第8話 愛人との諍い①

「アーロン殿下は、わたくしに婚約破棄をさせたいのですか?」

「当然だろう? ルカーシュの両親には俺が証言をして、お前の主張が通るように手を貸す。だからお前が責められることはない。安心しろ」


(え? なに? その感謝しろと言わんばかりの態度。馬鹿じゃないの?)


 フェリーナ仕込みの淑女の笑顔を貼り付けているが、目は全く笑っていない。可愛らしいアディリアの怒りに満ちた笑顔は迫力満点だ。


「そのような身に余るお気遣いは不要です。婚約破棄は致しませんので!」

 眉間に皺を寄せ「理解できない」と言いたげな表情を向けるアーロンを、アディリアは渾身の力で睨みつけた。


「なぜだ? ルカーシュから馬鹿だとは聞いていたが、あの状況を見ても俺達の関係が分からないのか?」

「馬鹿ですけど、お二人が恋人同士なのは分かりました!」

「分かっているのに、どうして婚約破棄しない? 結婚さえすればルカーシュが自分を愛してくれると思っているのか? 俺達にとって結婚は意味をなさない。立場上の義務だから、決められた相手と仮初めの結婚をするだけだ。俺達は愛し合う道を選んだ。この先も絶対に関係を断つことはない。お前がルカーシュに愛されることはないんだぞ」


(あの濃密な空気の中にいる二人を見たら、私がルカ様に愛される未来はないと分かる。でもさ、それを他人に、ましてや恋敵に言われるのは辛いし、腹が立つ!)


「そんなこと、分かっています!」

「分かっているなら、なぜ婚約破棄しない? ルカーシュが言う以上の馬鹿か? 自分の将来を考えろ!」

「馬鹿でも分かります。私はルカ様から愛されない、お飾りの妻になるのでしょう!」

「分かっているじゃないか。俺達のために誰かが不幸になるのを、俺は望まない。お前だって、そんなものにはなりたくないだろう?」


 アーロンの独りよがりで自分勝手な物言いに、アディリアの怒りは限界だ。


「ルカ様はロレドスタ侯爵家の嫡男です。私が婚約破棄をしたら、別の令嬢が『そんなもの』になるのです! 殿下が望まなくても、貴方達は必ず誰かを不幸にするのです! 私に自分以外の犠牲者を作れと仰るのですか!」


 アーロンは右手で自分の口を押さえて、「そうだな、お前の言う通りだ。俺達は離れられないのだから、犠牲が必要だ……」と声を絞り出した。


「だが、世の中には様々な理由で望んで犠牲になりたい者が存在する。金が欲しい者、地位が欲しい者、名声が欲しい者がな。俺は犠牲にするなら、そういうお互いの利害関係が一致した者の方が安心できる」


 アーロンの傲慢な話に、アディリアの怒りが限界を突破した。さっきとは比べ物にならない激しい怒りがとめどなく溢れ出してくる。


 何もできないアディリアが人に誇れることと言えば、ルカーシュを想う心だ。

 ルカーシュの一番ではなくても、ルカーシュから愛されることがなくても、ルカーシュを想う気持ちだけは誰にも負けない。

 アーロンの発言は、アディリアのその想いを貶めた。

 アディリアのルカーシュへの想いは、利害関係に劣ると。褒美をもらえない無償の愛は信用に値しないから不要だと吐き捨てられたのだ。


 抑えよう、抑えようと制服の白いスカートを握り締めるが、血管が浮き出してくるだけで怒りは抑えられない。我慢の限界も超えた……。


「馬鹿な私はペラペラ喋りそうで信用できないと?」

 アディリアの声とは思えない、怒りに揺れる低い嘆きだ。

 さすがのアーロンもアディリアの迸る怒りに気づき、焦った表情を見せるが、遅かった……。


「大好きなルカ様の名誉を傷つけるような真似を、私がする訳ないじゃない! 死んでも秘密を守るつもりで、お飾りの妻になると言っているのよ。私の覚悟を汲んで欲しいわ!」


 静かに怒りを吐き出すアディリアに、アーロンは圧倒されて呆然と目を見開いている。

 小動物のようなアディリアが、怒りに任せて言い返してくるとは予想外だったのだろう。

 怒り心頭のアディリアはこれ以上は付き合い切れないと言わんばかりに、窓の外を眺めることに決めた。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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