14.愛恋

 手の中にある箱をくるくる回して、ボタンを押す。そうすれば何回だって同じこの声が手の中でよみがえる。どれだけ遠くにいようとも、いつかの彼がここに現われる。

『なるほど、それではこちら側の職人を手配し――申し訳ございませんが、村からの連絡のようです。少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか――ありがとうございます、それでは一度、失礼いたします』

 砂を蹴る音、ふたり分の足音、不機嫌そうな彼の唸り声。

『それで、何の用だ――父上が僕を呼んでいるだと? 村で何か起きたか、それとも大きな決定をするのか……それにしてもどうして今なんだ――あぁ、いや何でもない。そうか、わかった。父上には明日の機関車で帰ると伝えておいてくれ。あぁ、必ずだ』

 箱を窓際において、あたしはこれからの準備を始める。鏡を覗けば蝋燭ろうそく頭の上で炎がゆらりと揺れる。気分によって色も温度も変わるこいつは、今日は至って穏やかで、けどいつもより赤くて少し熱い。彼の声を聞くといつもこうだった。でもこれは愛だの恋だのと言うには相応しくないなんてことは、自分でもわかっているつもりだった。だからあたしがするべきは、彼のお手伝いだ。彼が幸せになるための、ちょっとしたお掃除。ただそれだけ。

『――あぁもうっ! 父上は何を考えている、こんなにクソ忙しい時期だいうのに』バン、と何かを叩く音。『外側の街に出られるのは僕ひとりなんだぞ、それだけ僕に仕事がのしかかっているんだ。それくらい父上にだってわかってるだろうが、僕の前はアンタだったんだろうが、このっ……』

 彼は意外と口が悪い。けど村ではそんなの少しも見せないし、完璧だと思われているし、実際彼の偽装は完璧だった。美しい仮面を被っているようで、そんなところも素敵で。本当の彼を知っているのはあたしだけなんだろうななんて考えると、いつもは何ともない自分の炎も熱く感じるものだった。この秋に冷え切った両手を頬に当てて、身体の熱を追い出そうとしてみる。

 たぶん村人みんな彼のことを狙っているんだろうが、彼の隣は誰にだって相応しくない。こんな村の中にいるモブ女たちなんてありえないし、あたしだって絶対に違う。それに、そう。もちろん、あの人間の女でもない。思い出すと憎しみが身体から溢れ出そうになる。あんな女がまだこの村に残っていると考えるだけで、無意識に全身が震える。早く排除しないと、早く消さないと。彼のことを汚されてしまう前に。

 けど、そうだな、消える予定じゃなかったローザが死んだのは予想外だった。あたしにはどうにもできなかったのが悔しい。村の情報は全部あたしの手元に来るようになってるはずなのに、ローザは誰とかち合ってああなったんだ? あの子は誰かに恨みを買うような子じゃ――いや、そうか。愛するあまり少し狂っている部分があったから、一部の女には猛烈に嫌われていたんだったか。あの子が死んだことでどれだけの負担が彼にかかってしまうだろうか。あたしにできることはあるんだろうか。

 そんなことを考えていると、いつも停止を押すはずだった瞬間を逃してしまっていた。聞きたくない言葉が脳内に侵入してくる。

『なあ、どうして、どうしてなんだジルケ。何故僕じゃなくてサックを選んだ……? 僕じゃダメだったのか、あの半分はどうしたら良いんだ? なあ、僕はどうしたら――』

 無意識に舌打ちをして、箱をはたき落とした。ガシャンと音を鳴らして、パーツがいくつか派手に外れる。あぁ、またクロックに直してもらわないと。犯罪を助長するような機械だ、造ってもらうのでもだいぶ説得に時間がかかったのに、修理なんてしてくれるだろうか……。

 この箱で何度か聞いてしまったから知っているけど、彼はあの女のために罪を犯した。それが許せなかった。確かにサックなんて死んで当然の男だった。村人に暴力や暴言は当たり前、窃盗せっとうから詐欺から強姦まで、この世の犯罪という犯罪全てをコンプリートしてきたクズだ。最早あいつは、犯罪を具現化したみたいな男ですらあった。かばうつもりなんて微塵みじんもないけど、あの女はサックを選んだんじゃない。全ての選択肢を奪われた結果、あいつを選ばざるを得なくなっただけだ。こんなつまらないことでさいなまれている彼を見るのが嫌だった。

 あたしは全部知っている。自分のことはもちろん、村のことも彼の過去も、全部だ。

 あたしができるのはただの掃除だけで、それ以外はなくて。それがもどかしかった。早く全てを元に戻さないと、彼のために元の世界を取り戻さないと。それができるのはあたしだけなんだから。

 ……あぁそうだ、ひとつだけ良い案がある。あの子どもを利用するんだ。村人はみんな避けているらしいけど、少年はきっと使い勝手がいいから。何かの役に立つかもと考えて一応交流しておいたけど、少年は愛に飢えていた。だから手懐てなずけるのは簡単だった。

 大きく深呼吸をして、それからもう一度鏡に向き直った。さっきとは違う、自信たっぷりの自分が見えた。蝋が溶けそうなくらい熱く燃える炎は、あたしの心を映しているみたいだ。充分温まった両手で頬を強く叩いた。よし、やろう。

 あたしの全ては、ユリシスのためにある。

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