尊敬する姉でもある。今まできつく当たられていた分、仲良くしてもらえるのは純粋に嬉しい。


 もぐもぐとチョコレートを食べたアディリアは、「どうして?」と聞き返す。

「珍しくルカーシュが荒れているって、旦那様が言っているの。貴方達二人って、長年連れ添った老夫婦みたいに波風たたずに凪いでいて穏やかだったじゃない?」


「……老夫婦が凪いでいるのは、共に荒波を乗り越えた歴史があるからよね?」

「そうねぇ。私と旦那様はまだ、それ程大きな波は来ていないけどね」

「でも、小さい波はあるんだよね。何も乗り越えずに凪いでいるだけって、作り物の夫婦だよね……」


 遠くを見つめて話すアディリアの空っぽな様子に、フェリーナは目を見張った。目の前にいるのは、かつての能天気な妹ではないのが分かる。

 急に勉強やマナーを取得し始めただけでなく、ルカーシュとの関係にも冷静な目を向けている。

 一体何が妹を変えたのかと、フェリーナの不安は胸の中に広がっていく。


 乳母からフィラーを受け取って抱きしめるアディリアは、ついさっき見せた全てを諦めた抜け殻みたいではない。幸せそうな笑顔を浮かべて、フィラーと遊んでいる無邪気な妹だ。

 見間違いだったのかもしれない。フェリーナはそう思うことにした……。


「アディリアがこんなにも子供好きだとは思わなかったわ。乳母と一緒になってオムツまで変えてくれるなんてねぇ」

「そうだね、自分の子供を抱き締められるって、きっととても幸せなことなんだと思うんだ」

「……?」


(私が自分の子供を抱くことはないものね……。自分と血のつながりがある子供を抱けるだけでも幸せだ)


 アディリアはフィラーに優しい笑顔を向けている。

 間違いなく優しい顔を見せているのに、その言葉はフェリーナを不安にさせる。持て余すほどに大きな闇を、アディリアの中に見てしまった気分だ。


「ルカーシュや家族達に甘やかされて、努力もせずヘラヘラしているだけのリアにはイライラしたわ。でもね、今の一生懸命前に進もうとしているリアは大好きよ。辛いことを一人で抱え込む必要はないわ。私を頼りにして良いことを忘れないで」


 アディリアは穏やかな目をフェリーナ向けると、「今既に頼っているよ? 姉様にはいつも感謝で一杯」と言って微笑んだ。


 だが、フェリーナはアディリアの笑顔を鵜呑みにはできない。

「今日の特訓は中止よ、ゆっくり心を休めましょう」


 そう言われてしまったユリアーネは、ひとしきりフィラーと遊ぶことを楽しんだ。

 程よい疲労感を感じながら、いつもより早めに屋敷に戻ったアディリアだが……。

 残念ながら、早い帰宅を後悔することになる……。




◆◆◆◆◆◆


本日二話目の投稿です。

読んでいただき、ありがとうございました。

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