あとがき — 高校部長

筑駒文藝部

あとがき

 こんにちは。筑駒文藝部高校部長の 根之12:00尾 鵙太 と申します。

 我々の部誌「Air Mail」はお楽しみいただけたでしょうか? 全体的な傾向として、前衛的な作品が多くみられ、多種多様な作品が集まったのではないかと思っています。去年よりもボリューミーな部誌が完成したことは、(印刷費に目を瞑れば)非常に喜ばしいことです。

 文藝部は、実質的な廃部状態を経て去年なんとか復活を遂げました。「新生文藝部」の誕生を見届けた先代部長の苦労は、計り知れないものがあります。それを引き継いで一年、お世辞にも「あるべき部長像」を演じられたとは言い難いですが、再びこの部誌発行に辿り着くことができました。「藝」という旧字体の重みからも知れるように、文藝部はかなり歴史の深い部活です。私自身は(現在高一ですので)次期も部長を務めるつもりでいますが、そこでいかにこの部活を再び「安定した」ものにできるかが勝負となると考えています。また「幽霊部」になってしまえばどうにもなりませんから。

 もう少し、作品の中身の話をしましょう。分析臭くなるのも無粋かと思いますので深く掘り下げるつもりはありませんが、何かしらの非現実的で不可思議な物事に翻弄される、というタッチの作品が多くみられると思います。冷笑するつもりはありませんが、私含めこの学校の生徒が書く物語はたいてい、どこか漠然としています。メッセージ性がかなり前面に押し出されているとも言えましょうか。ある意味では綺麗に纏まっているが、どこか掴みどころがないというか。そういう傾向があると思います。

 しかし、これを単に「人生経験の欠如」とか「文章が下手」と一蹴するのもまたお門違いというものでしょう。明快な説明は私も未だ得られていませんが、こういった傾向は、間違いなく彼ら(我々)が触れてきたものを如実に反映しているはずです。表現物というのは、まさに作者の人生の結晶というべきものなのですから。

 さらに言えば、その表現を介して、その人の人生は受手に取り込まれると言ってもいいでしょう。我々が、空想の中で住んだことのない海辺の町に生きることができるのは、そういった表現を摂取したためです。表現とは、自分を誰かの中に生かす一連の営みなのです。

 抽象的な話が続きましたが、文藝部の本質はその、言葉にすれば性交よりも気持ちの悪い営みにあると、私は思うのです。誰かの中に自分の居た証を遺したい強欲なヒト共に、その欲を満たす場を提供する。それが文藝部であり、傲慢かもしれませんが、生きるためにそれを求めてやってきたのが皆さん、というわけです。私は、そんな欲深い後輩がこの場所を護っていってくれることを心から願っています。

 そろそろ紙面も少なくなってきましたので、こんな言葉でこの部誌「Air Mail」を締めくくろうと思います。

「我々は、あなたの中にちゃんと生きていますか?」

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