24.無意識

 ぼくだってもう、ぼくになってからだいぶ経つんだから、この重たい蒸気機関銃だって持ち慣れた。軽々狙いを定めて、獲物を確実に仕留められる。今まではそうだったはずなんだ。

 今ぼくの向けた銃口は生きている猪に向けられていて、このまま引き金を引けば上手く当たる。そのはずなのに手の震えが止まらない。何回だってやってきたこの作業が、今じゃ一回も成功しない。さっきから狙いを定めては銃を下ろして、構えては下ろして、を幾度も繰り返している。ぼくにはもう、この引き金を引くことすらできないのかもしれない。

 だけどこのままじゃぼくはぼくで居続けられなくなってしまうから、どうしても少し前のぼくに戻らなくちゃいけなかった。今度は当てる、当たらなかったとしてもこの人差し指を引くんだ。大きく息を吸って、止めて、力を入れて――。

 気付けば膝が笑っていて、見開きっぱなしだった右の瞳が乾ききっていて、震えの止まらない手は言うことを聞かなくて。ドサッ、と何か音がしたのを感じてそちらを向いてみれば、そこには銃が落ちていた。両手を見る、そこに銃はない。いつの間にかぼくは、そいつを持ち続けることすらできなくなってしまったらしい。

 思わずため息が漏れ出る。あれから全部が上手くいかない。怖くて時々壊れてしまいそうになる――いや、壊れてしまいたくなるのだった。

 だってそうじゃないか。全てが明らかになって、ぼくの全てが村のみんなにバレてしまえば……ぼくは死ぬしかないのだから。そうなれば殺されるという選択肢しか残っていないのだから。

「ろ、ローザ、ぼくは……」

 無意識に溢れ出たのは彼女の名前だった。長い間声帯なんて使ってこなかったから、ぼく自身の声なのに聞き慣れない感じがする。そうだ、あの子と話すとき以外使わないから。

 あの子は今、どうしているだろう。言いたいことはほとんど伝えられていない。あの子の近くにはいつも時計がいるから、近付くことすらままならない。あの子のために、まだ何かぼくにできることはあるだろうか。あの子には、ぼくのような道を辿って欲しくはないから。

 思い切り下唇を噛んだ。痛い。落としていた銃を発作的に拾い上げて、銃口をくわえた。この引き金を引けば、猪を撃つよりも楽になれる。ほら、楽になりたいんだろう。引け、早く引けよ。頭の中で響く声は、これは、ぼくの声だったろうか。

 頬に一筋の川が流れて、手で感じて、それで泣いていることに気付いた。膝から崩れ落ちる。それでも銃を握り続けているのは、死にたいから、なのだろか。全身の力が段々と、ゆっくりと消えていく。もう、何もできないくらい。

 するりと手から落ちた猟銃が、地に触れる。どん、と大きな音がこのパイプの森の中に響いた。

「ごめん、ごめんね、ローザ……ぼくには、っ、できない、うぅっ……」

 あぁ、ぼくには何もない。何もできないんだ。風がぼくをさらってくれたら、どれだけ楽になれるだろう。どれだけマシになるだろう。

「おーい」遠くの方から男の声が聞こえてくる。「サック、どこだ!」

 あれは確か、森の奥で狩猟をやっている親方の声だったはずだ。あぁいや、ぼくがいるのはちょうどその辺りなんだからいてもおかしくない。あれ、ぼくは何をしにここに来ていたんだったっけ?

「どうしたサック、暴発か!?」

 ぼくの頭の上、すぐそばに親方が来ていた。それでぼくがサックだということを。最近はそれが度々抜け落ちるから危険だ。このままだと親方に疑われてしまうし、最悪の場合だってありえる。ぼくはまだ、ぼくでいなくちゃいけないのに。

 ゆっくり立ち上がって、ぼくならどう反応するか考える。そうだな、ぼくならきっと……うつむくだけだ。そんなぼくと落ちている蒸気機関銃を見て、親方は全部わかってくれたらしい。そうか、とひとつ呟いて、ぼくの銃を代わりに持ってくれた。

「お前はいつも頑張ってくれてるからな、今日くらいは休もうじゃないか。疲れが溜まってるんだろう、しっかり寝なさい」

 ぼくは小さく頷いてから、親方のあとについて小屋へ帰った。

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