第2話 砕け散った未来
「姉様の言う通りよ。私がこのままで、良いわけないわ!」
妹の言葉にポカンと口を開いたままのフェリーナに向かって、アディリアは姿勢を正して座り直した。
「姉様のような淑女になれるよう、私を鍛えて!」
必死な表情で教えを乞い頭を下げる妹を、フェリーナは本気で別人なのではないかと疑った。アディリアと言えば、甘やかされた怠惰な人間の代表格だ。
フェリーナの腕で寝入ったフィラーを乳母に預けると、いつものアディリアらしからぬ真剣な表情をした妹と向き合った。
「何があったのですか?」
(とんでもないことがあったけど、それは言えない。心配してくれたのに、ごめんね。今は何も考えられないほど、何かに打ち込みたい気分なの)
今までのアディリアなら辛いことがあれば、すぐ人に頼っていた。頼るなんてものではない。泣いて縋っていた。自分で解決する気は最初からなく、一通り不満を口にした後は他人に丸投げして後の対応を任せるのだ。
しかし、酷く悲しい笑顔をしたアディリアは、フルフルと首を横に振る。
「何もないよ。ただ、今までの自分がいかに愚かだったか気づきはしたかな……?」
フェリーナは、こんな殊勝な言葉を口にする妹を前に、目を開いたまま半ば気を失った……。
周りに甘やかされ、世の中の日の当たる部分にしか目を向けてこなかったアディリアは、日が当たれば影ができることを今朝知ってしまったのだ。
「ついに侯爵令嬢、侯爵夫人としての意識が芽生えたのね! 遅すぎると思うけど、気づかないよりましよ! このわたくしが、貴方を完璧な淑女にしてみせるわ!」
妹の変化を喜んだフェリーナが、アディリアに淑女としての心得を叩きこむと約束する。
「アディリアの気が変わる前に!」と言って、早速その場で特訓が始まってしまったのが、ファリーナらしい。
だが、辛い記憶を忘れるほどに何かに打ち込みたいアディリアにとっては、望むところだ。むしろありがたい。
妥協のない厳しい特訓初日を乗り切ったアディリアは、帰りの馬車に揺られるながら疲れ切っていた。
できればこのまま、何も考えずに何も感じずに眠ってしまいたい。そう思うのに、アディリアの頭は冴えわたっている。
消し去りたいのに今朝の光景が思い出されては、アディリアが必死になって打ち消す。何度打ち消しても、鮮明に浮き上がってくる光景は、目を閉じても消えることがない。
「もう、見たくないのに……」
(まさか大好きなルカ様を思い出したくないと考える日が来るなんて……)
アディリアの婚約者であるルカーシュ・ロレドスタは、三つ年上で姉のフェリーナと同級生だ。
家族から甘やかされて育ったアディリアだが、アディリアを一番甘やかしているのは、間違いなくルカーシュだ。
それは誰もが知っている事実で、フェリーナに至っては「リアがこんなにもダメ令嬢になってしまったのは、ルカーシュのせいだ!」と恨んでさえいる。
恨まれても仕方がないのかもしれない……。
勉強ができなくても、マナーがなっていなくても、常識外れのことを言いだしても、ルカーシュは「そんなリアが可愛いよ」と言ってニッコリと微笑むのだ。
甘やかされた考え無しなアディリアは、「大好きなルカ様がそう言うなら、いっか」となってしまう。
一人っ子のルカーシュは、アディリアを妹のように大事に真綿で包むように慈しんできた。それを唯一無二の愛だと、アディリアは信じていた。
なぜならアディリアは、子供の頃からルカーシュ一筋だからだ。
ルカーシュしか目に入っておらず、ルカーシュだってもちろん自分と同じ気持ちだと思っていた。
だからこそ、アディリアの気持ちに応えて、自分の方を婚約者に選んでくれたのだと思っていた。ルカーシュの愛情を一身に受けていると思って生きてきたのだ。
そんな能天気なアディリアは、ルカーシュとアディリアはもちろん、二人の間に生まれるであろう子供達と両家の両親が、青い空の下で柔らかい陽の光を浴びながら笑い合って、庭でお茶を飲んでいる未来を信じて疑ったことがない。
そんなことばかり想像しながら、お気楽な毎日を送ってきたのだ。
だが、そんなお花畑な夢物語を思い描いたのも、今朝までのことだ。
アディリアが勝手に思い描いていた未来の景色は、砕け散り、霧散した。
アディリアとルカーシュの未来の景色は、キラキラと光り輝くものではない。春の日差しのように穏やかなものでもない。灰色一色で光の届かない、優しさの欠片のないものなのだと知った。
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