20.いつか
「おはようございます、ユウ。もう九時になりますよ、起きているんですか?」
クロックの声がドアの向こうから聞こえて、はっと意識を取りもどした。ってのも、おれはたぶん寝てなんかなくて、ただ心がどっか行ってただけだったんだと思う。
昨日の夜から同じことを考えてた。おれは本当は何者なのかって、そればっかり。何回も、何十分も、何百回も、ずっとずっと考えてたのに、全然何も覚えてない。気づいたら、いつの間にか朝になってた。
うまく開かない目をこすって、カーテンをむりやりどけて、冬の太陽を浴びる。頭がくらくらして、ふらふらする。きっと顔はぶくぶくだし、目の下にはクマってやつができてる。今立ち上がろうとしてもうまくいかないような気すらする。何回かまばたきして、毛布をぎゅっと引きよせる。
「……ユウ、どうしたんです? 大丈夫ですか、入りますよ」
クロックはおれの答えを聞く前にドアを開けた。おれを見るなり、すばやく息を吸ったような音が聞こえた。
「くろっく……」
つぶやいたつもりだけど、もしかしたら声になってなかったかもしれない。おれの耳に届いたのがかすれた、声とも言えない何かの音だったから。ほっぺに何かが伝ったのを感じて、あぁ、おれのなみだってまだ枯れきっちゃいなかったんだな、なんて考えてる。
「まさか、ずっと起きていたのですか、寝ずに?」
目をそらして、でも、何も言わない。言えない。
そしたらクロックが、ひとりで何個か小さく言ってた。そうですよねとか、わかっていたはずでしょうがとか。自分に言い聞かせてるみたいで、自分を責めてるみたいだった。でも、おれの頭は起きない。ずっと寝ないでいたはずなのに、いつの間にかおれを置いてったらしかった。だからクロックに何もない。
「すみません、ユウ。私がもっと君のことを考えておくべきでした、ケルツェの話を直接聞かせるべきではなかった」
そんなことをしゃべってるのも入って来なくて、おれはただクロックのことを見てた。だから気づいたけど、クロックの服、左袖に何かシミがついてるみたいだった。ちょっと黒くて、もしかしたら料理のときにこがしたのかな。昨日まではどうだったかな、あったかな。なかったような。
「先に聞いて君が耐えうるかどうか、私が判断するべきだったんです。そうしていれば君にここまでの負担をかけずに済んだのに」
あれ、クロックの服ってこんなにぼろぼろだったっけ。まるでいろんなところ走り回ってたみたいな、いろんなヒトと争ってきたみたいな、パイプの森の枝に引っかかったみたいな。足元にはどろがこびりついてるし、もしかしたら今の今まで外にいたのかな。おれの後ろの窓には、雨がぶつかってはじけてた。
「私は、わかっているつもりです。君が、その――」クロックは充分に大人だけど、こういうときはいつも指をいじいじさせてる。それが何となく子どもっぽくて、おれに近いのを感じて。「昨日のことで、ケルツェの言った内容で悩んでいたのであろうことは」
おれは思い出したみたいに、両手のひらで目をこすった。べちゃべちゃになった。服を伸ばしてほっぺをふいた。そこだけに水がしみこんで色が変わる。
「ユウ……いつの日か母親や父親に会ってみたいと、思いますか?」
「わかんないよ」
意外だった。声なんて出ないと思ってたし、何より、こんな答えが出るなんてことにびっくりした。おれは本物の両親に対してどんな感情を持つべきなのかわかってないんだな、って。言葉にしてけばちょっとずつ、「おれ」がわかる。
「おれ、うぅっ、どうしたらいいのか、なんも、わかんないんだよ……」
何回ふいても何回こすっても、目の前が水になってすべり落ちてく。まつげが入っちゃったみたいで目がごろごろする。首を落として、真下を見た。別にそこには何もなくて、おれの求める答えなんてのは、当たり前だけど、見つけられなかった。ただなみだが落ちたあとがあるだけ。
「でも、おれには、っ、クロックがいる……おれの父さん、は、クロックだけ、だから」
つまりながら言ったら、少しだけかたい何かに包まれた。かたいけど、毛布なんかよりあったかくてやさしい――クロックだった。背中をぽんぽんしながら、いつものその手でやわらかく頭をなでてくれる。
「そう言ってくれると、私も嬉しいです。ありがとう、ユウ」
しばらくそうやっててくれた。落ち着くまでずっとそばにいてくれた。ベッドにふたりならんで座って、でも何も言わないで。
「ごめんな、クロック」気づいたらもう首はしめられてなくて、しゃべれるようになってた。「クロックも大変だし泣きたいはずなのに、心配ばっかかけちゃってるよな、ほんと……」
「いいえ、良いんです。ほら、私はユウの父親ですから、ね?」
いつもはうるさいくらいおれにかまってきて、ちょっとめんどうなときもあるけど、今は心地よかった。おれは自分が何なのか見失ってたところだったから、おれを「おれ」だってショウメイしてくれるクロックだけが、おれのたったひとつの心の支えになってた。
「そうだ、ユウ」部屋から出てく直前、クロックは静かに言ってた。「何かあったら、いつか知りたいと思ったら、私に言ってくださいね。できることがあれば私だってお手伝いしますから、絶対にひとりで無茶をしたり無理をしたりはしないように」
クロックがおりてく足音を聞きながら、少しだけ、また泣いた。
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