19.遺失物

 いつもはゼッタイに入らない五階に来た。

 おれの部屋に鏡がないのは、ずっと前にそれを見たおれが素手でこわそうとしてケガをしたからだってクロックに聞いた。それ以来、どこの部屋にもあったはずのそいつは、おれのためにってハイジョされたらしい。でも今はその鏡が必要だった。そして、それがあるのは、この五階だけだった。

 目の前にいるおれをにらむ。鏡に映ってるおれの頭は、どこをどう見たって人間と同じものだ。ここの村人たちとは少しだって似てない。それなのにおれの中には人間の血は半分で、もう半分はあのイブツ頭の血が流れてるって言う。そんなの、信じられない。右手を見れば、もうあの傷は少しも残ってなかった。それが、おれが人間じゃないことのショウコに見えてきて、消すようにつぶすようににぎりしめた。

 あの後、おれがたおれちゃった後も、ケルツェの話は続いてたらしい。おれが起きたときには仕事があるとか何とかでもういなくなってたけど、クロックは他の全部の話を聞いてくれたらしかった。おれが隣にある人間の街とこの村の半分こだってこと、どっちかって言えば人間の血の方が濃いらしいってこと、この話がちょっと前に村長に知られちゃってるってこと、だからもう村中のみんなが知ってるかもってこと、だからもっともっと外に出るのはキケンになってるってこと。全部クロックから聞いた。

 おれは、ずっとなりたかった「人間じゃないもの」になれたんだと思う。というか、もう最初からなってたんだ。それなのに少しもうれしくない。人間じゃないけど、この村のヒトでもない。それはもう、おれにとってはただのバケモノだった。なりたかったのはこれじゃない。おれが本当になりたかったのはクロックであって、ケルツェであって、あのおじさんだった。こんな、チュウトハンパなバケモノなんかじゃ。

 いつもの、ぎゅっと首をしめられるような感覚がきて、とっさに針をにぎった。それからふり上げて――どこにおろすべきかわかんなかった。ぎりって歯ぎしりをして、視線を落として。だから、思いっきりおれめがけて針をつき立てた。

 今まで聞いたこともないような全部こわれる音が鳴って、目の前のおれはくずれた。ばらばらになって、ぐちゃぐちゃになって、われた。そのカケラがおれをおそってくる。ほっぺをかすって痛かった。そこをさわってみたらべたっと液体が指にふれて、手を見てみればそれは血だった。

 ケルツェの言ったことが正しいなら、この中には二種類入ってるってことになる。人間とこの村の血の半分ずつ。それってつまり、これを持ってる人間なんていないし、クロックだってケルツェだってこんなのは流れちゃいないってことだ。おれだけ、やっぱりおれだけだった。どっちでもあってどっちでもないおれは、真ん中でゆれるだけで、結局何にもなれてない。何になれそうにもない。

 だから、誰かがおれの中に忘れてったいらない血のせいで、おれはいらない子なんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る