3.はじまり

 頭の上にのせられた革手袋が、おれの心を弱くする。思わず泣いちゃいそうにもなる。

「でもさ、おれは人間なんだよ……よそ者なんだから」

「よそ者だなんて、そんなの見た目だけでしょう。実際君は、少なくとも一歳になる前からこの村で生きているのだから人間であるというだけで異端児いたんじとするのは私が、納得できない」

 クロックはほとんど一息で言い切って、それから少し恥ずかしそうに時計頭の裏側をかいた。頭の上にのっかってるハットがちょっとゆれた。

「……あぁ、いえ、少し熱くなってしまいましたね」

 おれのことそんなふうに思ってくれてたって知らなかった。だからおれが外でわらわれたらキゲン悪くなってたのか、だからおれが石当てられたって言った次の日はゼッタイこうげきされなかったのか。おれは今までに何回もクロックに守ってもらってたのか。

「おれ、もっとカンシャしないとだよな。拾ってくれたのがクロックで本当によかった」

「いいえ、しかし……本当を言えば君は本物の、人間の両親によって育てられるべきだったのだから――」

「ううん、おれの父さんはクロックしかいないよ」

 母さんは――なんて少し考えて、すぐやめた。そんな夢は見ない方がいい。辛くなるだけ、苦しくするだけ。

「しかしね、そもそもですよ」コーヒーを一気に飲みほしたクロックは、大きく深呼吸してから全部吐き出すみたいに話し始めた。「そもそも君を、その……捨てた、人間たちが悪いと思うのです、私は」

 あぁ、まただ。おれの親がどうだとか村人のいやがらせが何だとか、そんな話になるとすぐクロックはこうして言葉をならべ立てる。誰かを責めるみたいな口調でおれとの間に言葉の壁を作る。

「あの日君は、私の家の前に血だらけで倒れていたんです。しかし君自身にはひとつも傷がなかった、つまり君の血ではなかったという訳ですが……」

 だからこの話を聞くのも、本当は何回目かになる。

「とは言えあれは酷い雨の日のことでしたから、どちらにしろ君の命は危なかった。幼い子どもは、人間だろうが私たちのような者だろうが、雨風に晒しておけば死んでしまうのですから。君を早い段階で見つけられたのは本当に幸運だった、もっと遅かったらと思うと……肝が冷えます」

 飲みきって空になったマグカップを両手で包んでる。それが、大切なものを離さないようにしてるみたいで、おれと重なって――でもそうじゃないから。クロックの目に見えてるのはおれじゃないから。少し胸がきゅっとなった。

「ユウ、君を助けられて良かった。君を死なせずに済んで、本当に……」

 そのままカップをにぎりつぶすんじゃないか、ってくらい力をこめてるクロックを見ると、目になみだがたまってくる。よくわかんない、けど、今のクロックはよくない状態なんだってことだけはわかる。どうだろう、おれもそうなのかな。

「だからこそ君は私の息子であり、信じ抜き、守るべき存在なのです。もう二度と私は……とにかく、わかりましたね」

「……うん」

 いつもより静かで、それでいて押しつけるみたいなしゃべり方にこわくなった。昨日までのクロックはもういない。どこに行っちゃったんだろう。でももう帰ってくることもない。どうしちゃったんだろう。おれを守ることだけがクロックの仕事で、それだけが生きがいで、それ以外はどうだっていいみたいな、そんな感じ。

 いや、わかってる。きっとローザのことだ。あれだけ仲がよかったんだから。おれはまだ大好きな人の死ってのを経験したことがないからわかんないけど、クロックはこわれちゃいそうなくらい苦しいんだろうと思う。たぶんそうだ。おれだってクロックが死んだって聞かされたらきっと、ローザが死んじゃった今みたいに、泣きそうになるってくらいじゃすまないと思う。

 ローザはたくさん家に来てた。でもおれと会うのはあんまりなくて、たまに昼ごはんとか夜ごはんとか作ってくれてたのを覚えてる。一緒に食べたことは……たぶんこの十年で五回もなかった。おれはあんまり知らないけど、クロックはローザのことをたくさん知ってたはずだし、たくさん好きだったはずだ。

 おれはココアで両手をあっためながら、自分の部屋に続く階段をのぼった。

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