8.写真

 辺りは真っ暗だった。あの日の村長の家の中みたいに真っ暗。でも目線を上げると星がきらきら光ってるから、あのときみたいなこわさはない。この道をどれだけ進んだって死体がぶら下がってることなんてありえないって、確信を持って言える。

 右手に針を持って、くるくる回す。月の光を反射して、たまにまぶしい。何となく、針がぬめってるように感じるのは、どうしてだっけ?

 今日の昼にユリシスが大声で泣いて、おれはつぶれそうになって……そこからの記憶がまるっきりなかった。目が覚めたらおれはベッドの上に寝かされてて、たぶんクロックが運んでくれたんだな、なんてひとごとみたいに考えてた。部屋の時計は十二をさしてて、でも下の階からクロックの気配がしなくて。だから、おれは外に出てきたんだっけ? わかんないけど、まあ、そんなことはいっか。

 村長の家の前、広場のど真ん中、ふん水の前にしゃがみこんでる自分に気づいて、辺りを見渡す。昼の間とほとんど変わんない景色。でもちがうのは、村長の家の前にいたはずのローザがいなくなってるってこと。今は家に入って、ダンランってやつなんじゃないかな。

 ローザはこの後、どこに行っちゃうんだろう。死んだ人間はもやして灰にするとかそのまま土に埋めるとかって言うけど、この村ではどうなんだっけ。ばらばら事件以来ヒトは死んでないんだっけ。

 そんなことを考えてると、背中の方から聞きなれた声に呼ばれた。

「おや、そこにいるのはユウですか? こんな時間に何をしているんです」

 つかれきったような声だった。この二日間でいろいろありすぎたもんな。クロックは、もう、大丈夫なのかな。

 ふり返る前にあわてて手の甲でくちびるをふいた、何でかはわかんないけど、無意識に。針を持ち歩いてることがバレないようにこっそりベルトに戻しながら、あれ、そういえば針に何かイヤな液体がついてたんだっけ? なんて考える。

「ちょっと散歩だよ、おれだって家にこもりっきりじゃ息できなくなるし」

 ぱっと足元に目をやると、めずらしいホンモノのチョウが落ちてた。でも死がいだ。もう生きてなんかない。あれ、おれがやったんだっけ? 首をかしげた。

 クロックがふしぎそうにおれを見る。人間みたいな顔がなくても、たまにそのおかしな頭から感情が読めるのはクロックだけだ。ずっと一緒にいたからなのかな。

 チョウの死がいをけって、目立たないところに押しやる。それからにっこり笑って、クロックに左手をさし出す。帰ろう、なんて言いながら。

「しかし、あまり夜遅くのお散歩はおすすめできませんね。いつでも何をしていても心配だというのに、そう、今は特に……君は外出を控えるよう言われているのですから、良いですね?」

「はいはい」ふてくされながら言ってやる。「わかってますよーだ」

 かわききった風がほっぺにぶつかる。いつも通りなのに何かちがう。そうか、さっき口をふいた手の甲がやけに冷たい。ぬれてる部分ってどうして風を冷たく感じるんだろう。クロックがまっすぐ前を見て歩いてるのを確認してから、右手の甲を見た。何もない、何色にもなってない。いつものはだが見えてた。

 ……あれ、クロックがくれた革手袋してなかったっけ。というか、マスクもかぶってない。ぺた、とほっぺにさわれるし、そういえばさっきも口をふいた。本当に全然記憶がない、ぼうっとしすぎだ。

 考えごとしてたらクロックがいきなり立ち止まった。だからぐって引っぱられるみたいにしておれも止まった。「どうかしたのか、クロック?」

 クロックは何も言わないでおれの手を離す。それからしゃがんで、何かを拾った。

「これは……何でしょうか」ひら、と裏側も見てみる。「写真、ですかね」

 クロックが見せてくれたのは、砂だらけでよく見えない写真っぽいものだった。どうしてかすごくぐちゃぐちゃになってて、まるでにぎりつぶされたみたい。ぱっぱっと砂をはらえば少しだけ見えるようになる。

 見えてきたのは青いチョウと――。

「人間の女の子?」

 青いチョウ頭のユリシス――誰が何を言ったってこれはユリシスにしか見えない――と人間の女の子が、ブリキの花がならぶ畑の前でならんで、ピースなんかしてる写真だった。人間の表情はこんなにもわかりやすい、この子は幸せそうに笑ってた。今じゃもう感情なんてないみたいなユリシスも、見ただけでわかるくらいに楽しそうだった。

 ――だからこそ、許せなかった。

「なあ、おれの前にも……おれが来る前にも人間がいたのか? こんな女の子がいたってのに、おれはこんなにきらわれてるのか?」

 写真をやぶいちゃいそうになったところで、クロックに取られた。ぱっと顔を上げても何もない。そこにはただの時計が秒針を回してるだけ。

「黙っていてすみません、ユウ。これには、その、深い訳がありまして――」

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