第3話 アディリアは見た!

 アディリアの未来が砕け散ったのは、ロイズデン王立学院の春休み初日だった。

 苦痛の塊である学院が休みになり、毎日ルカーシュの顔を見に行こうなどと浮かれ切った考えで胸を躍らせていた。まさかその胸が張り裂けることになるとは思いもせずに……。


 王城で外交官として働いているルカーシュも今日は休みだ。アディリアは朝から厨房にお邪魔して、昨日のうちに仕込みをしていたパンを焼く。ルカーシュの好きな角切りのチーズとベーコンが入ったパンは、香ばしい香りと共に焼けた。これなら、ルカーシュも喜んでくれるだろう。失敗しても喜んでくれるのだから、大丈夫だ。


 上機嫌のアディリアはルカーシュと共に朝食を食べようと思い、パンを籠に入れると隣に向かって飛び出して行く。


 隣とはいえ、両家共に広い敷地だ。侯爵家の令嬢が単身で行くことが許される距離ではない。

 普通ならそうだ。だが、両家に甘やかされたアディリアにかかれば、距離など無いに等しい問題だ。

 両家の敷地の境界線となる端と端に、アディリアが両家を行き来するための扉があるのだ。もちろん門兵もいるし、門から門が目視できる距離に作られていて安全性も考慮している。

 幼いアディリアが『好きな時にルカ様に会いに行きたい』と呟いた願いを、ルカーシュが叶えてくれたのだ。


 専用の扉を通って門兵に挨拶をしたアディリアは、淑女らしからぬ踊るような足取りでルカーシュの部屋へ向かう。

 そしていつも通り、ノックはするけど相手の返事は待たずに扉を開けた。この淑女らしからぬ行為を、アディリアはこの先一生後悔し続けることになるとも知らずに……。







 濃紺のカーテンは開いており、レースのカーテンから陽の光が差し込む中、ベッドではルカーシュが寝息を立てていた。


 隣国であるサフォーク国から要人が来る準備ため、ここ一カ月ほどルカーシュは多忙極まりない日々を送っている。それはそれは、お疲れなのだ。

 というのも、ルカーシュの叔母がサフォーク国の王妃となっている関係で、通常業務にサフォーク国からの要人を迎え入れる業務がプラスされてしまった。

 そんな無茶ぶりが通るのも、ルカーシュが非常に優秀な外交官であるのと、ロレドスタ侯爵が外務大臣なことが大きい。


(いやいやいや、そんな話はどうでもいい! ルカ様が激務で疲れていようが、眠っていようが、この際どうでもいい。問題は、ルカ様が誰と眠っているかだよ!)


 大人が五人はゆったりと眠れるであろうベッドに、二人……。

 ベッドを共にしている相手は、もちろんアディリアではない。

 当然だ、アディリアはベッドで寄り添っている二人を傍観している側の人間なのだから……。




 ルカーシュの少し癖があって波打つ艶のあるダークブロンドは、いつもなら後ろで一つにまとめられている。その髪が枕の上に広がり、窓からの光を浴びてキラキラ輝いている。

 澄み切った青空のような瞳は閉じられているが、長い睫毛がクルンとカールしているのが遠目でも分かる。鼻筋が通って気品に満ちており、薄すぎず厚すぎない色気のある唇が少しだけ開き寝息を立てている。

 ルカーシュの整った中性的で美しい顔立ちは寝顔も美しいのだと、こんな状況でなければ見惚れてしまっていただろう。そう、こんな状況でなければ……。


 ルカーシュは裸なのか布団は臀部と膝までしか隠しておらず、見える部分はピンクがかった白に近い肌色だ。当たり前だが大人になったルカーシュの裸を見たことなどないアディリアは、細いと思っていたのに意外にもしなやかな筋肉がついていることを初めて知った。


 肩甲骨がはっきりと見て取れるのは、ルカーシュの両腕が隣の人物の腰にしっかりと巻き付いているからだ。

 そして、頬が少し上気して赤味を帯びている美しい寝顔は、隣の人物の腰に頭を預けるように置かれていて、二人の身体はぴったりと寄り添ってくっついている……。




 抱きつかれている隣の人物は、ヘッドボードに背中を預けた状態で座っていた。ルカーシュが身を委ねるように巻き付いているので、腰の部分にしか布団がかかっておらず、上半身は裸で膝から下も肌色で何も身に纏っていないように見える……。


 真っ直ぐで絹糸のように滑らかなブロンドが、朝日を浴びてふわりと揺れ神々しいばかりだ。

 切れ長の青い瞳が愛おしそうにルカーシュを見つめ、長い指がルカーシュのうねるダークブロンドの髪を優しく撫でている。

 こちらも鼻筋が通り、冷たそうな薄い唇のクールな美青年だ。

 そう、美青年だ!

 もう一度言おう、美・青・年。


 上半身に厚い胸筋はあるが、胸はない。髪もせっかくの美しいブロンドが、耳上で揃えられた短髪だ。腕も足もルカーシュより太く、彫刻のように割れた腹筋の正真正銘の男性だ。


 アディリアが叫び出しそうに息をのむと、男性が口元に人差し指を立て悪戯っ子のような笑顔を向けてきた。

 男性の言うことなど聞いてやる必要はないのに、アディリアは両手で口を押さえて叫び声を抑えてしまう……。


「……う、ん……」

 男性が少し動いたからか、腰に縋り付く腕に力がこもったルカーシュの唇を男性の手が撫で、「まだ寝てていいよ」と甘い声で囁く。ルカーシュは、口元を緩めて男性の腰に顔を押し付けた……。


 口を押さえたまま呆然と立ち尽くすアディリアに、金髪の男性は笑顔でひらひらと手を振った。「出ていけ、邪魔するな」という意思表示だ。


 自分が邪魔者だと痛いほど悟ったアディリアはじりじりと後ろに下がり、音が出ないように扉を閉めた。そして、自分が来たことを誰にも気づかれないように、こっそりとロレドスタ邸を後にし、大雨に打たれたのだ。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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