第24話
通路はとても狭かった。例え小柄な女性が前にいても、一人しか通れない位に。僕は左手を綺麗な白色の壁に添え、伝い歩きをしながらゆっくりと進んで行く。材質はまるで花崗岩で出来たテーブルの如く滑らかだった。
激痛で足が棒のようになる。疲労が瞼の上に圧し掛かった。そのせいか、両壁がまるで命を吹き込まれたかのように、僕の方へ迫ってきた。同時に壁面も歪む。天井から放たれる光も、もはや砂漠地帯にギラギラと照り付ける太陽の如く輝いていた。
僕はそんな幻覚を脳裏に刻み込む。するとアムの声が両耳から、まるでそよ風のように入ってきた。「そう言えば、聞いていませんでしたけれど…。お父様を殺した後はどうするのですか?」
「そう言えばちゃんと考えてはいなかったな。本当は裏切った時から考えなくちゃいけなかったのに…。フォドを壊滅させることに躍起になりすぎていた。」「あら、以外ね?私と再会した時から何かあるのだと思いましたけれど。」
「期待外れか?」「別に。私はあなたと会えただけでもうれしいですわ。」「僕には何故か嬉しいとも思えなかったけれどね。」「正直ね。」
すると通路の先、エレベーターが待ち構えていた。動いている様子。見た目はさっきの基地にあった物と、何一つ遜色は無かった。
僕はボタンを押す。と、同時に鉄の扉が左右へ吸い込まれるように消えて行った。四角い銀色のおもちゃ箱が現れる。僕達は自らその中へ入った。むっとして、何か錆びついた空気が箱の中で漂っている。
僕はその空気を肺へと送り込む。と、同時に軟質性のボタンを押した。ドアが左右から再び現れる。その直後、エレベーターが動き出した。圧力が足から身体へと伝って行く。
ドアが開くまで物の数秒だった。チンと音が鳴る。鉄の扉がまた左右へ消えていった。ひんやりとした屋内の空気が、錆びついた匂いを一掃する。
車庫だった。目の前には、整頓された幅二メートルのコンクリートの道があり、その右奥には車が二台、物静かに止まっていた。それらを天井から放たれる、冷たい光が照らす。
僕達が乗ってきた黒の車。もう一つは白の塗装が目立つクーベだった。するとそのクーベの辺り、ハイドがポツンと立っている。僕達はエレベーターの中から一歩、足を出す。
ひんやりとした空気が肌身をより刺激する。そして外へ出た。その時、ガチャンとエレベーターのドアが閉まる音が聞こえた。もう来るなと言う風に。僕は振り向かなかった。アムも同様に。
ハイドの元まではさほど時間は掛からなかった。僕達は車の前で足を止めた。ヘッドライトが光をともさず、暗い目で見つめる。するとフロントガラス越し、エイモが運転席に腰を下ろしていた。
「ようやく来たな。」ハイドが話す。「待っていたのか?」僕は首を傾げる。「いいや。今から乗ろうとドアを開けた最中だ。」「だったらハイド。そんな車に乗るよりも、ミハイルが乗っている黒い車に乗った方が健全だ。」と、僕は人差し指を向けながら、淡々と口にした。
「…。ミハイルト共に乗るのはまだ早い。私は今、この車に乗りたい。」「だがその望みはかなえられそうにない。」僕は震える腕を必死に抑えながら、最後の弾丸を指先から放とうとした。
だがアムが唐突に暖かい左手を、僕の左手にそっと乗せた。「何だ?」僕は目線をアムに向ける。「あまりここで殺すのはドラマティックとは言えませんわ。殺すのでしたらあそこの埠頭で。」と、彼女は魅惑的な甘美な声でそう話した。
僕は彼女の話を聞いた後、ハイドを一瞥する。そして震える腕、銃口をゆっくりと下ろした。その時、ハイドが口を開く。「ならば乗るか?」
僕は一瞬、顔を背けためらう。だが勇気を出して、のっそりとまた見つめた。心が震える。そしてこっくりと肯いた。ハイドは鋭く目力の付いた両目をこちらへ投げかける。その後、車のフロントドアの内へと消えていった。
僕とアムはそれを見た途端、まるでつられるかのように車の中へ乗り込んだ。両足が今にも崩れそうな位、震えている。そうして僕はハイドの横に。アムは前座席へと乗り込んだ。
消臭剤特有の甘く、脳を刺激する匂いが車内に充満していた。僕の瞼はより重くなる。だが耐えた。自動的にゆっくりとドアが閉まる。まるで生きているかのように。そして同時に車のエンジン音が掛かる。それはまるで生ける屍の唸り声のよう。
走行する。圧力が前から後ろへと掛った。僕は座席にもたれかけ、窓の外を見る。左へ車体が向かい、エレベーターが見切れる。そして坂道へと連なり、せっせと昇って行った。
そうして車は外へ出た。人工的な光が暗き車内を照らす。左側には館の白い壁面が。右側には洋式の柵が。更に道がコンクリートから、天然石敷き詰められた敷石の道へと変わっていた。
その上を容赦なく四輪のタイヤが踏んでいく。車体が右へと曲がる。敷石の道が、中央にあるポッコリと空いた広間まで続いていた。車はその広間へ導かれるように進んで行く。
広間は半円。奥は段差の低い階段が連なり、大きな扉が奥で待ち構えている。だが車が進むのは反対側。入り口へと続く道だった。執事がハンドルを切る。車は円の中を走り、その道へと入る。
その時、ハイドが話す。「カズヤもここに来るのは六年ぶりか?」「さぁね。でも、この館の全体像を見て、忘れようとした記憶の一部が掘り起こされたよ。」と、僕は窓枠埋め込まれた、ガラス窓へ向けて投げかける。
「私としては嬉しいがな。思い出の一つ、思い出してくれて。」「…。思い出はいつも縛り付ける。」
そんな会話を繰り返している内、気づけば門の外。あの行き来た道をまた通っていた。しかし第一地区の住宅街からは光が失われていた。するとアムがその話に割って入る。
「私としては思い出話は好きですわ。海底に眠る沈没船。興味惹かれますわ。」僕はそれを両耳で聞く。目線はずっと窓の外だった。アムに目線を合わせる気は、とうに薄れていた。
景色が巡りに廻る。西の方角へ向かう。光の落ちた(それでも暗闇を裂ける絢爛さを持つ)第一地区を颯爽と駆け抜け、次いでまだ光が灯る第二地区を通る。高速道路の下。オレンジ色の道照明灯が、ポツンと照りつけている道を。車一つ通らない。
人が数人、脇の歩道で寝込んでいる。ボロボロの布を体にかけて。それは第二地区では少数。第三地区に入る時には数十人に増えていた。道も粗雑な土手道となっている。
「やはり何度見ても、ノーヴィルの町は陰気臭い。やはりまだまだ足りんかったな。」と、ハイドの落胆とした声が聞こえる。僕は何もしゃべらなかった。窓の外を見続けた。だが直視できない。それは車の速度が速く、僕の両目、心が揺らぐせいで。
僕は一人、葛藤に悩まれる。そう言えば、ミカの様子がやけに静かだった。恐らく寝ているのだろう。ハイドと同じ、見る意欲さえも感じなかった。そんな一人の世界に浸る内に、第三地区の街並みは消えた。
海辺の道へと入る。コンクリートがまた姿を現す。と、同時に左手、錆びついたガードレールの奥に海が見えた。暗い暗い、まるでブラックホールのようだった。恐らく潮風が外で吹いているのだろう。僕はその空気を吸いたかった。まるで催眠ガスのような消臭剤の匂いに飽き飽きとしていた。
海辺の道の上を車で走らせ一時間。日の光が地平線の先、顔を数ミリ覗かせた。空に浮かぶ星々が少しづつ、数を減らしていった。そして埠頭に付く頃には日の周り、暗闇が裂け青い空が、半円を描くよう姿を現した。
車は埠頭付近で停止する。僕は着いたのだと、肌感覚で分かり、そっとドアを押す。それは本能的に、僕の重たい体を押し付けながら。するとガチャっと、硬い音が鳴る。ドアが外向きに軽く開いた。
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