10.もう一度

 朝なのに少し暗い。まだ夢の中にいるみたいで、クロックの声もくもって聞こえる。いつもより元気なさそうなクロックのあいさつに、おれもしずみ気味でテキトーに返す。

 ご飯を食べて、クロックの茶わん洗いを見て、歯をみがいて、顔を洗って、それからリビングで一息つく。

「なぁ、クロック」呼びかけてから、特に話したいことなんてなかったことに気づく。

 どうしました、って言いながらふり向いた時計は、何となく、やつれてるみたいに見えた。前までとの大きなちがいってのは別にないんだけど、ちょっとずつ、少しだけちがって見えた。例えば針がふるえてるとか、同じ茶わんを何回も洗ってたとか、いつものハットがかたむいてるとか、そんなちっちゃなこと。たまたまの可能性だってあるし、確実だ、なんて言えないけど。

 何も言えないでだまってると、クロックはおれの隣に座った。もしかしたら、おれが何か言いづらいことをかかえてる、なんてかんちがいしたのかもしれなかった。

「もしかして」クロックは少し遠くを見ながら言った。「心配をかけてしまいましたかね」

「だって、その、最近のクロックちょっとおかしいし……やっぱり、ローザのこと?」

「そう、ですね。ショックはショックでした。今だから言えますが、彼女とは結婚の約束までしていたんですよ」

 ふわりと笑う感じと、反対に、怒ってるときの感じがした。フクザツでわかんないけど、クロックはローザが死んじゃったことをまだ本当の意味では理解できてないのかもしれない。助けられなかった自分を、許せてないのかもしれない。

「そっか、好きだったんだね」

「ええ、あれはきっと恋でした。それに、誓いでもあったのかもしれません。ふたりで幸せな家庭を築くという、誓い」

 でも――って言いかけてやめた。本当は「でもクロックは悪くないよ」なんて大人ぶったこと言ってやろうと思ったけど、そんなのじゃないだろうから。おれに言われたって変わんない。自分の中で何回も同じことを聞いただろうし、夢の中でローザに言われたかもしれないから。

 だからおれは別のことを声にした。

「ね、ローザのこと教えてよ。おれあんまり知らないんだよね」

「そうですね、ユウとはあまりそういう機会がありませんでしたし……村長があんな感じですからね」

 苦すぎるコーヒーでも飲んだみたいなしゃべり方。クロックはおれのことを悪く言う人を、おれと同じ目線になって見てくれる。だから、特に村長とユリシスのことはあんまり好きじゃないみたいだ。でも、その家のローザのことは好きだったんだからふしぎだ。

 クロックが言ったから思い出したけど、確かにローザは家に来てもおれとは顔を合わせないようにしてるみたいだった。あれって、村長にそう言われてたからなのかって、やっと気づいた。おれだってクロックとローザにはさまれて笑いたかったのに。

「彼女は本当に、本当に素敵な女性でした――」

 クロックは、さっきとは全然ちがうおだやかな声で、味わうみたいにしゃべり始めた。だからおれも安心して聞ける。

 知ってる話もあれば、かげからおれを支えてくれてたって話もあれば、大好きだったんだなって話もあった。聞いててあきない、ずっと聞いてたかった。でももう、この話は増えない。

 そういえば、って思い出したのはローザについての悪いウワサ。路地裏で誰かをたたいたとか、あっちの広場で誰かと口ゲンカしたとか、いろいろ。でも、どれも全部相手は女の人だったって聞いてる。理由は全然聞かなかったから知らないけど。

 クロックは静かに、ローザの話をしてる。幸せそうに、ほんわかした空気がただよう。秒針の音が、いつもよりやわらかく部屋にひびく。

「できるのならばもう一度、一度だけでもいいから、彼女に会いたいものです……いえ、そうですね。それももう、叶わぬ願いなのですが」

 クロックは切なげに、ジチョウギミに笑った。それが悲しくて、おれは話をそらないとって思った。

「なぁ、クロック」でも話すことはやっぱり出てこない。

「何です?」

 たったひとつ思いついたのは、何回だってクロックにきいた質問だった。

「おれはさ、やっぱりお前たちみたいな頭になりたいんだ。でもどうやったらなれるのかなぁ」

「ユウ、何度聞かれたって答えは同じです」やれやれって手を広げてため息を吐くクロック。「君には人間の血が流れているのですから、私たちと同じになることなんてできないんですよ」

「そんなの、わかってるけど……」

「ユウ、君がひとりだけ人間であるということを気にしているのであれば、それは不要な心配です。君の味方はすぐそばにいますよ」

 そんなこと言われたって、味方がいたって、何も関係ない。おれは、おれだけが別物だってことが許せない。みんながみんな人間じゃない中、おれだけひとり人間なのがイヤなんだ。

「もし、もしもの話だよ……お前たちの血を飲んで、肉を食ったとしたら――」

「何を言うんです。本気でそんなことを考えている訳ではないですね? もし本気なら」

「いやいやいや、んなわけないって……」

 急にキゲン悪くなったクロックにびっくりした。イヤな話をしちゃったのは悪いけど、そんなにこわくならなくたって――でもそりゃそうか、ローザが死んだのはまだおとといなんだから。

 でもやっぱり、おれの頭がけむりとかパイプとかランプだったら、こんな思いはしなかったのに。そしたらこんなことクロックにきくなんてしなかったし、こんなこと言わせずにすんだのに。おれが人間なんかじゃなければ。

「冗談でも言って良いものと悪いものがありますから、その話は、外では言わないことを強くおすすめしておきましょう」

 頭の上にのせられた大きな手は、いつもよりかたい気がした。

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