2.予感

 ドアの左側に取り付けてある板に、たたくようにして手を置く。どこの家もこんなニンショウシステムがあるのはめんどうだ。いつか村長が言ってた、これは「ユートピア」を目指した結果なんだって。村の全員をハアクしてよそ者はテッテイテキにハイジョするとかなんとか。この村のサコクにはうんざりだけど、それでも、人間のおれをハイジョしないで村に置いといてくれるのはありがたかった。でも、もう少しくらい仲よくしてくれたらもっとうれしいのに、なんて。

 ずずっ、と重そうに自分自身を引きずりながらドアが開く。数センチ開いたスキマから入りこんで、走って仕事部屋に向かう、そこにいるはずだから。

「クロック!」

 呼びかけると、真っ黒のスーツを着た男が首の上の時計をこっちに向けた。チッチッと音を鳴らしながら秒針が回ってる。水頭の村長より感情がわかりにくいこの時計頭は、これまでの十年間おれを育ててくれた恩人だ。いや、恩時計?

「どうしたんです、そんなに慌てて。家の中は走らない約束でしょう、ユウ」

「そんなことどうだっていいだろ、それより大変なんだよ!」

「何が大変なんです?」

「あの、えと、その……何から言えばいいのか」

 頭の中にいろんな音といろんな映像が浮かぶ。さっき見たローザの死体、記憶の中では幸せそうなクロックとローザ、村長に投げられたイヤな言葉、おれが人間だって現実、走りながら聞いた村人たちの低い声、投げられた小石――。あふれ出そうになって、頭をおさえる。こわくなって辛くなって、しゃがみこむ。無意識に「おれじゃない」を繰り返す。

「ユウ、どうしたんです?」

「おれじゃない、おれじゃない、おれはやってない、おれじゃないんだよ……」

「大丈夫、落ち着きなさい」ぽん、と肩に大きな手が置かれた。「ゆっくりで良いんです、整理しましょう」

 手のひらで目をこすって、顔を上げる。クロックの声も手も、いつもおれを落ち着かせてくれる。苦しくなってもおれを助けてくれる。大好きな、父さんだ。

「君は村長の家に行ったはずでしたね、呼ばれたと言って」

「うん、だから村長の家に行ってきたんだ」

「そこで何かがあったのですね、何かを見た?」

「えっと、ローザ、が、その」とても口には出しにくい。だってクロックとローザは。

「……何です、ローザがどうしたんです」

「ローザが、死んでたんだ、首を吊って」

 クロックがかたまってから時計が何回か鳴る。それからだまって立ち上がると、そのまま部屋から出た。おれを置いてった。あぁ、お前もおれのことを責めるのか、いらない子って言うのか。その場に落ちるようにすとんって座った。

 この部屋にはたくさんの宝石とたくさんの機械がある。クロックがいなくてもカチカチ鳴るのは、壁にいくつも取りつけられてる時計の音。そんなのしかないから、おれが本当にひとりぼっちだってことを余計に意識させられる。「何もない」の中にひとりでいるみたいだった。

 しばらくするとふたつのマグカップを持ったクロックがもどってきた。片方をおれに出す。

「蒸気回覧板にメッセージが来ていました、君に外出を控えさせるようにと」

「おれは……でも、おれがやったんじゃない」

「わかっていますから、ほら、お飲みなさい。怖かったでしょう、疲れたでしょう」

 蒸気回覧板――発信パネルに入力した文字が家庭用パネルに一斉に映し出される、おれにはどうなってるかよくわかんないけど、蒸気機関式コンピュータの一種らしい――で情報を送信するのは村長だ。もしかしたらもうみんなおれが犯人だって思ってるかもしれない。もしかしたらクロックは落ち着いてるフリで、このココアには何かのクスリが入ってて、おれをイケドリにするのかもしれない。それで村長にさし出して、おれはショケイされるのかもしれない。おれは――。

「大丈夫です、村長はまだ私以外には言っていないようですから」

「……ダイレクトだったのか?」

「ええ、村全体にはまだ回していないようです。ローザが首を吊っていたこと、君が第一発見者であること、この状況では君以外犯人ではあり得ないこと。これらの情報がつづられていました。まあ、こんなもの村長が錯乱して自分の考えのみを回したに過ぎないでしょうがね」

「でもそれが村長の考えなら、お前はおれにやさしくしてちゃダメなんじゃないの」

「何か問題が? 私たちは君の親のようなものでしょう、ここまで育ててきたんですから。これからだって君を守ることは私たち――あぁ、いえ、私の役目です」

 ココアをひとくちも飲まずに床に置いて、少し考える。

 ローザが自分でやったんじゃなくて、本当に誰かが殺したんなら。おれは確かにやってないし、そんなことする意味もない。むしろ逆だ。だから、おれじゃないから、それはつまり……犯人はこの村の誰かってことになる。こんなにみんな仲よしのステキな村の中で殺人事件が起きたなんて、考えるだけでイヤだった。それなら、犯人探しなんて苦しいことが起こっちゃうなら。

「おれがローザを殺した、かもしれないのに?」

 一瞬、クロックの動きが止まった。相変わらず顔は時計だから表情なんて見えない。何考えてるのかも読み取れない。

「それはしかし……村長の言い分でしょう? 君は、何もしていないはずだ」

「んなことわかんないだろ」

「自分の息子のことです、手に取るようにわかりますよ」

 クロックは痛そうなくらいこぶしをにぎりしめてた。のどにつまった息を抜き出すみたいなため息を吐いて、また、おれの頭に手をのせた。

「私たち村人に仲違なかたがいをさせたくなくてそう言うんですね? それなら、そんなことを言うのはやめることです。そのせいで私と村人とで喧嘩が起きてしまいますからね」おどけて言った。

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