第15話


 六畳半の薄暗いタコ部屋。四方、剥き出しのコンクリートの壁が生々しく映り、脱走させんとばかりに佇んでいる。


救済施設に入れられての最初の朝。僕は左側の壁にぐったりともたれかかっていた。背中がまるで死人のように冷たくなっていく。何処かのゴミ捨て場から持ってこられたような、ピンク色の絨毯が足裏を刺激した。


白色の光がお日様代わりに光り輝く。僕は光を見つめる。隊員達に引き連れられる光景がまざまざと、目前に浮かぶ。


辺り一面に広がる暗闇。林が騒然と囁き合う。その中にコンクリートで建てられた施設。四階立て。奥の方にも一回り小さい建物が見える。


ミチルはその奥の建物に連れて行かれた。僕は叫ぶ彼女を思い浮かべる。それ以外の者達はこの施設に入れられた。


そこで身に着けている者を全て剥奪される。馴染みの服装から、左腕に詰められた弾丸、財布等。まさに徹底的に。そしてその代わりとも言うべき、白濁のワイシャツとズボンを着せられた。汗臭い物の匂いが染みついている。


僕はその匂いを、強制的に堪能されながら、このタコ部屋に連れてこられた。するとその中に、三人の男達がいた。


一人は禿頭の三十代。今、彼は憎悪激しい、澱んだ黒い瞳を投げかけている。黒い両手を持つことにやたら嫌悪感を示していた。


またある一人は二十代。しかし彼の両目には憎悪が無く、興味もない。感情が抹殺されていた。それは中身のない虚無に虐待され続けた末路。更に気も吸い取られていた。


僕はそんな彼等をただ茫然と、両目だけで見つめる。すると禿頭の横に座る男性が立ちあがった。四十代。彼の顔には疲労と言う老廃物が溜まりに溜まっている。鼻と顔が大きい。「お前、その手はお役人と同じだが…。何なのかな、これは。」と、左腕を二回、まるでノックするように叩いた。


「…。そうだ。」僕は一度、無視しようと思い口を紡ごうとしたが出来なかった。男はなるほどと、二回首を上下に振った。笑顔だった。僕は不気味だと思いながらも、笑顔を彼に返した。


すると天井に輝く光が一瞬ぶれたような、異様な視界に襲われた。同時に左の頬、壁通が閃光のように走った。僕はくったりと、まるで起き上がりこぼしのように左側へ傾く。しかしその人形にはいかず、絨毯に左半身倒れた。


一体どれだけ僕は叩かれるのだろうと、内心あほらしく思えた。「どうだ…。日頃の恨みだ。散々こき使いやがって。」男は骨筋は見えるくらいの手拳をまざまざと見せつけ、僕を嘲笑った。


「ほらほら、もっとやれ。」四十代の男性がヤジを飛ばす。もう一人の四十代の男も何も言わないが嘲笑う。だが残りの二十代後半の男はどうでもいい様子だった。上の空を向いている。僕は何も言い返せなかった。何時かの疲労と精神の衰弱のために。


「なんだ。何も言い返せないのか。」男は蒸気機関のように、呼吸を二度繰り返す。そしてまた殴ろうと、腕を大きく振るう。拳がまた頬に当たった。と、同時に警報のようにうるさいチャイムが部屋、そして恐らく施設全体に響き渡った。


その音は僕の鼓膜にじかへと響き、頬の痛さと共に顔全体を刺激する。それは僕の五本指に入る位、嫌悪する感覚だ。


「ふざけやがって。ストレス発散もさせてくれないのか。」と、男は悔しさ交じりの捨て台詞を、明後日の方向へ向けて吐いた。そして右端の奥まった所にあるドアへ、両足を強く踏みながら向かって行く。


後の二人も立ち上がり、まるで黄泉の国へ行く亡霊の如く彼の後を着いて行った。四十代の男は僕の方をちらっと見ると、強烈な舌打ちをする。そうして皆、外へ出ていった。


僕も彼等と共に、黄泉の国へ行くため疲労した体を起こす。重かった。まるで鉄筋を二つ、背中に括り付けられているように。それでも僕はゆっくりと立ち上り、皆が消えていった先へ向かって行った。

 

 ドアの先は幅二メートルある通路が左へ物悲しく続いていた。どうやら僕がいた部屋は一番端のようだった。両側の壁には一定の感覚を空け、ドアが埋め込まれている。その数は両側合わせ十はある。


そしてその部屋から、四人組の男性達がぞろぞろと出てくる。皆は一団体でまとまり、右へ進んで行く。僕もさっき出て行った男達を追いかけ、その中に混ざりこんだ。


のろのろと僕達は歩いて行く。先には男性達が、同じように五人一組を作っていた。上から見れば、さぞ羊の一群のように見えるだろう。防犯カメラがその光景を見つめる。それは両端の壁、部屋の合間に一つずつ付けられていた。


 無感情だろうが、嘲笑の目線をカメラは投げかける。誇大妄想だろうが、少なくと僕にはそう感じていた。


そんな考えにふけっている最中、もう左側の奥へ着いていた。今度は右側へ通路が続いている。皆はそれに倣うよう曲がっていった。僕達も曲がっていく。


一メートル先には大門のような、チタン製の扉が佇んでいた。僕達、そして皆はまるで吸い込まれるように扉の中へ入って行った。まるで掃除機に吸われる、何の抵抗も出来ない埃のように。


 中は薄暗い食堂だった。生暖かく、鼻が詰まるような空気が漂う。左右は幅広く、天井は狭い。鼠の毛皮のような色をした丸机があちこちに置かれ、椅子が五つその周りを取り囲っている。その合間を肌色の柱が天井を支えるように、何本も立っていた。奥には厨房が構え、何人かがそのさらに奥に見えた。


男性四人組達はひとまとめになり、それぞれ奥の厨房へ向かう。コーンの匂いが漂う。しかし妙に匂いが効きすぎている。それは食欲を落とす位に。僕はその匂いを嗅がないために、鼻孔を抑え歩いて行った。


 長蛇の列が出来ていた。僕達は奥の部屋だけあって、何十分も待たされた。が、遂に僕達の番が来た。隅に置かれたトレーを取り左へ進む。


隊員が三人、左へ並んでいた。それぞれ一人ずつ、まずは硬いパン。次に雑に注がれたコーンスープ。そして最後、小さな皿に盛りつけられた腐ったキャベツの切り身が、トレーの上に置かれた。


しかしそれは雑だった。パンをまるでゴミのように投げ、コーンスープが飛び散る位に強く置き、キャベツの切り身もスープ同様叩きつけるように置かれた。


鬱屈だった。だが何も言えない。ただ無惨なトレーを見下ろす。僕はもうどうでもよかった。そのまま厨房を通り過ぎ、四人の男達の後を着いて行った。


 先に座るグループはご飯を食べている。それは堂々と勇ましく食べるものや、大人しく食べるグループ等、種々雑多だった。しかしそれでも彼らに共通する部分もあった。


それは僕達のグループを見つめ、騒めき合っている事。特に僕の両腕を。興味津々に見つめる者や、またさっきの彼等と同じように睨む者等、これも種々雑多だった。


僕はこの集中的に集める視線にむず痒さを感じた。そのためそそくさと、グループの後を着いて行った。


前の三人が席を見つけ座った。壁際の席だった。僕も彼らに倣い、座ろうとする。だがそれを阻むように、硬いパンがまるで投石の如く、こちらへ向けて飛んできた。それは僕の右耳に当たる。


石っころのように痛かった。パンは当たった後、弾いて右下の床へ落ちた。僕は飛んできた方角を見る。しかし人数が多すぎて、誰が投げたかまでは分からなかった。皆は嘲笑い、ただ見つめる。


僕は鼻息を漏らすと、四人が座る席へ坐った。彼等も嘲笑う。僕は黙りこくって箸を進める。まず硬いパンが、僕の歯を粉々にした。次にコーンスープの中途半端な生温さで口の味覚が麻痺する。最後にキャベツの異様な冷たさで完全に口の中が凍り付いた。


そしてそれらが胃に直接流れ込む。胃液が拒絶反応を起こし、ぎゅるぎゅると腹の内をこねくり回す。僕はお腹を左掌で優しく撫でる。食べたくなかった。しかし食べなければ殴られる。


それは向こう側で、食べることを拒絶した男が隊員二名に殴られていたからだ。隊員の一人が叫ぶ。「貴様は愛情込めて作った飯を食べれないのか!一体、どれだけ人たちが苦労していると思う。」「すみません。すみません。」と、男は涙声になりながら謝罪する。


「だったら!誠意を見せろ。」と、隊員は叫びながら男の顔に一発、拳を決め込んだ。男は冷たい床に倒れる。そして両手を隊員の前に持ってきて、もうしませんと何回も何回も懇願していた。


だが隊員はそれを無視して、今度は踏みつけた。何度も何度も。もう一人の隊員は笑う。僕含め皆はその光景を戦々恐々と見つめていた。それは不味い飯を一口一口、頬張りながら。


そうして皆、食べ終わった。と、同時にチャイムが鳴り響く。隊員達もこの頃にはもう蹴るのはやめていた。しかし殴られ、蹴られた男はその場で倒れこむままだった。


「この罰当たりな奴は貴様らでどうにかしておけ。そしてそのトレーを片付けたら、すぐに各自の作業に入れ!」と、殴った隊員はそう怒鳴り声を上げる。そして隊員達はこの食堂から出ていった。


皆は一瞬、沈黙した。しかしすぐさま椅子を引く音、足音が一斉に鳴り響いた。倒れた男は仲間達に運ばれていく。僕たちその他のグループはトレー類を持ち、厨房横の専用穴にそれを入れ、そのまま食堂を後にした。


長い長い通路を歩く。途中、右や左へ繋がる通路へ他のグループが雲散霧消していった。中には上へ続く階段も存在した。そうして僕達含め、総勢十五名のグループが最終的に残った。


その中にはなんとウィズが紛れていた。話しかけたい気持ちが沸々と湧いてくる。しかし距離が離れ、人が障壁のように立ち並ぶせいで近寄れない。そんな歯がゆい思いを抱きながら、僕は通路の奥にある扉へ入って行った。その中は作業所だった。


縦横共に六メートルは優にある。しかし天井は相変わらず狭い。床はプラスチック製。その上に五つの机がひとまとめなって置かれている。それは横に三、縦に五。


その他、入ってきた入り口の右横。壁際に置かれた長机。上には十五個の箱が置かれていた。それに隊員が四人、作業所の中に佇んでいた。そのうち一人がこう叫ぶ。「早く所定の位置へ坐り込め。貴様らには時間はない。勤勉就労。さぁ、働くのだ。組の一人は壁際に置かれている箱を取って来い。」


皆は憂鬱な顔をしながら、所定の席へ座り込んだ。僕たちのグループは左から二列目の二番目だった。机の上に三十と書かれた紙と、ボールペン四本が置かれている。


僕以外の皆はすぐさま座る。僕も座ろうとした。しかし四十代と、三十代の男達の目線が激しい。睨んでいる。箱を取りに行けと合図を送る。


僕はただこくりと頷く。そして取りに行った。十人の男達が、机の合間をムカデのように列を作っていた。後ろにも五人並んでいる。背筋か落ち着かない。


更に追い打ちをかけるかの如く、室内にいる隊員の目線が僕に向けられていた。もはや他の者はどうでもいいと言う風に。


これでは両目を動かすだけでも、すぐ怪しまれる。しかし僕はそれでも動かした。あっや閉まれない程度に。ウィズを探す。サーチライトのように。すると一列目の左端、ポツンと彼は座っていた。


僕へ目線を投げかけない。隊員の目が気になっている様子。そんなウィズの様子を見ている内に順番が着た。僕は箱を持つ。中身はどうやら何か資料のようだった。重量もある。僕達はそれを持ち、すぐさま自分たちの席へ戻っていった。僕は箱を中央に置く。


皆はそれが合図かのように箱の中を資料を一枚取っていく。僕も後に続いて取っていく。前半部分に何か書いてあり、後半部分は何かを書き込む場所が用意されていた。しかし疲れと嫌悪で、僕は詳細を読む気にさえなかった。


「貴様らにはこの資料の書き込みを行ってもらう。参考は机に置いてあるのを見てるのだ。これは我がフォドにとっての慈善活動。人様の役に立つと言う事。さぁ、始めるのだ。」と、ここのリーダーと思われる隊員が偉そうにそう叫んだ。皆はボールペンを手に取り、空欄部分に書き込んで行った。


皆は手先を動かす。ボールペンの擦れる音が部屋全体を支配する。皆は目の輝きを失い、必死こいて書いている。虚無。


しかしそうしなければ、この部屋の中にいる隊員に何をされるか分からない。棍棒を腰に携帯し、その光景を隊員は悠々と悦に浸りながら見渡していた。


 やりたくないことを強制的にやらされる歪な感覚。これでは彼等も暴力的になると、僕は心から思い知らされた。


筆を更に進める。脳内が真っ白になっていく。参考書を見て、書く。だが一体、何を書かされているのか分からない。思考が鈍くなっていく。


しかし虚無に乗っ取られないようにと、何とか意識を保つ。するとふと、僕はペンで書く最中、思いついた。この紙の端を破り、そこにウィズへのメッセージを書こうと。


そう思い立った瞬間。僕はそっと新たな紙を二枚、箱から取り出す。そして右腕に持つ筆を動かし、資料を書いて行く。と、同時に左腕を器用に使い、もう一枚の紙の端を破いていく。


ビリビリと、破ける音が響く。しかしそれは周りでサイレンのように聞こえる、筆跡の音でかき消されていた。収容者、隊員には聞こえない。


けれど聞こえているのではないか。僕の頭の中はその憶測に支配されていた。周りを見渡し、細心の注意を払う。そして遂に紙の切れ端を手に入れた。鼻から安堵がこもった息を出す。


その後、その切れ端を左手で隠し、本体の紙を、掌サイズになる位何十にも折り曲げ、ポケットの中に隠した。


それから僕は書類を書いていった。だが目線を感じる。僕は感じる先を横目で見る。近くを歩いていた二十代の女性隊員が、細い目を凝らしながら、じっと見つめていた。


僕は冷や汗をかく。心臓が破裂しそうになる。だがその隊員はそっぽを向き、又歩き出した。また鼻から息を出す。そうして何時間も、訳の分からぬ作業に身を投げた。手紙の内容を考える


するとチャイムが鳴り響く。鼓膜が痛い。だが気持ちが幾分、軽くなった。ようやくこの虚無から解放されると。どうやらそれは皆、同じだった。張り詰めた空気が消えていく。


するとリーダーと思われる隊員がまた叫んだ。「各自、休憩時間だ。今から昼食を取ったら、すぐにこの場に着くのだ。時間は十五分。遅れた者は神の施しがあると思え。とりあえず解散。」


 皆は椅子を引き、立ち上がってぞろぞろと作業所を後にした。僕とウィズも作業所を後にする。


外の空気が冷たい。作業所から出た者は皆、百鬼夜行の如く食堂へ向かって行った。

上へ続く階段の前を通る。その時、僕の右腕を勢いよく掴まれた。


心臓が口から飛び出そうになった。しかし口を紡ぎ、防ぐ。僕は後ろをそっと、振り向いた。


フォドの隊員。キャップを深く被っているせいか、顔は良く見えない。しかしキャップから漏れる鳶色の髪に、何処か見覚えがあった。すると、僕の耳元で隊員が呟く。


「兄貴。少しこちらへ来てもらえませんか?」ジャックだった。僕は肯く。そしてまるで拘束されるかの如く、僕はジャックと共に階段を昇って行った。皆の目線が熱かった。


























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